現代人は、「ハーフフィクション」がお好き

最近の取り組み

noteはじめます宣言をしてから、はや8ヶ月、当初の悪い予感があたり、全く投稿してませんでした笑
理由としては2つほどありまして、

①考えてることが広がりすぎて文章が収斂しない
②怠惰

割合で言うと②が95%です笑
ザ・三日坊主です。

そんな三日坊主の僕なのですが、ここ数ヶ月なんとか続いていることがあります。

それは、「流行分析」と「広告分析」です。
共に、生活者目線(広告なら制作者目線も)からWhyを繰り返して具体化した後、抽象的要素に落とし込む、ということをしています。
そしてこれを、日々の学びと共に『nemomemo』というノートに書いています笑
わかりにくいと思うので、 ある一日のnemomemoを以下に。

この日は比較的綺麗にまとまってますが、いつもはもっとぐっちゃぐちゃです笑

ここまで自分の普段やっている分析について説明したのですが、実はここから次の段階がありまして、抽象化した時流や生活者の傾向を、「コンセプト」としてこれまた別のノートに簡単に書き連ねています。(ちなみにそこからアウトプットを考えるアウトプットノートも作ってます。メモの魔力を三冊に分けてるイメージですかね笑)

「ハーフフィクション」とは

そんな中で出てきたコンセプトのうちの一つが、「ハーフフィクション」です。

近頃、巷では「ノンフィクション」や「リアル」と言った言葉が溢れています。
例えば「恋愛リアリティーショー」、略して「恋リア」と呼ばれるものがその典型ですよね。
でも、視聴者の僕らってあれを「リアル」だと思って見てるでしょうか?

おそらく違うでしょう。
「なんか自分の周りでもありそうだけど、まぁこんなすごいとこで共同生活することないよね」とか
「同じような恋愛沙汰に巻き込まれたことはあるけど、こんな美男美女じゃないわ笑」
あるいは逆に、
「モデルとかやってるこんな可愛い子でも自分と同じようなことで悩むんだ」
このような感情になることが多いのではないでしょうか?

これらをまとめて言い換えると
「共感と憧れ(諦め)の同居」と言えるのではないかと思います。

「この可愛い子みたいになれるかもしれない」という感情と、
「やっぱ自分とは違うからこうなるのは無理だなぁ、すごいなぁ」
という感情が交互に現れるのです。

つまりこれは、

「リアル=共感」×「フィクション=憧れ(諦め)」

という構造になっており、これを自分は「ハーフフィクション」と呼んでいます。

これをドラマや映画などの「コンテンツ」に限った話で考えると、この二つの感情のバランスが取れているモノが、素晴らしい「ハーフフィクション」のコンテンツと言えると思います。

前者だけの感情に偏ってしまう場合、周りの友達の動画をみたり話を聞くだけで事足りてしまう事が多く、コンテンツとしてわざわざお金や時間のコストを払って消費してもらうことは難しい、あるいは次第に陳腐化してしまうでしょう。特にエンタメコンテンツにはこの事が大きくあてはまるでしょう。

逆に「共感」の欠けた後者の感情だけに偏ってしまうと、長期的にコンテンツのファンになってもらう事や、昨今マーケティングにおいて最重要といっても過言ではない、SNS上におけるユーザー内での盛り上がりを引き起こすことは難しいでしょう。

上記のように、SNSや動画サービスの普及により、ユーザー発信の物も含めたコンテンツが大量に存在し、それがユーザー間で話題になる事が強く求められる現代だからこそ、「ハーフフィクション」のコンテンツであることが重要になってきたと考えられます。

「ハーフフィクション」の事例

では、具体的に、「リアル=共感」×「フィクション=憧れ(諦め)」の構造を元に各事例を分析していきます。

①テラスハウス

「リアル」=ありふれた日常生活・人間関係
「フィクション」=美男美女・特殊な職業・凄すぎる家

テラハは、台本なし(実際はありそうだけど笑)で、家での普通のご飯のシーンや、デートのシーンなど、特別な瞬間ではなく、誰でも日常的に経験しているようなシーンを淡々と放送しています。その中で、出演者が将来への不安に苦悩したり、三角関係でギクシャクしたり、冷蔵庫の中にとっておいた肉を食べられてもめたりと、感情の動きや人間関係も視聴者側皆が経験するような共感できるモノになっています。
だからこそ、SNS上は毎放送ごとに批判や同調の投稿に溢れ、盛り上がりを見せています。
Youtubeの「山チャンネル」において、毎週山ちゃんが視聴者目線でズバズバ切ってくれるのも一層共感を高めている仕組みとなっています。

一方、とはいえ出演者は美男美女ばかり。職業もモデルやサーファー、スポーツ選手など周りにあまりいないようなものが多く、普通の職業でも、モデルもちょこちょこやってますとか、お前明らか売名して芸能人になるの狙ってるやん、みたいな人が多いです。このような人たちばかりが、しかもプールや温泉がついてるめちゃくちゃ豪華な家に集まって暮らすという状況は、一般的な視聴者からすると非現実的に思えます。
しかしだからこそ、視聴者はわざわざお金と時間をかけて見るエンタメコンテンツとして消費しているのだと感じます。

②アラジン

「リアル」=「現代の女性」としてのジャスミン
「フィクション」=架空の世界

アラジンもそうなの?と懐疑的に思われる方も多いと思いますが、これも「ハーフフィクション」だと捉えています。

まずそもそも「アラジン」は、アラビア世界をモチーフにした架空の国の話で、魔法のランプや魔法の絨毯など、ファンタジーそのものです。ディズニーはファンタジーの筆頭として、「夢と魔法」を世界中の人に与え続けてきたブランドであり、「アラジン」もまさにその文脈の中で世界中の人々を魅了する映画だったことは明らかです。

しかしながら、「アラジン」において一番話題になった点は、ヒロインであるジャスミンの、「女は王になれない」という慣習や圧力に逆らって力強く生きる姿勢であり、女性の社会進出が叫ばれる中、ジャスミンの姿勢に多数の女性が強い共感を覚えていました。
男性の自分としても、架空の世界の話ながらどこかリアルな現代社会のように感じる部分が多々あり、これはまさに「リアル」の部分だったと思います。
ディズニーの近年の映画、特にヒロインが登場する作品には「アラジン」に限らずこうした「社会文脈を捉えて共感を生む」作品作りの姿勢が感じられることが多く、やはりディズニーは常にコンテンツ作りの最先端を走っているなと再実感させられます。

③ルーティン動画

「リアル」=家でのプライベートなルーティン
「フィクション」=芸能人、YouTuberの理想的な生活

今流行りのルーティン動画はまさに分かりやすい「ハーフフィクション」の事例です。

まずルーティン動画は、芸能人やYouTuberが朝や寝る前の完全にプライベートなルーティンを垂れ流し形式で紹介する物で、朝の準備に時間がかかるから時短の工夫をしている、など内容も行動もかなり共感できるリアルなコンテンツです。

しかしながらコメント欄を見ると、「こんなにちゃんと準備する時間ない」「ここまで気を使うお金ない」「ここまで美人な人はやっぱり意識が凄い」など、理想的な生活すぎて自分が実践するのは無理だという諦めや、自分は出来ないけどこうなりたい、という憧れの感情を口にする人もかなり多く、美人な芸能人やYouTuberが発信していることも相まって、完全に自分事としてリアルに捉えられている人は少ないようです。
しかしだからこそ、エンタメとして見る人や、行動や使っているモノを真似するために見る人が存在し、コンテンツとして成立しているように感じます。

まとめ

本記事の内容をまとめると、
・「ハーフフィクション」のコンテンツがウケている
・「ハーフフィクション」の構造は、
 「リアル=共感」×「フィクション=憧れ(諦め)」

皆さんも「ハーフフィクション」を意識して、話題になるコンテンツ作りに挑戦してみてはいかがでしょうか?

 

      

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