集合体は、個人個人の違いのある集まり。 / 新曲『不羈磊落』に込めた想い①
コンプリヘンドの新曲『不羈磊落』(ふきらいらく)のリリックムービーができました👏
の、①ということで、今回はモブキャラヘ込めた想いの話です。
アニメーション制作をした中でモチーフに込めた意味をまとめでいます。
複数回に渡って投稿しますね。
リリックムービーに込めた想いの話
早速ではありますが、新曲『不羈磊落』のリリックムービーを載せておきます。
ここに出てくるキャラクターたちの話です。
モブキャラに込めた意味「一般・普通というカテゴライズの怖さ」
この映像には、3Dで制作したグレーの人間が居ます。
まったく同じ色、形、動きをする人
いわゆるモブキャラですね。
この人たちの頭が透明になって。見えなくなっているのに気付いた方は居ますか?
彼らの頭や顔を見せなかったのは、意図があります。
それは「一般・普通というカテゴライズの怖さ」です。
私は「普通、一般的」に対して疑問を持っている
例えば、性別や年齢、肩書き等に一般化された時「私は違うのに」と感じることはありませんか?
個人個人に分解したらいろんな人が含まれているはずなのに、表情も思考も見えない一塊りに扱われていることに疑問を持っています。
なのでモブを同じ表情、動きにするだけではなく、見えない存在になっていないか?とわかりやすく表現したいと思っていました。
その結果、頭を消すことにしました。
その「普通」は、本当に現代でも通用するものなのか?
一般的とか、普通って言葉は、誰かが言い始めただけの過去の統計学の話だもんね。
こんな価値観が、歌詞にも出てくる言葉になっています。
でも統計学といっても、本当に現代でも通用する「普通」なのかはわからないものです。
集合体に対しては特に、いろんな視点で見ていきたい。
同じ性別や、同じ年代、同じ肩書き等であっても、含まれる人は多種多様です。
個人個人をしっかりと見たら、違いのある人間が集まっただけのものです。
バンド『comprehend』が伝え続ける「自分を生き抜くとは」
実は、一般や普通に自分を押し込めがちなメンバー達だからこそできたテーマでもあります。
普通や一般に合わない価値観があった時に
「自分はおかしい?ダメなの?じゃあ諦めよう」
と、自分を塞いできた人たちなのです。
vo/gtの根本も、ba/choの外山も、artの私も。
でも、本当は諦めきれなかったから、本当の自分を生きる勇気を出し始めたんです。
ずっと自分を鼓舞して立っているメンバー達です。
諦めそうになった時、「やっていいよ!難しいかもだけどやれる方法を考えようよ」と支え合えるバンドでありたいのです。
自分を生きろって歌う私たちが、自分を生きていないなら嘘だもの。
怖いけれど自分を生きる勇気を出そうと試行錯誤する人は、ここに居ます。
見てくれたあなたも、自分を生きる勇気を出していると思うけれど
たまに「これでよかったのかな」と不安になった時は
コンプリヘンドの曲が勇気になったら嬉しいです。
お知らせ
次回は、メインキャラに込めた想いをまとめます。
ちょっと熱い文章になっていると思います(笑)
実体験を通して話すので、私がどんなやつなのかもわかると思います。
失敗や試行錯誤の話です。
新曲『不羈磊落』は配信もしています。
🔗 視聴 / DL / ストリーミング
よかったらこちらからも聴いてやってくださいな!
見てくれたみなさまへ
自分を生きる勇気を出す後押しができていますように。
それでは、またね!