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真宗坊主が語るヘブバンAngel Beats!コラボ②「Beautiful the Blood」
無限に生きたい 無限に生きられたら 全て叶う
でもいろんなものがあたしを追い込んでく
生きる残り時間 夢の座標 行方
全部大事なものなのに
いいさ ここらでちょっと甘いもの食べていこ
そういう思考停止ばかり得意になった
歩いてきた道振り返るとイヤなことばっかりでもううんざりだよ
触れるものを輝かしてゆく そんな道を生きてきたかったよ
コラボ第1弾を読了した私は、すぐにでも第2弾が来て欲しいと望んだ。第2弾が来れば間違いなく「Alchemy」のシーレジェ版が聞ける。そしてそれは確かに現実のものとなった。
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「Alchemy!?こんな序盤で?!」
コラボ第2弾の主役、渕田ひさ子の台詞も有名な「Alchemy」。真宗坊主である私はこの曲を聞くと、浄土真宗の御本尊「阿弥陀如来」を想わずにはいられない。阿弥陀如来はまたの名を「無量寿如来」「無碍光如来」とも言う。「無限に生きたい」が「無量寿」。「触れるものを輝かしてゆく」が「無碍光」。タイトルの「Alchemy」は「錬金術」、金でないものから金を産み出す行為のこと。仏になる功徳を何一つ持たないこの私を、金色に輝ける仏様に育て上げることこそ、阿弥陀如来の願力に他ならない。私のこじつけに過ぎないかもしれないが、この曲は如来様のような存在になりたいという、ガルデモのボーカル岩沢雅美の回向句なのだ。
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ガルデモは良いぞという話をしたところで本題に入ろう。ヘブバンAngel Beats!コラボ第2弾「Beautiful the Blood」は、アニメAngel Beats!の補完シナリオとして、私の期待を遥かに上回るものであった。初視聴時に、後日談として取り上げて欲しいと思った二点が、私の希望以上の形で補完されていたからだ。
①「死後の世界」である学園には自死を選んだ人は居ないとされるが、自死した人はどうなるのか。
仏教は三大宗教の中では、自死はそれほどタブー視されない。御釈迦様の弟子の中にも自死を選んだ人もいるし、即身仏を目指して過酷な修行を自らに課す僧は手の込んだ自死をしているようなものだ。
現代日本において若者の死因の第一位は自死である。Angel Beats!の登場人物の多くは生前、自ら命を絶っても仕方ないような酷い目に遭っているが、「自死したものは来れない」という設定である為、病死以外で死因が明らかになっている登場人物は、悲惨な出来事とは別に交通事故で亡くなったことにされている。もしそうした人物しか学園に来れないのであれば、「全ての命が救われる世界」とは言えず、何とも寂しいものだ。
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しかし本作「Beautiful the Blood」では、ひさ子の生前のバンドメンバーで、自ら命を絶ったはずの斬崎が「死後の世界」に登場し、彼もまた紆余曲折の後に救われている。
本編と続編で一見設定に矛盾がある。実は仏教の経典にも見られる。浄土真宗の所依の経典『無量寿経』には、阿弥陀如来はあらゆる衆生を念仏で救うが、親を殺すといった五逆の罪を犯す者や仏法を謗るものは救いから除かれると説かれているが、続編的な立ち位置の経典『観無量寿経』では、先代の王である父頻婆娑羅王を殺した阿闍世王や、その母の韋提希を通じて、五逆を犯した者の救済が説かれている。
先人方はこの矛盾を「抑止門」「摂取門」という言葉で解説している。何があっても子を大事にする良親こそ、子が悪事に手を染めることを咎めるように、重い病気を治す名医こそ、患者に健康に気を遣うよう促すように。経典が著された当時は、現代日本よりずっと日常的に殺人が行われていたからこそ、その罪の深いことを知らせるために、「救いから除かれる」と説かれてあるのだ。
Angel Beats!からヘブバンまで、ライターの麻枝氏は一貫して自死を咎めている。現代日本は若者の自死が絶えず、死にたくなるほど辛い人生を送った者を救いたいからこそ、死んではならないと説かれている。本作の設定は氏なりの「抑止門」「摂取門」であると私は解釈した。
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久遠実成阿弥陀仏 五濁の凡愚をあわれみて 釈迦牟尼仏としめしてぞ 迦耶城には応現する
物語の中で、斬崎の本名が「木崎久遠」であることが明かされる。これも偶然の一致とは思えない。阿弥陀如来という仏様は、本来は色も形もない、凡愚の身には不可知な存在。救い難き身を救うために、御釈迦様(釈迦牟尼仏)なる人の姿となって顕現し、あらゆる手立てを用いて衆生を救う。彼が死後の世界に現れたのも、ひさ子を救うために必要不可欠な存在だったからに他ならない。
②死後の学園から卒業したらどうなるのか
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ガルデモのボーカル岩沢雅美は、アニメAngel Beats!では世界観の説明役として、第3話という早い段階で学園を卒業している。当時から多くの視聴者が、彼女が死後の世界から消滅したことを「成仏」と表現した。日本人は無宗教と言われがちだが、未練を断ち切って世界から去ることを仏に成ると表現する程度には、仏教の知識が日常生活の中で身についているとも言える。
しかし、「成仏したらその後どうなるのか」については、ほとんどの人が知識として答えを持ち合わせていないのではないだろうか。
つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。往相の回向について真実の教行信証あり。
平たく言ってしまえば、往相とは穢土から浄土に生まれて仏になること。還相とは浄土に生まれた仏が穢土に帰りきて衆生を救うこと。往相還相のシステムが本願力一つ…南無阿弥陀仏で完成されているのだから、私はただ南無阿弥陀仏にまかせるのみであるというのが真宗の法義であります。
浄土真宗ではこの問いに関して明確な答えがある。仏様になった人は、この迷いの世界にかえってきてあらゆる命を救う。阿弥陀如来と同じ「無量寿」「無碍光」の仏様だから、いつでもどこでも、どんな存在でも救うことが出来る。
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「無限に生きたい 無限に生きられたら 全て叶う」。全てを叶えることが出来るのであれば、きっと貴方も、生前最も大切だった人を救いたいと願うであろう。だから物語のクライマックスでひさ子の前に岩沢が顕現したのだ。「往相」だけでなく、「還相」のシステムまでを物語を通じて描ききっている。Key作品は「全人類が救われる物語」を宗教の壁を取っ払って提供してくれると改めて確信させられる。だから私はKey作品がこのうえなく好きなのだ。
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