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移動民族の家族観/相敬如賓

用事があり、勤務後の足で世田谷の彫刻家の家に行く。ここは共に活動するアートユニットのメンバーのC子さん宅で、芸術家や音楽家、学者や大学教授までもが集う場所。私も数年前からよくお世話になっていて、この1年間は月に2回ほど来ている。今回は家族観について述べたい。

それにしても時が経つのは早い。
いつものアートユニットメンバー2人(C子さん、Y田さん)に加えて、今日はここで約10ヶ月ぶりに会う人がいる。長野とインドの二拠点生活をしている彫刻家のK子さんだ。それ以前より居を転々としてきた不思議な人=K子さんはC子さんの大学の先輩彫刻家らしく、インドに旅立つ前にここ世田谷に滞在するのが定番のようだ。昨年2021年11月に私が企画担当した野外展(浦和郊外)に来てくれ、翌12月にここ(世田谷)で食卓を囲んだことがあった。

K子さんのお土産話には皆、興味津々に耳を傾ける。その文化人類学的な話には、現地での「体験のリアリティー」があるからだ。

今回は夏を過ごした長野での話からチベットの移動民族、モンゴル遊牧民と日本人の家族観の違いなどをディスカッションした。(K子さん特製おでんを食べながら)

  • ヤギの乳搾りin松川村

  • ヤギの乳といえば山岳遊牧民

  • 遊牧民住居への興味関心

  • チベット南西部移動民族の家族観

  • 変わりゆく結婚観への私見

  • 性差と人権のバランス感


ヤギの乳搾りin 松川村

K子さんは長野の北安曇郡松川村に住んでいると聞く。そこでの知人がヤギを飼っていて、周辺住民が交代で乳搾りをしているところ、K子さんも参加したようだ。脱サラ後に営農して事業に失敗後、巡り巡ってヤギを飼ったという知人オーナー自身はその乳を飲むようだがその家族は好まないらしい。そのため、子ヤギが飲まない余剰分の乳を地域でありがたくいただいているというワケだ。乳は出し切った方が乳房炎予防になるということで「一石二鳥」ならぬ「一搾ニ乳」だろうか。うん、やっぱり片乳より両乳が良いよね。男としての願望は別として、労働と対価、フードロス(乳だけど)をも包み込むものこそが「家畜」による地域コミュニティだと実感する話だった。

ちなみにK子さんは搾った乳をそのまま飲むのはもちろんのこと、チーズにしたところとても美味しかったとのこと。

ヤギの乳といえば山岳遊牧民

ここからは私とY田さんのターン、ヤギの乳といえば、テレビ番組で観た山岳地域の遊牧民を思い出して「遊牧民もヤギのチーズをつくって食べていますよね」と言ったところ、Y田さんが同調してくれた。ヤギ=山羊 と、漢字からわかるように山岳地に生息する動物である。私が映像で知った民族はイランの山奥の方だったか不確かだが、テント内部にヤギの胃袋がぶら下がっていたそのビジュアルのインパクトたるや驚愕の光景だった。ヤギの亡骸の胃袋を容器として乳を振ってチーズをつくり、保管しているとのことだった。製造と保管を一気通貫にしているのも面白く、またそれこそが根源的にあるべき姿なのだと思った。それを面白く感じてしまうあたり、現代文明•石油プラスチック容器の生活に染まった人間なのだと痛感する。

ところで、昨年に私が企画担当した野外展(浦和郊外)の事前顔合わせで出展作家たちとオンライン会議をしたことがあった。そのとき、画面越しに初めてY田さんの部屋を覗ったのだけど、背後の棚には溢れんばかりの荷物があり、いくつもの巾着袋がぶら下がっていたことを思い出した。いわゆる汚部屋にドン引きしていたところ、本人自身も自宅なのに「遊牧民≒ホームレス」のような部屋だと笑っていた。

きっと今頃、Y田さんの巾着袋の中身も熟成していることだろう。

遊牧民住居への興味関心

ちなみにY田さんと私の共通点は「遊牧民」への興味が強いことだ。Y田さんとの最初の出会いは、とある国際芸術祭の野外アートプロジェクトで彼らユニットが、田んぼにモンゴル遊牧民のゲルを建てていたときだった。家業の縫製業に加えてその影響があってか、私自身も遊牧民住居に関心を持ち続けて建築学科の卒業制作のモチーフとして扱うまでになってしまった。

「現代都市の包」/根本 賢

卒業研究のために遊牧民住居の本を読み漁った経緯で、その分野には少し明るい。私が取った情報を基にひとつ例に挙げると、住居の素材に関する話がある。今日的なモンゴル遊牧民住居=ゲルにおいて、全体を覆う幕材は所帯を持つ息子へ父が買い与えるのが慣例のようだ。重要な骨となる木材は主に柳の木である、それを調達するのは男の仕事。幕材を骨に結ぶための糸や紐を撚るのが女の仕事。羊や馬は家族全体で世話をして、羊毛を地面に敷いて生活することで押し固められたものがフェルトであり、それを外装の内側に敷き詰めて断熱効果を高めるのだそうだ。着る物をつくるのだとすればこれはおそらく女の仕事なのだろう。そしてまた、新しい羊毛を地に敷いて座り、固める。

ゲルの内部には共同空間に加えて、主人だけのスペースが明確にあるらしい。家父長制が根強いのだろうか、気になっているところだ。すると、群馬富岡出身のY田さんが「かかあ天下」の話をし始めた。これは仮説だが日本国内だと内陸部で養蚕が盛んなところの女性コミュニティは強いのだろうか。地場産業が家族観を形成するようにも思えるエピソードが出てくるが今回は割愛する。

チベット南西部移動民族の家族観

遊牧民の家族観に対して、K子さんが話の主導権を返す。これが今回のお土産話のハイライト、インドとチベットの国境で出会った難民の話だ。彼らはチベット南西部の山岳地帯を上り下りしながら暮らす遊牧民とのこと。一帯一路政策を推し進める中国と、隣国インドの戦闘が関係あるのだろうか。遊牧民と難民の違いは何なのだろうか。定住民からすると遊牧民は泥棒に見えることもあるのではないだろうか。いつの時代も国境という難題を人類に突き付ける。

K子さんはその民族との対話の中で彼らの家族観の核心的な部分に触れたという。結婚や親戚の話をしているとき、その民族の主人がこう言ったそうだ。「父方は骨であり母方が肉である」と。ハッとしたように口をつむぎ、それ以上は話してくれなかったとのこと。よそ者には言わない重要な考え方だったのだろう。

移動民族の家族観は東アジアの儒教的な家父長制とは異なり、「格差」ではなく「明確な役割をもった区別」といえるだろうとK子さんは結論付けた。

その話を聞いて腑に落ちた。ゲルの住居つくりの役割分担とリンクするような感じがしたからだ。

変わりゆく結婚観への私見

いつからか都市条例で同性婚が認められるかがマスメディアの話題になるようになった。選挙公約に「男女格差是正」を訴える候補者や、政党の要職に女性を就けることも増えていった印象だ。そのあからさまなイメージアップ戦略が、埋蔵票を掘り起こしたのもいくらか事実だろう。
保守系の現職区議が、「同性婚を認めると〇〇区が消滅する」という旨の発言をしたところ大炎上したニュースもあった。その区議の叩かれっぷりは凄まじいものだった。これに関しては、保守的な思想を持つ私個人としては間違ったことは言っていないと思うし、多くの保守思想者が彼を可哀想に思っただろうが、彼が盾になってくれたおかげでやり過ごした同性婚反対派も多かったことだろう。兎にも角にも、何気なく言ったことが極論に仕立てあげられ、善と悪の二項対立の構図にするのがマスメディアのやり方だ。

以前、国政選挙運動中のLGBTQ当事者候補 よだかれん氏に質問させていただいたことがある。「同性婚の権利を主張した先に出生率の問題が生じてくるのではないか」と。すると「彼女」は真摯にビジョンを答えてくれた。まず、①法によって結婚を阻まれているLGBTQ当事者が幸せを掴むこと。次いで②同性婚当事者が体外受精等で子を授かったり、里親として子を迎えるしくみづくり。③それに伴う夫婦や子どもへの偏見を無くすことが求められると述べてくれた。

国家を担うために子孫を残すのは当然の責務だと考える私は、同性婚の条例可決に疑いの目で見ていたが、視座の高い当事者と話すことでガラリと印象が変わった。3段階のフェーズでのとても有意義な意見を聞けた。立ち話に応じてくれたことに感謝申し上げたい。

性差と人権のバランス感

私自身、女性やLGBTQの社会参加や賃金格差是正には大いに賛成するに至った一方で、行き過ぎた「平等」の愚策には反対の声をあげなければならないと思っている。特に危険視しているのがスポーツの世界で性転換した男性が女性競技に出場して記録を更新しまくっているというものだ。米国の保守団体が指摘していたが、それによって推薦入学や奨学金の権利を逃した女子学生がいるという。極めておかしな話である。セックスとジェンダーを履き違えた男女平等は潰さなくてはならないと強く思った。身体のつくりや感覚器官に男女差はあるのだから。

男と女は生物学的にも文化的にも役割や特性が異なる歴史を持つ。いわゆる原始時代に、男たちが狩りに出かけている間に女たちが協力して料理や着るものをつくったというように、女たちはコミュニティの中で活き活きとする性質があるようだ。それは遺伝子が物語っているといわれ、コミュニティ活動に参加する女性は実年齢より若く見えるというデータがあると識者から話に聞いたことがある。実際に私の父方と母方の2人の祖母(80代)を比較すると、容姿と生活様式に相関性を感じざるを得ない。帰省時にはできるだけ一緒に時間を過ごしているが、父方の祖母がどんどんと老いていくのを見ると寂しくなってくる。

K子さんが言うように、「格差」ではなく「明確な役割をもった区別」が必要なのである。遺伝子に刻まれた生命の営みとに加えて、生まれた時代に存在する楽しみを得ることが、人類の幸せなのではないだろうか。そのうえで、男女という二つのジェンダー分類を越えた方々がその希望のもとに活躍する権利を保障しなければならない。その「バランス」が議論されていくべきであろう。


賓客に接するかのように、夫婦兄弟の間にも礼儀を保つことを「相敬如賓」と言う。(google調べ)真に互いの性質を理解して、役割を分担したうえで尊敬しあえるような家庭・社会を築きたいものだ。

今日のK子さん特製おでんは美味しかった。C子さん家に立ち寄ると、いつもご馳走を頂いている。自分は料理とは違うかたちで皆に恩を返していこうと誓うのであった。

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