お話を子どもとたのしむ Vol.12 お話は双方向
ストーリーテリング入門講座(2)
おぼえて語ること
知り合いなんかに、図書館でお話会のボランティアをしているというと、だいたい「ああ、読み聞かせね」と言われます。「そうじゃなくて、おはなしをおぼえて語っているのよ」と話すと、「えーっおぼえるの?」と、驚かれます。そうやって驚く人のほとんどは、「本を読んであげればいいんじゃないか」と思っているんでしょうね。そういう人には、お話をおぼえて、聞く人の顔を見ながら語ることで、読み聞かせや朗読にはない、独特な世界があるということを言いたいと思います。
ストーリーテリングは、一方的に話すのではなく、聞き手の反応を受け取って、聞き手と一緒に、その場にお話の世界を作っていくものです。一方通行ではなく、聞き手からの反応もお話の大事な要素なんですね。
もちろん、読み聞かせや朗読にも、それぞれのよさがあって、ストーリーテリングの方が、それらよりも上などというつもりは全くありません。読みかせは読み手と聞き手が、絵本という同じひとつの画面を見て、その絵本の世界を一緒にたのしむものです。絵本は文学であると同時に、視覚芸術でもありますから、耳で聞くお話とは違う価値のあるものだ思います。また、朗読は、聞く文学ではあるのですが、読み手と聞き手の間に「本」というものが媒(なかだち)として存在しています。読み手は、物語という作品を、いわばひとつの情報として発信するという側面が大きいように思います。
一方、ストーリーテリングは終始、聞き手の顔を見ながら語りますので、語り手は、お話が聞き手にどう届いているかを知ることができます。語り手は発信するだけでなく、聞き手の反応を受信もするのです。
たとえば、「三枚のお札」を子どもたちに語ると、「鬼婆だ!」というところで、子どもたちがきゅっと体を硬くするのがわかります。隣の子と体をくっつけ合う子もいます。子どもたちが小僧さんと一緒になって「なんとかして逃げよう!」と考えているのがわかります。大人の聞き手ですと、便所から逃げるところなんかは面白そうに、ユーモアを感じながら余裕を持ってお聞きになりますが、子どもたちは真剣です。そして、おしょうさんが、豆粒みたいになった鬼婆を餅に挟んで食べてしまうまで、その緊張は解けません。最後のとっぴんぱらりのぷぅで、やっとホッとするのです。
このような聞き手の反応は、語り手に直接返ってきて語り手の語り方に影響を与えます。聞き手が、小僧さんといっしょに一生懸命逃げていることがわかるときには「おっきすなやま、ではれー」にも思わず力が入ります。
ですから、同じ話を同じことばで語っても、そのときどきの聞き手によって、お話は違ったものになります。全く同じようには二度とできない、一期一会のものなのです。これは、どんなに名人と言われる語り手でもやっぱりそうなんですね。
ストーリーテリングは、語り手が一方的に与えるものではなくて、語り手と聞き手が一緒にいるその場所に、語り手と聞き手の双方で、いわば共同作業で作り上げるお話の世界なのです。
朗読や、落語などの他の話芸も、聞き手によって違ったものになるという面があるでしょう。ですが、語り手と聞き手の目と目が合い、お互いの心の動きをこれほど直接的にやりとりできるのは、ストーリーテリングならではですし、そのようにしてお話の世界を聞き手と共有できることは、お話をおぼえることの苦労を超える喜びなのです。
そして聞き手にとっても、とくに子どもの場合は、自分を見て語りかけられたことばは、まっすぐに入っていくように思います。演説やスピーチでも、下を向いて原稿を読んでいる人の話と、こちらを見て語りかけてくる人の話では、入ってき方が違いますよね。
ということで、お話をおぼえて語ることには、やってみると病みつきになる良さがあって、それはやってみないとわからないことです。みなさんに、それをぜひ、体験してほしいと思います。
丸暗記ではない
お話をおぼえるのは、丸暗記とは違います。たとえば、
「うさぎ、おいし、かのやま、こぶな、つりし、かのかわ」
読んだままの文字列をこのとおりに覚えることが丸暗記です。短いですからおぼえられるでしょうが、多分、何日かすると忘れます。
でも、みなさんはこれを「う~さ~ぎ お~いし か~の~や~ま~」ってメロディ付きでおぼえましたよね。ですから、何年経っても出てくるでしょう?ここに書いてない、「ゆぅめ〜は い〜ま〜も」と、続きまで出てくる人もいらっしゃいますよね。ことばを丸暗記したのでなく、メロディといっしょにおぼえたことで、歌として再生させることができるのですね。これが丸暗記とは違うところです。
おはなしには、メロディはありませんが、そのかわりになるのが「イメージ」つまり、絵というか、映像です。おはなしはことばですが、ことばが表そうとしている映像があるんですね。その映像といっしょにおぼえることで、丸暗記ではないおぼえかたができるのです。
丸暗記したものをそのまま話すのは暗誦です。暗誦はことばを一字一句、正確に再現することが目的です。お話は、それが目的ではなく、そのことばに結びついたイメージをその場に蘇らせることが目的です。その場でお話を生き返らせる「再創造」するということです。
暗誦ですと、なにか、ひとつの言葉を忘れてしまうと、そこで止まってしまって、続けることができなくなってしまいます。でも、ことばを忘れても、イメージをちゃんともっていれば、別のことばで言い換えて、なんとか話をつなげることができるんですね。「うさぎおいしかのやま」の「やま」をわすれてしまっても、メロディのある歌として覚えていれば、そこだけハミングでつないでなんとか歌を続けることができるのと同じです。
歌にメロディが欠かせないのと同じくらい、おはなしには、イメージが欠かせません。ですから、お話をおぼえるときには、自分の中に、しっかりとしたイメージをもつということが大切なプロセスになります。
お話のイメージ
イメージをもってお話をおぼえるというのはどういうことでしょう。色々な方法があるとは思うのですが、丸暗記になるのを避けるために私がやっているおぼえ方を紹介してみます。
まず最初は、黙読であらすじを掴みます。このときは、声を出しません。音読は「上手く読む」ことに意識が集中してしまいます。その分内容への集中力が散漫になってしまうんですね。「本の内容を深く理解し、その文章の魅力を身につけたいというのであれば、ゆっくりと繰り返し黙読をしたほうが効果的である」これは作家の平野啓一郎が、『本の読み方 スロー・リーディングの実践』(PHP文庫)という本の中で言ってることです。お話をおぼえようとするときには内容を深く身につけたいわけですから、まずは、ゆっくりと黙読すると言うのが理にかなっていると思います。
どんなお話か、その内容がしっかり身に付いたら、つぎにゆっくり声に出して読みます。ここで、自分には言いにくい言い回しがあるな、とか、同音異義語に気をつけないといけないな、とかそういうことに気がつくと思います。
そのつぎに、登場人物や場面を絵にします。実際に紙に描くというのではありません。頭の中で、絵を思い浮かべるのです。たとえば、「三びきのやぎのがらがらどん」なら、小さい山羊のがらがらどん、二番目ヤギのがらがらどん、大きいヤギのがらがらどんをそれぞれ思い浮かべます。この話は絵本が出典ですから、絵本の絵を頼りにしてもいいし、実際に見たり、写真などで見た山羊を思い浮かべてもいいと思います。谷川にかかっている橋の様子を思い浮かべます。その下に住んでいるトロルの様子も。そして、山の草場というのもどんな感じかな?と想像します。なるべく具体的に、頭の中で絵にします。そうしたら、ゆっくりと読みながら、今思い浮かべたヤギを、その場面の中で動かします。いわば、脳内で、映画というかアニメーションを作るんですね。このときは、実写版でもいいし、線で描いたような簡単な絵でもいいです。これは、お話の柄によってもちがうんですね。実写でくっきりと思い浮かべることができるおはなしと、どうしても、ギャグ漫画みたいなタッチの絵じゃないと思い浮かべられないお話があります。「三びきのやぎのがらがらどん」は、わたしにはヤギや風景は実写版でイメージできますが、トロルがこっぱみじんになるシーンは、漫画みたいなアニメでないと思い浮かびません。実際に上映するわけじゃないですから、そのあたり混成にするのは自由です。写真で見たヤギを思い浮かべつつ、トロルは絵本の絵のあのトロルでも、いいわけです。とにかく、ことばを読みながら、頭の中でその絵を動かしていきます。
私が、イメージを具体的にもつことがお話をいきいきと語る上でとてもだいじだということを実感したのが「北風に会いに行った少年」というお話です。この話をおぼえるときには、主人公の少年はどこにでもいそうな8歳ぐらいの男の子をなんとなくイメージしていました。ぼんやりとしたイメージのまま語っていたのですが、どうも話が面白くない、聞いてくれる子どもたちにも面白さが伝わっている感じがしない、と思っていました。それが、「ニューシネマパラダイス」という映画で「トト」という男の子を見た途端「北風に会いに行く男の子はこの子だ!」と私の中でキャスティングが決定したのです。すると、「北風に会いに行った少年」が語っていて楽しくなりました。子どもたちもぐいぐいついてきてくれます。
そんな経験から、新しいお話をおぼえるときには、できるだけ具体的なイメージをもつことを心がけています。
おぼえ方について
さて、イメージがはっきりしたら、いよいよ本を見なくてもことばが言えるようにしていきます。記憶という意味でいえば、ここからが本当に「おぼえる」段階ですね。記憶の仕方はそれこそ千差万別、自分に合ったやり方をみつけるしかないのですが、ここでも私のやり方を紹介します。
わたしは、一段落ごとに、読んでは、本から目を上げて言ってみる、言ったのが正しかったかな?と目で確かめる、ということを繰り返して、一段落覚えたらつぎ、というようにすすんでいきます。そして、一日一場面というように決めて、それ以上先へ進むことはしません。たとえば、きょうは、ちびヤギの場面までにしようと思ったら、そこまでを繰り返しやるようにします。なので、ひとつのお話をおぼえるのに何日もかかります。
だいたい通して言えるようになったら、あとは、ぶつぶつぶつぶつ、独り言のように言い続けます。掃除機をかけながら、洗濯物を干しながら、道を歩きながら。声を出すことで、耳からもおぼえますし、口がおぼえます。
おはなしの練習
お話としてまとまった練習は、やはりちゃんとすわって、目の前にいない聞き手を意識しながら、話してみることが大事です。そのときには、自分の言い方が、自分の伝えようとしているイメージと合っているかに注意を向けるようにします。
「三びきのやぎのがらがらどん」なら、「かたことかたことと、橋が鳴りました」のところで、「かたこと、かたこと」というのと、「かたっ ことっ かたっ ことっ」では見える絵がちがうでしょう?自分はどんな絵を聞き手に見せたいのか意識します。語り方を工夫するというのではなく、どういうイメージを伝えたいのかということです。たとえば「ここのところは、かたっ ことっ と、スタッカートで言おう」というように形を決めるのではなく、小さいヤギが、足取り軽く橋を渡っているその絵を思い浮かべていると、自然とそのような言い方になるということです。でも、小さいやぎは足取り軽く来たのではなく、こわいなぁトロルでたらどうしよう、とおびえながら橋を渡りにきたのかもしれません。もし、語り手がそういうイメージを伝えたいのなら、声を顰めて「かたこと かたこと」という言い方になるでしょう。自分がそのお話をどうイメージしているか、それを伝えるとしたらどのような言い方になるか、それを練習のときにつかむようにします。
仲間に聞いてもらう
自主練ができたとなったら次には、人に聞いてもらうことがとても大事です。私たち「まほうのおなべ」は、毎月勉強会をやっていますが、そのときに、おぼえたお話をきいてもらって、どんなふうに聞こえたか、自分が思い描いているお話のイメージが、聞いている人にも共有できたかを言ってもらいます。自分ではどうしてもわからないことなので、仲間に率直に意見を言ってもらうのはとてもありがたいことです。
先月、私は「ホレおばさん」というドイツの昔話をおぼえて聞いてもらいました。ホレおばさんは、不思議な力のある女神、といっても美しい仙女さまという感じではない「大きな歯をしたおばあさん」なんですけれど、そういう人が出てきます。聞いてくれた仲間の一人が、私の語りでは、不思議な力のある存在があまり感じられなくて、近所の親切なおばあさんみたいに聞こえたと言ってくれました。なるほど、私自身ホレおばさんの「不思議な力」をあまり意識していなくて「となりのトトロ」にでてくる、「カンタのおばあちゃん」みたいな人をイメージしていたんですね。
つまり、私のもっていたイメージはその通りに聞き手に伝わったわけですが、それが、この話とはそぐわないんじゃないかということを指摘してくれたのです。そこで、私自身の中のホレおばさんのキャラクターを捉え直して、超自然の力を持った存在、ジブリ映画で言えば「千と千尋」の「湯バーバ」のような人をイメージしてみました。それで聞こえ方がどう変わるかは、また聞いてもらわなければわからないんですけれど。
また、仲間には、お話の内容だけでなく、会場の後ろの方のまで無理なく聞こえる声が出ていたかを聞いてもらいます。自分でも、ちゃんと聞き手を見て、聞き手の反応を受け取りながら語ることができたかを確認します。これは、実際の聞き手がいなければ、わからないことですから、そういう意味でも、仲間に聞いてもらうというのはとても大事なことなんですね。