飽きっぽい私が、なぜ恋人には飽きないのか
好きなことや興味を持ったことでもすぐ飽きてしまって全く続かない。
自分でもドン引きしてしまうほど私は、熱しやすくて冷めやすい。
一昨年、どうしてもジブリの名曲たちをピアノで完コピしたくなり、彼女の反対を押し切ってまで買った数万円もする電子ピアノが二ヶ月後には埃をかぶってしまうほどの飽き性である。
物に対してだけでなく、以前の恋愛でも同様のことが言える。
数か月で別れたり、付き合っては別れるをしつこいくらい繰り返していたこともあった。
そんな私がたまに、ふと思う事がある。
なぜ彼女とはこんなにも長く交際が続いているのか
私が超が付くほどの飽き性であることを知っている彼女は、
「そろそろ私のこと飽きてもおかしくない頃なのに、不思議だね」
と、いつも笑いながら言っている。
七年も一緒にいれば、そりゃ喧嘩をしたことは何回もあるけれど、それが原因で嫌いになったりしないし、彼女と別れ話をしたことすら一度もない。
出会った人や芸能人を見て素敵だとか、可愛い、格好良いと思ってもそれは恋愛感情とは全くの別物であるし、倦怠期すら来たことがない。
彼女に対しては飽きるどころか、一緒にいる毎日が心地良い。
なぜ長続きしているのか。
なんとなくではあるが、自分なりの答えがある。
きっと私にとって彼女は、水のような酸素のような、そんな存在なんだと、そう思っている。
ふわっとした答えだけれど、本当にそんな感じ。
水や空気の味に飽きたりしないのと同じ。そして本能的に自然と欲してしまうものであり、生きていく上で必要不可欠で、絶対になくてはならない存在。
また、『飽きる事がなく、なくてはならない存在』というだけでなく、川のせせらぎのような『癒しの水の音』と似たようなもので、彼女の心音だったり寝息だったり、彼女が存在している音が私の癒しでもあり、聞いていて心地良い。
出会う前まで毎日が辛くて息苦しかったのが、彼女の存在のおかげで呼吸が楽になり、ゆっくりたっぷりと深呼吸できるようになった。そんなことだってある。
なのでこれらを踏まえてよく考えてみても、やっぱり水や酸素に例えるのが一番しっくりくる。
自分が気楽に生きていく上で彼女が必要だから、飽きることはないんだろうなと、そう思っている。
そして私も彼女にとってそんな存在であり続けたい。