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お話をこどもとたのしむ vol.2

2021年9月から10月にかけて名古屋市瑞穂図書館で行われたストーリーテリングボランティア養成講座の内容をまとめました

第1回 ストーリーテリングのお話会

図書館のお話会のプログラム(例)

ヒヨコとネコ(ミャンマーの昔話)
 『ネコ、猫、ねこ、世界中のネコの昔話』(平凡社)より
王子さまの耳はロバの耳(ポルトガルの昔話)
 『子どもに聞かせる世界の民話』(実業之日本社)より
かちかち山(日本の昔話)
 『日本の昔話4』(福音館書店)より

ストーリーテリングとは

おはなしこすずめの会(名古屋市瑞穂図書館ストーリーテリングボランティアグループ)は、毎月第3土曜日の午前11時から、5歳以上の人を対象にしたお話会をしています。絵本も紙芝居もつかわず、お話を丸ごと覚えてことばだけで語り、聞いてもらう「ストーリーテリング」というやり方のお話会です。語るお話は、昔話が多いのですが、どのお話も図書館の本で読むことのできるお話です。本を目で読むのではなく耳で聞いて味わうということで「耳からの読書」という言い方をしたりもします。
本を読むと、特に物語の本では、主人公や登場人物に感情移入しながら、その人物と一緒になって悩んだり、ドキドキしたり、悲しんだり、怒ったり、喜んだりしますね。現実に自分の身に起こったことではないのに、現実に起こったことのように心が動きます。お話を聞くときも同じで、特に子どもの聞き手は、お話に出てきた人や動物といっしょになって、物語を体験します。たとえば、上に挙げたプログラムの最初の「ヒヨコとネコ」。このお話をすると、ヒヨコがケーキを「コツコツパクパク」全部食べてしまったというところで 子どもたちはみんな「ええ~~~」と、とっても心配そうな顔になります。ヒヨコになりきって本気で心配してるんですね。
 こういう、物語の中での体験を通じて、子どもたちは、生きるための知恵だったり、ユーモアのセンス、それから、いいことをすればいい報いがあるし、悪いことをすれば悪いことが返ってくる、というようなことを感じとってくれているようです。もちろん、子どもたちはお話を聞いたあとに、そんな感想を口にすることはありません。でも、お話を聞くことで、言葉にはできないけれど、なんかちょっといいものが心に残ってくれたらそれでいいかな、と思っています。

文学としてのお話

では、ストーリーテリングのお話会では、どんなお話をするかということですが、一言で言えば、「文学としての価値があるもの」ということです。
文学的価値というと大変大袈裟ですが、辞書で「文学」を引くと、「言語による芸術表現」というようなことが書いてあります。平たく言えば、読んだり、聞いたりすることで心が豊かになるものが、文学だということになるでしょうか。
先のプログラム例の三つのお話もそうなのですが、いわゆる「昔話」を語ることが多いのも、昔話は、人々に文字が広まるよりも前から、口づたえで継承されてきた「民衆の文学」だからです。昔話は、シンプルな物語の中に、人が賢く生きのびるための知恵や、苦しい生活を笑い飛ばすようなユーモアや、土地に言い伝えられた不思議なできごとなどが織り込まれ、それが長い長い年月をかけて練り上げられて、今に残ってきたものです。そして、何より口で伝えられてきたものなので、耳で聞いてわかりやすい形が整っています。
お話の選び方については次回に詳しく話したいと思いますが、図書館のストーリーテリングでは、耳で聞いて楽しむことのできる「文学」を選んで語るようにしています。

読み聞かせや朗読とのちがい

ところで、耳からの読書なら、本を朗読するなり、絵本を読み聞かせたりするのでもいいんじゃないの?「どうしてわざわざ本のお話を覚えるの?」と思われたと思います。朗読にも、絵本の読み聞かせにも それぞれの良さがあり「文学」を耳から楽しむということはできます。では、何が違うのかということですが、それは、語り手が聞き手を見ているかどうか、ということなんです。ストーリーテリングでは、語り手と聞き手の間に、本という「物」がないことで、直接聞き手と語り手が「目で」つながることができるんですね。
私たちのお話会は、「このお話し会は、絵本も紙芝居も使いません。私たちが皆さんのお顔を見て語りますので、皆さんも私たちの方を見て聞いてくださいね」と言ってはじめます。語り手と聞き手の視線が合うということが、ストーリーテリングの独特なところです。
おはなしは、聞き手によって微妙に変わります。何度も語って自信のあるお話でも、聞き手がうつむきっぱなしで無表情のままっていうときには、お話は盛り上がりません。逆に、初めて語るお話で自信がなかったり、ちょっとことばを言い違えたりしても、聞き手が目を輝かせて前のめりで聞いてくれると、自分でも思いがけないくらいよく語れたりします。それから、自分ではそんなに滑稽だとは思っていない場面で、聞き手から笑いが起こったりすると、今まで気づかなかったその話の持っている面白さに気づいたりもします。ストーリーテリングのお話は、聞き手と語り手が一緒に作る一期一会のものなのです。
いつも同じ語りができないのは単に語り手の力量不足なんじゃないか、と思われるかもしれませんが、どんなに年季の入った語り手の方もこういうことを経験されるようですから、ストーリーテリングは、語り手から聞き手への一方通行ではなくて、語り手ー聞き手、双方向で「お話」を分かち合うものなんだと思います。
もうひとつ、お話を覚えるということは、本を読む場合に比べると、何倍もの時間をかけてその物語を読み込みます。ただ文章を丸覚えすればいいというのではなく、話の情景の細部までくっきりとイメージでき、しかもそのイメージにぴったりな言葉がなめらかに出てくるまで習得しますから、語り手とお話は一体になっているんですね。
こんな例えが適当かどうかわかりませんが、覚えて語るお話は、レシピを見なくても作れるお料理みたいなものかなと思います。作り慣れない料理を作るときには、そのレシピを読んで頭に入れたつもりでも、火加減やかき混ぜ具合などは手探り状態です。でも、その料理を作り慣れた人なら、どこでどうやって具を入れて何分くらいしたらお味噌を入れて、と、細部までわかっていますよね。
ストーリーテリングのお話では、主人公がどこで誰と会って、どういう会話をし、どういう行動をとってどういう結末になるか、そういうことが細部までわかった上で語る。レシピを見て初めて作ったお味噌汁も、作り慣れた人のお味噌汁も同じような出来栄えかもしれませんが、やっぱり慣れた人作ったお味噌汁には、その人にしか出せない、こなれた味わいがあるんじゃないでしょうか。お話も、自分のものになるまで読み込んで覚えて語ることでこそ聞き手に伝わる味わいがあるのではないかと思っています。

読書への橋渡し

図書館のストーリーテリングのお話会で大切にしているのは、その日にしたお話が載っている本を紹介するということです。先に「耳で聞く読書」に触れましたが、お話を聞くことで、物語の世界を体験することを面白いと思ったら、そこにとどまらず、今度は「目で読む」ことでそれを味わってもらいたいのです。自分でまだ字を読めない小さい人なら、面白いと思ったお話の本を借りて帰ってお家の人に読んでもらって、何度もお話を楽しんでほしい。本の中には面白いことがつまっているんだなということを知ってほしいと思っています。
「読書」は人生を豊かに生きるのにとても大切なパートナーだと思います。子どもたちが、お話を通して「本っていいな、おもしろいな」と感じてくれることを願いながらお話を語っています。

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