お話を子どもとたのしむ vol.15 お話となかよくなる
ストーリーテリング入門講座(5)
前回までは「お話は文学」「語り手と聞き手双方向で作るもの」「イメージを再創造する」など、はずせない大事なこととはいえ、かなり抽象的な内容になってしまいました。ストーリーテリングは、誰もが楽にできることでもないし、お話ひとつおぼえるにも本当に時間もかかるし苦労もするんだけれど、それでも続けていられるのは、やっぱり「たのしい」からなんですよね。このことこそ、これからストーリーテリングを始めようとするみなさんにいちばん知ってほしいことです。
そこで講座のおわりに、この講座に参加してくれた「名古屋ストーリーテリングの会 まほうのおなべ」の仲間にストーリーテリングをやっていてよかった・たのしかった経験を語ってもらいました。
ストーリーテリングは愉し!
家の中が明るくなる
これは、私自身の経験です。私がお話をおぼえて語ることをはじめたときには、子どもたちは上が中学生、下の子も小学校の中学年になっていましたから、我が子に、本から覚えたお話を聞かせてやったことはないのです。でも、母親が家の中でしょっちゅうぶつぶつぶつぶつ、お話の練習をしているものですから、子どもたちの耳に入っていたんでしょうね。おぼえている途中で話が先へ進まないと、「どういう話なん?」と、台本をひったくって持っていくなんてこともありました。「マメ子と魔物」の練習をしていたときには、側で聞くともなしに聞いていた息子(当時中2)が「(マメつぶくらいの女の子が魔物を倒すのが)ありえん!!!」といって笑い転げました。
中学生くらいになると、我が子の中に親にはわからない部分が増えてきて、こちらも「宿題やったか」だの「部屋を片付けろ」だのという殺伐としたことばかけが多くなりがちです。でも、お話という、まったく日常からかけはなれたことばがあることで、親子関係にゆとりが生まれるというか、家の中が明るくなっていたように思います。
聞き手となかよくなれる
もうひとつ私の経験なんですが、以前住んでいた市で近所の幼稚園に毎月お話に行っていました。あるとき、自転車で買い物に行く途中、向こうからやってきた自転車の後ろに乗せてもらっていた女の子が、すれ違いざまに「あ、おはなしやさんの人だ!」と手をふってくれたんですね。「お話屋」なんて私は一度も言ったことはないし、申し訳ないけどその子の顔もおぼえてなかったのです。でも、その子は、毎月幼稚園にお話にやってくる先生ではないおばさんに「おはなしやさん」という素敵な呼び名をつけてくれて、ちゃんとおぼえてくれていたんですね。
ほかにも、お話を聞いた子が、自然に膝にのってきてくれたとか、手をにぎってくれたとか、お話会を終えて帰るときに「またきてねー」とハイタッチしてくれる、というような報告がたくさん出ました。語り手は、大勢の子どもを前にして、一人ひとりの顔をおぼえることはなかなかできませんが、できるだけどの子とも視線を合わせるようにして語ります。子どもたちは、自分にむかって語りかけてもらったように思うのでしょうか、語り手が思う以上に、お話をしてくれた人に親しみを感じてくれているようです。そんな子どもたちの気持ちに触れられたときには、ほんとに「やっててよかった」と思います。
日常から切り離された時間
お話をおぼえたり、練習したりする時間は、普段の仕事や家事や育児からは切り離された時間になるのが嬉しいということを言ってくれた仲間もいました。私たちはだれでも、片付けなければならない色々なことを抱えていますが、それはひとまず置いて「お話」という別世界に身を置く時間を持てるのはとても幸せなことです。
お話そのものがたのしい
お話そのものがたのしいという肝心のことを、この講座では取り上げていませんでした。仲間のひとりの「おぼえているとき、語っているとき、自分がそのお話の世界に入っていけることが、本当にたのしい」ということばに、ああ、そうだった、そうだった!と思いました。そして、語ることだけでなく、お話を聞くのが大好きだということも思い出しました。自分が語らないお話会のなんとたのしいことか!居ながらにして今ここにない世界に連れて行ってもらえる喜びこそが、ストーリーテリングを続けていく原動力にほかならないのです。
お話となかよくなれる
もう一つ、講座で言い忘れていたことを別の仲間がちゃんと言ってくれました。
おぼえるときには、読むだけのときとはくらべものにならないくらい、お話を読み込みます。読むだけでなく、ひとつひとつのことばが表そうとしているイメージを思い描いて体に落とし込んでいきます。そうやっていったん自分に取り込んだことば(=イメージ)を改めて口から発して物語を再生するのです。その過程でお話と語り手は、切っても切れない特別な関係になっていきます。なので、同じことばで語られたお話でも語り手によって、全く違うものになります。
お話と、そんな「特別な関係」になれるのは、お話をすっかり自分のものにして語るストーリーテリングをおいて他にないかもしれません。そして、お話を語るたびに、そのお話との関係が深まっていくのも嬉しいことです。