お仕事の繁忙期が落ち着いて、ここ数日は家の中の掃除に夢中になっていた。
凪いだ感覚が私にとっては良かったんだろうなと思う。その後の日常の中で「自分がそんな風に思うようになるとは思わなかった」という価値観の変化が訪れた。自分でも驚く。変化だけじゃなく、何年も継続し積み重ねてきたことがいつのまにか自分の特技になっていたのだと気付くこともできた。
凪いでいる。
今がつらい人たちみんなとそれぞれ心ゆくまでゆっくり眠りたい。涼しくて安心できるところで熟睡して、起きたあとによく眠れたねってただそれだけを報告し合ってにこにこしたい。 よく眠れたことがよかったと安心したい。 安心して眠れるようになりたい。
今の私だからできる色々なことをしてみたいと思う。 自分が楽しいと思えることを少しずつ。 自分が安心できることを少しずつ。
今まで擦り減らしてまでやってきたことを否定することそのものが自分や他者を傷つけることにもなってしまうね。誰かのために擦り減らしながら動いてくれている人たちが沢山いることも忘れたくないから、私自身がやってきたことそのまま受け入れた上でこれからの人生を生きていきたいな。
自分を擦り減らすのもうやめたいな。
参列する場は私にとって病気の原因にもなっていた場でもあったからつらいものだった。不安障害もあって倒れそうだったのをマスクのなかで唇噛み締めて必死に倒れないようにして終えた。自分の中のその場の人たちへの思いだけが純粋なものであって、それ以外は必死に耐えることで精一杯だった。
数日前から吐き気と目眩で動けなかった。 やっとベッドから起き上がれるようになった。 固形物が食べられるようになった。 体調を崩す少し前、急遽ある人の式に参列した。 自分の楽しみにしていた予定は行けなくなった。 ずっとずっと自分の命や心をすり減らしながら生きているように思う。
すでにしっかりと、この体いっぱいに心の中に持っているものがある。大切な人たちから受け取った思い出も気持ちも大切にしたい意思も行動の源も持っている。
以前の私がどうしても欲しいと思っていたあれこれはいまだに手にしていないけど、手にしたり増やしてもいない今の環境が穏やかだと見つめられるようになった。他者から見たら私は「持ってない」ように見えるのかもしれないが、私の中は今もうすでに満たされていると気付いた。
布団にくるまって丸くなる。 寂しさ、痛み、空しさ、祈るようにして助けを求めたくなるけど、誰にも言えないまま。 ここにだけひっそりと書く。
泣きたくなる気持ちを薄い透明な膜のようなもので包んで飛び出さないようにしている。
ドラマのアンメットを観て余韻で胸がいっぱいになっている。暮らしの中で毎週アンメットを観ることがとても楽しみで、1話から11話みっちりどれも取りこぼしたくないくらいとても心に残っている。紡ぐ言葉も、表情も仕草も伝わる温度や優しさも、人を思う気持ちも、愛を感じた。大好きです。
ありのままの自分を見つめること。 自分を今抱きしめること。
外の空気の匂いとか風が肌にあたる感覚で、なぜか涙が溢れてくるときがある。それが今日だった。懐かしいような寂しいような気持ちになる。心地良さもある。