とるにたらない
とるにたらない
江國香織 さんの「とるにたらないものもの」
読んだ記憶があるようなないような、
読んだとしても恐らく、小学生か中学生くらい。
でもすごく惹かれている。僕のひらがな好き - 少なくとも、文字列の中でひらがなや漢字やカタカナの印象を強く意識するようなこと - は、彼女の影響だと勝手に思っている。
「取るに足らない」
些細なことと言えば聞こえはまだいいが、
つまらないもの、でもある。
でも、そんなものがたぶん僕は好きだ。
カメラを持ってすぐのころ、撮った写真を見返すと、何故写したかわからないような、まさに「取るに足らない」ものがたくさんのこっている。
いつでも撮れそうな青空とか。
変わらずあるビル群とか。
どんなにスクロールしても落ち葉、とか。
新しくもない、なくなる予定も、いまはない。
それらを眺めていると、なんだか温かい気持ちになる。ふうと一息つくような情景が、やはり好きだと思う。
しかし同時に、心を少し刺される思いがする。
なぜか。
この景色を特別だと思って、のこそうとして
もしくは、なんでも撮って、とっておこうとして
ワクワクしてシャッターを切っている様子が、
脳裏に浮かんでしまうから。
今はどうだろう。
ある景色に出会った途端、一目見た印象だけで
テーマや撮りたいものと合っているか、という
判断"らしき"ものをして
はじかれた景色に再会することはもうない。
判断"らしき"ものは往々にして(人によって)
"判断"になるので一概には言えないが、
少なくとも僕はそれが上手くない。
つまり、撮り続ける以外に
"判断"できる方法がないのだ。
結局それかよ、という結論だが、
これからの自戒のためにも、
書いておかなければならない。
撮るに足らなくても、撮ることには
何らかの意味があるかもしれないのだ、と。