お話を子どもとたのしむ Vol.14 けれん味なく語る
ストーリーテリング入門講座(4)
語り手は黒子
けれん味ってあまり馴染みのないことばですね。けれん味というのは、もともと舞台用語で、見た目の奇抜さをねらった派手な演出のことだそうです。必ずしも悪い意味だけでなく、奇抜で面白いという意味で「けれん味にあふれた」というふうにも使うようです。ここで、松岡享子さんが書いておられるのは、お話は、声色や身振りなどの奇抜さで聞き手に受けることをねらうのでなく、物語そのものを大切に、素直に飾り気なく語るということをおっしゃっているのだと思います。
ストーリーテリングの主役はお話です。語り手は聞き手の前にお話を差し出して、聞き手がお話を受け取ってくれるのを見守る役目です。人形浄瑠璃で人形を操る黒子は、舞台の上にいますけれど、見えていないという約束ですよね。観客は人形が演じる(実際には黒子が演じさせているのですが)のを見て、物語を受け取ります。ストーリーテリングの語り手もお話を主役に立てる黒子です。
演じない
不自然な声色、大袈裟な身振り手振りなどの演技 つまり、けれん味のある演出は、聞き手の想像力を邪魔してしまいます。
「三びきのやぎのがらがらどん」を例にしますと、トロルがヤギに向かって
「だれだ、おれのはしをがたぴしさせるやつは!」と、どなるとき、私は少し低めの声をだします。でも、ここで自分がトロルになりきってはいないんですね。もし、トロルになりきっていたら、
「だ~れだ~おれのはしを がたぴしされるやつは~」と、目線も顔も動かしながら、迫力のある怖い声色を使うでしょう。でも、そうはせずに、聞き手の顔を見たまま、ただ、トロルのイメージを伝えるためにちょっと声を落とす。自分がトロルになるんでなくて、トロルがどなっている場面のイメージを伝えようとするんですね。このとき、私がトロルになってしまうと、聞いている子は私の動作をトロルの動作だと思うでしょう、そうなると、子どもたちの頭の中のトロルは、私がしてみせた動きしかしなくなってしまう。子どもたちの想像の余地を狭くしてしまうのです。
そして、自分がトロルになりきってしまったら、その間私は、子どもたちを見ることができず、聞き手の反応を受けることができません。一方的に発信しているだけになってしまいます。聞き手といっしょに、その場にお話の世界を作るというストーリーテリング本来のよさを消してしまうことにもなるのです。
自然に語る
子どもの前でお話を語るときには、ゆっくり心を込めて素直に語ります。自分の力でお話をどうこうしようとするのでなく、お話そのものの力を信じて、そこに立ち現れてくるお話の世界を楽しんで語りたいと思います。