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お話を子どもとたのしむ vol.3

2021年9月から10月にかけて名古屋市瑞穂図書館で行われたストーリーテリングボランティア養成講座の内容をまとめました

第2回 お話を選ぶ

図書館のお話会のプログラム(例2)

なら梨とり(日本の昔話)
 『子どもに語る日本の昔話③』(こぐま社)
三びきのやぎのがらがらどん(ノルウェーの昔話)
 『絵本・三びきのやぎのがらがらどん』(福音館書店)
あなのはなし (ミラン・マラリーク作)
 『愛蔵版おはなしのろうそく2」)(東京子ども図書館)

選び方が肝

子どもにお話を語るとなったとき、最も大事なことはどんなお話を選ぶかです。
ストーリーテリングでは、お話を、手間と時間をかけて覚えるわけですから、聞くに値しないような話を覚えてしまうのは、実にもったいない。労力と時間の無駄になってしまいます。私自身せっかく覚えたのに、いざ語ってみたら聞いてもらうほどの話じゃないということに気がついてお蔵入りになった話がいくつもあります。覚えたお話が全部自分の「十八番」にできることが理想ですけどなかなかそうはいきません。「選び方」の基本的な考え方を知って、できるだけハズレがないようにできるといいなと思います。
ハズレは、覚えた本人にとっても残念なんですが、せっかく覚えたお話を「使えない」とはなかなか思い切れないません。そこで、一回はお話会で使ってみたいという誘惑に勝てず、結局、聞き手の子どもにお話をたのしんでもらうどころか「お話なんてつまらない」と思わせてしまうリスクもあるのです。それを避けるために、子どもに聞いてもらうのに相応しい話かどうか、率直に意見を言い合える仲間がとても大切です。グループとして「選び方」の共通の基準を持つことも欠かせません。

「好き」は大事だけど・・・

どんなお話を選んで覚えたらよいかについて、ストーリーテリングの入門書に必ず書いてあるのは「好きだと思えるお話を選びなさい」ということです。好き、というのは自分の心が動いた、ということですよね。自分の心が動かないお話を人に語って、人の心を動かせるはずがないというのはその通りだと思います。
自分が「おもしろ〜い」と思わないと、覚えるモチベーションも上がりませんし、語るときに「面白いお話するから聞いて!」という熱意も持てませんよね。
でも「このお話、自分はあまり面白いとは思えないけど、子どもが喜ぶらしいから」というような邪な気持ちで覚えた話でも、語ってみると本当に子どもが喜んで聞いてくれて、それによってそのお話が好きになる、ということも実際にはあります。逆に、自分はこれは面白い、感動的ないいお話だと思って覚えたけれど、子どもはキョトンとしていたり、退屈そうにしている、ということもあります。「好き」という気持ちは確かに大事だけれど、語りに向く話、そして聞き手である子どもに向く話の条件を押さえておかないとストーリーテリングはうまくいきません。

図書館で子どもとたのしめる話

わたしたちがしようとしているのは、図書館という場所で、たまたまやってきた知らない子どもたちが聞き手で、年齢は5歳から大きくても小学校低学年程度、という条件のもとでのストーリーテリングです。
同じ5歳でも、保育園などのよく馴染んだ場所で、クラスのおともだちといっしょに聞くお話会だと、子どもたちはずいぶんリラックスしています。面白いところでは素直に笑ったり、こわいところではとなりの子とくっつきあったりしていっしょに乗り越えることができるんですね。でも、図書館のお話会は、「図書館のおはなしの部屋(集会室)」という、馴染みのない場所で、知らない子といっしょに、知らない人からお話を聞くのですから、ふだんより緊張している場合が多いです。
また、図書館のお話会は、その子にとって人生で一回きりのお話を聞く体験になる可能性があります。それこそ一期一会なんですね。ですから、できるだけの心配りをしてお話を選びたいと思っています。

成功体験のできる話

まず、お話の内容ですが、これは前回もお話しした「文学としての価値がある」ということになると思います。子どもに何かを教えようとか、とにかく笑わせようとか、目に見えるなにかを与えるのでなく、聞くことで深いよろこびや希望を感じることのできるお話。というと、たいそう大袈裟ですけど、なにかちょっといいものをもらったような気がする、そんなお話。
 具体的には、小さいものや、弱いものが、冒険の末にピンチを切り抜けて、幸せを手に入れるような「成功体験」ができるお話が、これから未来に伸びていこうとする子どもたちにはぴったりです。
 今日のプログラム例に挙げた三つのお話は、どれも小さいものが成功するおはなしです。
「なら梨とり」では、三人兄弟の末っ子の三郎だけが、正しい道を進んでなら梨を手に入れるばかりか、沼の主を倒して、兄さんたちを救い出し、おしまいにはおかあさんの病気もけろりとよくなってめでたしめでたし。
「三びきのやぎのがらがらどん」は、小さいやぎも2ばんめのやぎもトロルをうまくかわして山の草場にのぼっていき、最後には大きいやぎがトロルをやっつけて3びきとも丸々太ります。
「あなのはなし」、これは昔話ではなく、マラリークという人の創作ですが、出てくるものがみんな、こども部屋にあるようなものばっかりなんですね。まず、くつしたの穴。おやつのドーナツ、カエルやツバメや羊はおもちゃの動物なんだと思います。そんな子どもたちのごく身近にあるものが、怖いオオカミを退治して冒険を続けるという話になっています。この話を幼稚園の年中さんのクラスで聞いてもらったことがあるのですが、目をまん丸くして聞いていた女の子が「いいおはなしだった〜!」と言ってくれたことは忘れられません。

笑い話の落とし穴

こういう「冒険ばなし」の他に、笑い話や、ほら話を語ることがあります。実は「笑い話」は幼い子にはキョトンとされてしまうことが多いので要注意です。笑い話のオチは、ある程度の知性がないと楽しめません。「笑い」は高度な文化なんですね。語り終えてどっと笑いが起こってお話がおしまいになるべきなのに、気まずい沈黙しかないことほど怖いことはありません。誰かひとりが素直に笑ってくれると、それに釣られて笑いが起きることもあるのですが、図書館という場所ではなかなかそう言うことが起こりにくいのです。とはいえ、笑い話やほら話は覚えていて楽しいし、聞き手が大人の場合は笑い話やほら話がいくつか入るとプログラムのよいアクセントになるので、気に入った笑い話をひとつふたつ覚えるのも悪くないとは思います。

大人は大好き 感傷的な話 ほのぼのした話

語って聞いてもらうお話として、とくに幼い子どもにはさっぱりわからないのが、大人が「泣けるわぁ」とか「ほのぼのしていいわぁ」という類のお話です。大人には人生経験がありますから、登場人物の心情を読み取ったり、お話には語られなかった主人公のその後にまで思いを馳せることができます。けれども、子どもは、お話を聞きながら、主人公と一緒になって経験していくのです。余韻を残した終わり方ではなく、納得できる結末が語られなければ満足できません。

耳で聞いてわかること

内容のほかに大事なのは、視覚情報なしに、聞いてわかるお話の形です。目で読むときは、自分の好みのスピードで読み進めればいいし、わかりにくいところは何度も読んだり、元に戻って確かめたりできますが、お話は、語り手のペースでどんどん進んでいってしまいます。耳で聞くお話には、それでも理解できるための色々な条件があるんですね。
まず、話の筋がシンプルなこと。一本の線が流れていくようなシンプルな筋だということです。単刀直入に話が始まり、次から次へと鎖のように話が進んでいって、クライマックスに至り、すとんと終わる。時間が飛んだり、戻ったりしない。
 そして、登場人物が少ないこと。とくに、一つの場面には、一人か二人しかでてこない。三人以上の登場人物がいる場合でもいっぺんには出ないんですね。「三匹のヤギのがらがらどん」に登場するのは、ヤギ3びきと、トロルだけです。そして、同じ場面では、必ず一匹のヤギとトロルという一対一なんですね。一場面に三匹同時にでてきて、つぎからつぎへと台詞をしゃべったりすると、誰が何をしゃべっているのか聞き分けられません。
それから、次を期待させる仕掛けがあるということ。同じ言葉による繰り返しがこれにあたります。「なら梨とり」では、三人きょうだいがいて、まず一番上の太郎が「行くが行くが行くと、大きな岩があって、その上に一人のばあさまがすわって」いるのに会う。二郎のときも「行くが行くが行くと、大きな岩の上に一人のばあさまがすわって」いる。となると、子どもたちは三郎のときも「おばあさんに会うぞ」と思って聞きます。すると、やっぱりそうなる。そういうふうに、次が予想できて、予想どおりになるとうれしいですよね。逆に、予想が裏切られる驚きもあったりします。同じ場面を同じ言葉で語ることで、次々進んでいく話の展開に主体的に関わりながら聞くことができるのです。
もうひとつは、ことばを聞いて、具体的なものの絵が頭にうかび、その絵が動くことが、とくに子どもに語るお話では大事です。
ことばを聞いて、その意味するところをイメージするというのは、集中力と脳の働きを要する作業ですから、お話のことばは、できるだけ無駄がなく、的確にイメージできるものでなくてはなりません。
「なら梨とり」では、太郎が登っていった山の様子は何も語りません。「茶色の岩肌がむき出しになった山」とか、「ブナのしげる森の下草が青々とした茂み」など風景の描写があったらどうでしょう。筋には直接関係のない絵をイメージしなくてはならず、それだけで疲れてしまいます。目で読むときには、風景描写がないと物足りないかもしれませんが、耳で聞くお話の場合は、ストーリーを進めるのに不必要な言葉は少なければ少ないほど聞くのに負担がかかりません。
また、登場人物の心理描写も絵にはなりませんね。「悲しみ」は絵になりませんが、「泣いている」なら絵になります。聞いて絵がうかぶようなことばで語られることが「聞くお話」には重要な条件になります。

昔話は耳で聞く話

今話したような、「聞く話の条件」は実は、昔話が備えている語り口なんですね。昔話は、そもそも、耳で聞いて口で伝えられてきた口承文学ですから、聞いてわかるために必要な形が整っているのは当然です。ですから、昔話を選べば聞くのに相応しい形というのは基本的にはクリアできていることになります。
ただ、ここで気をつけてほしいのは、昔話といっても、いろいろな本が出ているということです。たとえば、「なら梨とり」は例に挙げたこぐま社の『子どもに語る日本の昔話3』のほかにも、東京子ども図書館から出ている『おはなしのろうそく6(愛蔵版3)』や三省堂の『日本昔話百選』など、いろいろな本に載っています。筋は同じですが、方言の残し方や、二番目の二郎の省略の仕方など、細部がずいぶん違います。
 「三びきのやぎのがらがらどん」は絵本の文章のまま語ることができますが、絵本では 絵がお話を表していて、文章が省略されている場合があります。たとえば、福音館の絵本『おおかみと七ひきのこやぎ』(瀬田貞二再話)では、おかあさんやぎが泣きながら外へ出ていく場面で、一番小さい子ヤギはお母さんヤギに抱かれていくのですが、文章には子ヤギについては何も書いてありません。『おはなしのろうそく13』(東京子ども図書館)や『子どもに語るグリムの昔話1』では、「小さな子ヤギもついていきました」という言葉が入っています。この子やぎは、あとでお母さんに言われて家に「ハサミと針と糸」を取りに行くことになるので、ここでお母さんについて行かないと話の筋と合わなくなってしまいます。
また、再話した人、翻訳した人によって、元の話は耳で聞くのにふさわしいシンプルな形をだったはずなのに、「ストーリーを進めるには不必要な言葉」を書き足してしまっている場合があるんですね。「茶色の岩肌が剥き出しになった山」のような情景描写や、過剰な心理描写を入れてしまうなど。現代では昔話も読むことが前提になっている場合がほとんですから、それも無理からぬことかもしれません。
語るためのテキストは、口承文学である昔話の本質からはずれず、語ることを念頭に置いて再話されているものを選ぶようにしてください。

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