2020年の延長戦

明けましておめでとうございます。という新年の挨拶はしつつも、年が明けたから全部なかったことに新しい年!とはなれないってことをしっかり考えていないと、ってことで昨年1年を自分が忘れないためにまとめてみたんで、布団の中ででも読んでください。


1月
2019年の劇団10周年イヤーを完走し、本来なら1ヶ月くらい休まないと再起不能になるんじゃないかってくらい昨年作り続け走り続けたのに、1月末には完全英語上演で行った「Whose playing that “ballerina”?」と、チャラン・ポ・ランタンとのオリジナル音楽劇「超、Maria」の幕が立て続けに神奈川で開いた。休みなく新作を生み出すことは本当に大変だが、本当に楽しい。KAAT神奈川芸術劇場のようないままでは馴染みのなかった劇場がチャレンジングな企画を面白がってくれたことがめちゃくちゃ嬉しかった。芸術監督が白井さんから長塚さんに変わると知った。演劇界にとっていい交代だと信じたい。

2本同時稽古、自分の体力の衰えを感じる。いや、単純に日本語の芝居と英語の芝居を同時に作るにはわたしの頭が足りなさ過ぎているだけかも。脳味噌フル稼働です。大変だが楽しい。こうでなきゃ、という思いで小屋入り。

2月
「超、Maria」の本番中、中国から聞いたことがないウイルスが日本にも入ってきたらしいと劇場で毎日みんなで話していた。
ただですらインフルエンザの時期だった&超、Mariaは1日3回公演だったので、お客さんの入れ替えごとに客席と舞台を消毒してくれと制作の寺本さんと舞台監督竹井さんにお願いしていた。インフルエンザ気をつけてください、ととにかく演者スタッフにも協力をお願いする時期の公演だというのにまたウイルスが増えんのかよ。と、とほほ、、な気持ちになりながらも、本番、小春ちゃんの音楽と共に幕が開くと毎日死ぬほど楽しかった。楽屋でずっと2人で一緒にいたももちゃんの天真爛漫さに何度も救われた。ももちゃんがセリフと段取りを完璧にやりきったのを観た演出助手の田原さんが初日ちょっと泣いていたように見えた。千秋楽の打ち上げ、お店を取るかと制作から相談される。
コロナウイルス、という名前もこの時にはもう世の中みんなが知り始めていて、何かあってはいけないので劇場にデリバリーをとって、楽屋での打ち上げにさせてもらえないか劇場に相談してほしい。とお願いした。
劇場での打ち上げは移動もないし、バラシをしながらスタッフさんもご飯つまみに来られてそれはそれでいいなと思った。
芸術監督の白井さんがわざわざ乾杯に来てくれて嬉しい感想をくれた。温かい言葉に触れ、ほくほくした気持ちになり公演を終えた。

事務所を退社しフリーになった。
新しいマネージャーとアシスタントとの体制になる。
寺本さんから新マネージャーへの引き継ぎにまあまあ時間がかかった。
また一緒に芝居を作ろう。と寺本さんに言って事務所を出た。
寺本さんいままで本当にありがとう。

3月
演劇やライブ、決行派と中止派に分かれ始める。
わたしは今年3月から10月まで演劇のスケジュールをたまたま入れていなかった稀な年だったので、ひたすら客観的に状況を見つめた。わからない。どちらの正義もわかる。痛いほどわかる。ただ、命には何も変えられない。ヴィレッヂの社長に電話して、「今年の秋、うちは本多劇場借りてんですけど、長引くことを想定して動いた方がいいかな?」と雑談程度に意見をもらってみた。
様々な人の意見を聞いてみることにしたのもこの頃からだ。ほぼ家にいる。マスクが売っていないが、普段からマスクと除菌スプレーを愛用していたためあまり困らず通常運転で過ごした。

4月
緊急事態宣言。
あーこのまま行くと演劇を観に行く文化なくなるな、となんとなく怖くなった。
実験的に次に演劇を観に行くまでの気持ちを引き伸ばす薬みたいになることができないかなと思って、わたしの活動を誰よりも客観視してくれている友人に電話で今考えていることを話してみる。「思い付いた人にはそれをやる義務があるんですよ、根本さん。」と言われる。彼女はいつもわたしにこれを言い、わたしをチャレンジの波へと乗せる。
完全リモート作品「あの子と旅行行きたくない。」を制作。
まりー、おすぎ、ゆっきゅんととにかく何度も何度もzoomで稽古を繰り返した。
あああああもうストレス!!ラグ死ねよ!!とわたしのイライラMAXになる。3人わたしを観て笑う。1発撮りの緊張感がないともはや何も演劇じゃないと思い、1発撮りにこだわった。画面に向かってする芝居は、いままでわたしが追究してきた俳優に必要な技術と真逆だ。みんなにこんなことやらせていいのか、という葛藤があった。
出来上がったものを世に出した。やってよかった。めちゃくちゃいろんな人から連絡が来た。
他の演劇の人たちもzoomで芝居作りはじめた。こんなこと今年しか言わないが、本当にわたしらしくない発言だが、なかなか面白いやり方してる人が見当たらない。よっしゃー!にはならなかった。やばいなー、、と思った。演劇は本当にネットに弱い&スピード感が遅い。いままで自分がなんとなく感じていたことが目に見えるようになった。考えなくては。
みんなに会いたいなぁ。一人で家にいると何度か気がおかしくなりそうだった。

5月
長井と尾崎桃子を誘い、リモート作品第二弾を作る。お客さんも家で暇だろうと思い、台詞と歌をお客さんにも動画で覚えてもらい、メールで音源くれたら芝居にみんなの声をいれるよ、みたいなことをやってみた。たくさんの音声が集まり、お客さんの声を重ねて合唱シーンが出来上がった。
だが第一弾より反響がない。まずい、もう客はリモート作品に飽きている。配信に飽きている。思ったより飽きが早い。
あとお客さんに合唱してもらう、という理解が難しすぎることをやり、
あーわかりやすいことのがいいんだなと思う。
このあたりから世の中みんながネットに疲れ、文字も読まない人が増えた気がした。
そこに書いてあるよ?みたいなものへも質問がくる。

6月
東宝の尾木さんから電話がくる。
1ヶ月後にシアタークリエから新作ミュージカルを配信したいのだが、作・演出をやらないかという話だった。
人生でもらった中で一位の無茶振りだ。
クリエでやったこともなければ、本番まで1ヶ月。今から新作を書き、曲を作り、俳優を決め、稽古をするのだ。でも無茶振りいけるのが根本だ、と東宝に思われていたことは嬉しかった。清竜人さんが音楽引き受けてくれたらやれるかも、と思い、竜人さんに電話をすぐした。
「根本さんからのお願いなら。楽しそうじゃないですか。」とあまりに器がでかかった。
竜人さんとの電話での制作が始まった。
オファーもらってから2日で台本を書いたのは人生で初めてだ。シアタークリエはこの公演で息を吹き返すそうだ。ならばミュージカルをやるのに必要な最小人数でやってみたかった。男女のハーモニーに、踊り、ピアノのみ。息づかいを画面の先まで届けたかった。役者は生田絵梨花さんと海宝直人さんで、踊りはrikoちゃん、ピアノは大谷さんで。東宝に頼み、このキャスティングを揃えてもらう。
竜人さんからの曲が日々上がってくる。電話越しにピアノを弾いてもらい、細かいニュアンスにお互いのズレがないかを細かく確認する。こんくらいやってもいいかも?とわたしが歌ったデモは一生封印。深夜まで作業してるとたまに変なアイデアを出してしまう。あれやんなくてほんとよかった。
竜人さんの楽曲は全て素晴らしかった。

7月 前半
クリエからの配信公演の稽古と本番。
この稽古がかなりわたしを新しいところへ連れて行ってくれた。贅沢な時間だった。
みんながコロナ禍での舞台制作、無観客が初めてだ。PCRを受けながらの稽古。マスクしたままの歌稽古。アクリル越しに演出。もうみんなやり辛いやり辛い。
PCR受けてアクリル立ててやってるのに制作発表には記者がたくさん来て、マスクなしで我々は舞台上に立つ。うーん、正解ってなんだ。といろいろ考える。誰も悪くないんだ。でもやはりプロデューサーと意見を合わせることが本当に難しい。対面での打ち合わせ時間もない。この頃からきちんと自分の意見を文字にして渡すことにし始めた。
時間はかかるが、建設的な面もたくさんあった。感情的になっている場合ではない。
なにより舞台にいる4人の努力が尋常ではなかった。自分の戯曲を、こんなに大切にしてくれる人たちとものが作れることが幸せでならなかった。
自分の作った芝居を初めて生で観ることができない本番だった。楽屋モニターを竜人さんと祈りながら見つめた。
「いい本を書いたね。凄く好きですこの本」と肩を叩いてくれた。
いつか長編にしたいね。とみんなで握手し、もちろん打ち上げもなしで皆帰宅。

秋の公演をどうするかもう決めなくては。
無観客で、配信に特化したもの。
をやると決断する
配信になるなら出ない、と某事務所から降りる連絡がくる。まだまだ「舞台は生」の文化がなくならない。わたしだって生でやりたいよ。誰よりもやりたいよ。配信じゃ舞台じゃないなんて言われんでも誰よりも感じてるわ。悔しい。出せばよかった、と思わせる、という気持ちを高める。負けない。


7月 後半
希望の光が消えてしまった。
ダメだ、未だ全然言葉にできない。

絶対なんてないことを思い知った。
とにかく考えた。たくさん悲しいに集中した。他のことは考えたくなかった。

靖子ちゃんに会いたいと連絡をした。
大森さんは50mを3秒で走り続けているため、時間をくれなんて簡単に言えない。LINEだって未だに気軽にはできない。
仕事のことならすぐに連絡するが、プライベートで大森さんに会いたいと連絡するのなんて数年ぶりだった。
久々に話す大森さんは相変わらず優しくて、机を間に挟んでなければ胸に顔をうずめたくなるほどの包容力だった。そんなメンタルなことがバレないように極めてクールな口調で話した。話せてなかったかな。話したつもりだ。大森さんの笑顔はこの日も可愛かった。
秋の舞台の主題歌を担当してもらうことになった。一緒に仕事をすることでわたしの背筋が整った。
0を1にする作業は本当に大変である。毎度生み出し、また次を生み出し。一人じゃ無理かも、と初めて思ってしまったわたしを靖子ちゃんが仕事の約束で救い上げてくれた。


8月
「超、Maria」を配信バージョンにしてみたいと思い立つ。
カメラマンの二宮さんに連絡をしてプランを話してみた。
「やりましょう。超面白い絶対。」とすぐ返事が来た。
わたしの周りはみんな返事が早くすぐ行動してくれて、約束を破らない素敵な人たちで溢れている。
小春ちゃん、ももちゃん、二人のマネージャー野呂さんもすぐに「やりたい。」と言ってくれた。
配信になり音楽の専属解放というものにお金がかかると知る。学ぶ。

制作業務を久々に一人でやり、あーこんなんだったわ。となるが案外気が楽だ。
ミスがあればまた自分のせい。というわかりやすいルールがわたしには良いのだ。
だが、PCRを全員が受け、公演ガイドラインを作り、というのはわたしも初めてのことで自分だけの管理がキツくなり、制作のいとうちゃんに助けを求める。いとうちゃんはここ数年でとにかく頼もしく成長している。すごいなぁ。出待ちに立っていた小さな女の子がこんなにしっかりするなんて。

ももちゃんとzoomで思い出し稽古をしようとしたらラグがひどく、公園でネタ合わせのように稽古をした。二人で公園で新演出を練習するのはなんだか楽しかった。だが、稽古場が恋しい。。稽古場で稽古したい。

収録は皆の協力で最高のものが撮れた。
二宮さん、大天才。
だが感染対策の徹底は本当に大変で、気を張り過ぎて自分の芝居が全く安定しなかった悔しい。こりゃ、このご時世に制作やりながら自分が出るのは無理かもな。

9月
超、Mariaの配信スタート。
小春ちゃんとはこれまでも作品を作ってきたが、やはりこの作品はお互いにとって特別である。と再認識。
踊りのrikoちゃんを加えた新編成での配信バージョンは、アイデア絞り出す機会でないと思いつかなかったことばかり。
二宮さんは本当にすげえ。人間としてもすげえ。あんな人ばかりになったらいいなぁ。
なんて頼もしいスーパーマンなんだ。
11月の公演も二宮さんとのタッグになるため、作戦を考えはじめた。

心があまりに柔らかくなってしまっていて、いつものように台本が書けない。そもそもリモートで稽古ができる本を書かなくてはいけない。画面で稽古するには会話一本で勝負するしかない。対立を描き続けてきた自分とまた向き合う時間だ。
気が付くと泣きながら本が完成していた。
25歳くらいの自分に戻ったような本だ。
伊藤万理華に台本を送って、返ってきた言葉に、彼女にこの台本を渡してよかった。と思った。
稽古がいよいよはじまる。稽古までに準備できることは全てやった。全てってなんだ。初めてすぎてわかんない。

10月
「もっとも大いなる愛へ」の1ヶ月だった。
打ち合わせも稽古も毎日画面。
だが、4月から3作リモートで作っていたため、作り方のノウハウや演出の付け方がわかってきた。4人の俳優がとにかく素晴らしく順応してくれて、自分の中でも大切なクリエーション時間となった。
画面での通し稽古を観て胸が張り裂けてしまいそうだった。
そしてPCRの結果を待つ小屋入り前夜、こんな気持ちみんなにさせてまで、自分もしてまでやる演劇ってなんだ。と苦しくなった。
でもきっと劇場でやれば、苦しさ飛ぶはずだ。と信じて気持ちを強く持ち10月を乗り越えた。
稽古の楽しさは、画面でも健在だ。

rikoちゃんの踊りを早く現場で観たい。


11月
自分の芝居を客席で手に汗握りながら観て、最後は観客として涙した。
そんなことは初めてだった。
今年の想いが溢れて止まらなくなった。
幕が開いたことにほっとして、足に力が入らなかった。
こんな姿を見られては困る、とトイレで整えダメ出し配信へ。

お客さんがいないのは本当に寂しい。

千秋楽、ポッカリ心に穴が開いた。
1年演劇を作らないのか、わたしは。
こんなことは初めてだ。時間がたくさんある。考えるばかりだ。
丁寧な生活を送るのなんて何年ぶりだろう。

また悲しいことが起きた。ひたすら悲しいに向き合った。慣れたくない。ちゃんと悲しい時は悲しいに集中したい。
新しい仕事がたくさんはじまる。
慣れない仕事はそれはそれで楽しい。

12月
なんだか穏やかだ。
不思議な一年だった。心はもう何度足りなくなったことだろう。

年末ってどんなだったっけ。

ぼんやりと年が明けた。

不思議な2020年が終わり、またどんな1年が始まるのだろう。

昨年感じたことを忘れずに、考える時間をたくさん与えられた2020年をこれからの1年に必ず繋いで行きたいと思っています。

演劇やライブ、生のもの全て
やれない、も辛いし、やれる!からのやれません、も辛いし、とにかく周りの人にかける言葉がなくなってきてしまった2020年。
祈るばかりでした。
今年は祈りをちゃんと作品にしていく延長戦だと思って年を越しました。

わかりたい、と思うことと、
わかって欲しい、と思うことはいつだって同じにはなれなくて。
わかってもらうことを諦め、わかる人にだけわかればよい、とどこか閉鎖的な感情になってしまうことが人間には見受けられ、芸術もそうして自分の可能性を狭めていってしまうことがある。
それが必要な時もあるが、自分もいつかそんな一面を手に入れてしまうのかな、とどこかで思いながらやってきたが、
知りたい、わかりたい、と思うことは自分を知ることでもあり、誰かに自分をわかってもらうことなどしなくても、自分が深く自分を理解していけばおのずといろいろなことがうまくいくのかもしれない。
そんなことを思った2020年でした。
自分を知ることはとてもこわいし、時に目を塞ぎたくなるけれど、自分と向き合わないと人とは向き合えないのでそこを蔑ろにせず、

これ以上強くなりたくないって思ってたのにみんなまた強くなっちゃいましたね。

どこまで強くなりゃいいんだ全く。

強くなった我々で新しい正解を見つけていきましょう。

どんな日常も大切に暮らしていきたいです。

楽しみましょう、今年も。
悲しいことにも嬉しいことにも慣れずに。

どうぞ、今年もよろしくお願いいたします。
今年も精一杯、根本宗子をやりたいと思っています。

演劇はやらないですが、思考は動きまくってます。
今年もご贔屓にしていただけるよう頑張ります。

一部インスタにも書きましたが。

今のわたしの頭の中でした。まったねー。

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