たまごとアボカド
今更ながらのnoteデビュー。
日常のエッセイを書くほど私の生活は面白くなく、世界に向けてお伝えする事は特に起きないし、思いついた事はすぐに忘れるし、日記も続かない。だからnoteを始めるキッカケは掴めなかった。
そんな凡庸な日々を送る私にも、人生36年目にしてnoteに書けそうなネタが舞い込んできた。
これはすぐに忘れる自分への備忘録であるし、人に話したい話題だがタイマンで話すと相手がかしこまってしまいそうなので、インターネットの海に放流する事にした。
ちょっとだけ話したいのだけど、そんなに重く受け止めなくても……というリアクションが返ってくるとこっちも重くなってしまう。だからぜひ、軽い気持ちで読んでほしい。
結論から申し上げると、2024年10月に子宮筋腫の摘出手術をした。
10年ほど連れ添った筋腫は低用量ピルで長らく様子を見ていたが、留まる事を知らない成長を見せてきたので、こっちも手を打つ事にした。
▼入院・手術となった経緯
7年ほどお世話になっている町の産婦人科医師から、内診中に「そろそろ二つの子宮筋腫が大きくなってきたから、手術か他のホルモン療法に切り替える頃合いですね。ちょっと考えてみて」と告げられる。
10年前に発見した時は2cmと3cmだった。今は6cmと6.5cm。
モノクロームのモニターに映る、アボカドのような形の双子を見つめながら、ぼんやりと「そうだなぁ、最近はもうピルの効果なんて感じないしなぁ」と手術する事を決める。
ここは町の小さな産院のため、分娩はしているが婦人科手術は行っていない。手術するなら近くの総合病院か、となりの市にある婦人科に特化した総合病院かどちらかと提案された。
よくわからんので、特化してる方がいいだろうと後者を選んだ。
▼こんにちは、大病院~初診~
7月の後半、病院の予約を取り、紹介状を握りしめて門を叩く。
女性の医師(Sさん/仮名)に当たり、少しほっとした。ハキハキ喋る、軽快な雰囲気の明るい医師だった。
これまでの経緯と、症状を伝え、内診。
所見はかかりつけ医と同じだったが、「うーん、今日まだ時間ありますか?MRI撮れそうなら撮っちゃいたいです」と聞いてきた。
「大丈夫です」と伝えると、どこかに電話をして、無理矢理午後に予約をねじ込んでくれた。
MRI検査を受ける前、待合室のテレビには「MRI事故」についてのビデオが延々と流れていた。金属製のハサミやパイプ椅子がMRIにぶっ飛んでいき、機械が破損して大事故になるという映像だ。こんなものは持ち込んじゃダメ、身体にペースメーカーが付いてる人はダメ、など沢山の諸注意が恐ろしい光景と一緒に流れてくる。これ教習所の事故ビデオっぽいな…と思いながら、寒い待合室で検査着のまま30分ほど待った。
さいわい、ネイルをしていなかったので即MRIを受けられたが、ジェルネイルやまつげエクステ、タトゥーなどをしている人は要注意だ。
MRIの検査結果は2週間後、8月になるという。
▼2度目の受診~MRI結果~
8月の頭、2度目の受診。
最も大きい6.5cmの筋腫は、膀胱を圧迫して変形していた。
その6.5cmと6cmの他、モニターには数えきれない程の筋腫が映っていた。輪切りの腹の横から、縦から、様々なカットから見える丸、丸、丸。
大小さまざまな筋腫が、子宮に無数にビッシリとついており、MRIの映像だけでは正しい数をカウントできないと言われた。
笑ってしまった。一筋縄ではいかない所が自分らしいと思ってしまった。
この肉体は私が嫌いなのである。閉経するまでせいぜい苦しめと牙を向いている。
S医師は「できるだけ手術で取れる分は取っていくが、1cm未満のものは取り切れない場合がある。筋腫は取れば取るほど出血するので、身体にダメージがある」と言った。
当初は腹腔鏡手術で済むという話だったが、MRIの結果により手術方法は腹腔鏡と開腹、どちらも行う〈腹腔鏡補助下子宮筋腫核出術〉となった(喋ってみると絶対に噛む)。
筋腫を取れば取るほど出血する手術なので、その場合は出血した血を機械を通して清めて戻す〈セルセーバー(回収式自己血輸血システム)〉で輸血し、それでも間に合わない場合は血液製剤による輸血を行うという。
入院日程は5日ほどで、療養生活は2週間。
入院の予約をその場で取り、10月1日入院、2日手術という日程となった。
入院までの間、〈レルミナ〉という卵巣からの女性ホルモンを抑え、子宮筋腫を小さくする薬を飲む事になった。
つまり手術で取りやすいようにコンパクトにしときましょ、って感じらしい。
副作用があるので併せて飲んだ漢方薬が死ぬほどマズい。革靴の裏みたいな味がする。舐めた事ないけど。
▼入院1日目
10月1日、午後に入院となった。
入院までは好きなものを食べるぞ、どうせ絶食で食べられなくなるからな!と、ロイヤルホストでパフェを食べたりマックやスタバも、カロリーなど気にせず食べた。ちょっと前まであすけんに入力する摂取カロリーを気にしていたくせに、ここぞとばかりに強気である。
入院のための手続きを終えると、即コロナのPCR検査を受ける。入院1週間前に毎日検温して、コロナ症状がないかなど指定のプリントに記入していたものを提出する。結果が出るまで病室で1時間待機した。
結果が来るまで、部屋で荷物を解いた。個室には、シャワー室、トイレ、洗面台、テレビ、Wi-Fi、ipadがついており、アメニティのないビジネスホテルという雰囲気で綺麗だった。
コロナ検査の結果は無事陰性。その後、入れ替わり立ち代わり、看護師や麻酔科医師、薬剤師などが説明や採血などに来た。
この時点で下剤を飲まされた。
手術のスケジュールは、部屋のテーブルに置いてあった用紙にドドンとマーカーで書かれている。
10月2日、10:50(予定)。
明日の昼にはもう手術台の上か…と思うがいまいち実感が湧かない。
入院ルールを読むと、シャワーは17:00まで。夕食は18:30。シャワーは夕食までの間に早めに済ませ、あとはYouTubeを見ながら過ごした。
夕食は常食で、豚の生姜焼き(こまぎれ)だった。以降は絶食となり、水とお茶のみOK。朝7時までに飲水を終わらせ、以降は飲水禁止。
体調は元気なので、ベッドに横になるのも違うな…と思い、どう過ごしていいか分からずソワソワしていた。当たり前だが、朝まで救急車の音がずっと鳴っていた。
消灯は21時。ちょうど眠くなったので、さっさと寝るかと目を瞑ったが、23時には目が覚めた。
結構ぐっすり眠ったけどな……?と思ったが、それから2時間ほど眠れなかったのでアマプラでアニメを見た。
しばらくすると入院してすぐに飲まされた下剤の効果が出て、お通じが済むとすぐに眠くなった。
▼入院2日目~手術日~
翌日は朝6時には目覚めた。7時まで飲水可能なのでグビグビと水を飲んだ。
「術後3時間は飲水禁止」とスケジュール表に書かれていたので、約12時間は水が飲めないのでこれが最後の水となった。
06:00 起床
07:00 飲水禁止、点滴開始
09:00 手術着に着替え、トイレを済ませておく、自由時間。
10:45 看護師から手術が遅れる旨を受ける
11:00 病棟から手術室へ徒歩で移動
この移動が一番緊張した。手術室までの道筋ではアレルギーなどの有無や手術歴などの確認を繰り返しヒアリングされた。
手術室の壁は漂白されたように白く、天井が高い。照明が非常に明るく眩しかった。
せわしなく看護師たちが準備をしている。医師、看護師含めて10人以上いたと思う。看護師に自分の生年月日と名前、これから行う手術の内容を伝える。
自分で手術台に上がる時、なんかDir en greyのMVみたいだな…と思ったが、あの世界観で手術したら絶対に成功していない。
手術台に乗って、笑気麻酔の透明なマスクを載せられたが最後。
新宿の思い出横丁でしこたま飲んでゲロを吐いた日の酩酊感に似た感覚を思い出した。その後の記憶はもうない。
手術後の記憶はずっと暗闇だった。
意識はあるけど目が開けられなかったし、声もうまく出なかった。
代わるがわる看護師や医師から話しかけられるが、かすかにうなずく事しかできなかった気がする。
身体中、いろんな管に繋がれているのはなんとなく分かった。
部屋に戻り、家族から話しかけられた時にやっと声が出せた。水が飲めないので、声がうまく出せず何を言っているか分からなかっただろう。
姉から水を含ませたティッシュで口元を濡らしてもらった。
「これ末期の水では……実は死んじゃったのかな……」とうっすら思ったが、この時点では水が飲めないので非常に有難かった。
2つ、3つ会話をした後、面会時間が終了したので家族は帰った。
その後、執刀医のS医師が来た。暗闇の中で衝撃的な結果を聞く。
「お疲れ様でした。手術の時間は3時間半の予定でしたが4時間半。開腹したら子宮内膜症があって、大腸と子宮が癒着してました。まずはそれを剥がすところから始まったので、大がかりになってしまいました。結果、取れた筋腫は35個です」
35。35……!?歳の数だけ取ったって事……!?
「取れたのが35……って事はそれ以上あったって事ですよね……?」
「はい、1cm以下の小さいものは取り切れませんでした」
「ありがとうございました……」
衝撃的な数が頭の中でリフレインした後、すぐに記憶を手放した。翌朝まではっきり覚醒する事は無かったが、1時間毎に看護師が血圧と酸素、体温のチェックをしに来てくれているのはぼんやりと分かった。
血栓防止のために両足についているポンプの「シュー……コー……」という音と、遠くで聞こえるナースコール、赤子の鳴く声、救急車のサイレンだけが一晩中響いていた。
▼入院3日目
朝、目覚めたら検温、血圧、酸素をチェック。体中のいろんな管は抜かれ、点滴のみ残った。
看護師2名により身体拭きと着替えをサポートしてもらい、初回の離床訓練が始まった。
どこもかしこも痛いし、頭も痛いし、喉も乾いててカピカピだし、おそらく見た目は完全にエイの干物(気になる人は画像を検索してみてね)。
私よりずっと若い看護師さんの腕を借りて、ベッドから個室のトイレまで歩いた(4歩)。
たった4歩歩いただけで看護師さん2名にすごいすごい!と褒められ、赤ちゃんに還っちゃった気分だった。
少し嬉しかった。エイの干物、完全に調子に乗る。
お昼からは食事が出るので、後はゆっくりしてください。食事の後は病室内を自分で動いてみてくださいと言われたが、4歩からのステップ早いな……と思った。
トイレ以外動けず、術後熱で発熱しており頭が痛いので持ってきた本やテキストなども開けず、この日も寝るのでいっぱいいっぱいだった。
▼入院4日目
一晩中、熱と頭痛に悩まされる。
手術で二酸化炭素ガスをお腹に入れて、パンパンに膨らませる必要があり、そのガスの影響で肩こりなどが起こる。痛み止めや、温タオルなど看護師さんに貰うが全く効かなかった。
この日から、食事の下膳は自分でナースセンターまで戻す事になり、ヨボヨボとなりながら半分も食べられなかった食事を返した。食べると気持ち悪くなったが、食べないとお通じも出ないし、体力もつかないから頑張って食べたが1/3が限界だった。
歩行訓練で血栓や術後の癒着を防がなければならなかったが、とにかく具合が悪すぎて出来なかった。せめて少しでも動こうと、脚の指をグーパーしたり、ふくらはぎを動かしたりした。
看護師さんから「おならでた!?うんちでた!?」と毎回聞かれてちょっと恥ずかしかったが、出た事を素直に報告すると喜ばれるので、完全に赤ちゃんの気分である。
社会人になってからうんちとおならして褒められる体験ができるなんて。
~退院前診察~
夕方、退院前診察へ向かった。
S医師と、実際に録画した手術映像の画像で自分の子宮を見た。
画面に映ったのは、想像している子宮の形をしていなかった。
子宮は、鶏の卵ぐらいの大きさをしているという。目に映るのは、鶏もも肉の内側みたいな写真だった。
そこには、子宮内膜がべったりと癒着して、ボコボコと泡立つ無数の筋腫。
アボカド大の筋腫、中くらいの、小さいの、もはや意味がわからん大きさのもの。
*子宮内膜は、大腸と子宮に癒着して骨盤内に大腸を巻き込んでいた。
*卵管は歪み、「管」とは言えない形をしており、これを剥がすと卵巣まで摘出しないといけないため、そのままにした。
*筋腫は取れるだけ取って、35個。
*膀胱を圧迫していた筋腫を取り除き、膀胱は正常な形に戻った。
*出血量は750~800mlあったが(帝王切開だと1000ml程度らしい)、今回はセルセーバーの範囲でおさまった。
所見は子宮筋腫2つ。腹を開いてみたらこんな有様であった。
所見はあくまで所見である。
開いてみないと分からない事ってあるよね。
分かる分かる、仕事もそうだよね。簡単そうだと思ったらめっちゃめんどくさい案件だったみたいな事スッゲーあるもんね。
この機に悪い事全部まるっと治せたと思えばオールオッケー!!
しかし、医師には「子宮内膜症は非常に再発率の高い病気です。今後はピルではなく別のホルモン治療を考えていきましょう」と提案された。
〈ジエノゲスト〉という月経痛や子宮内膜症、子宮腺筋症などの治療に用いるホルモン剤での治療方針になった。
部屋に戻ると夕食の時間となった。夕飯のお献立は、なんとヒレカツ3枚。カツ…!?いくら全粥から常食に戻ったからといって……
「手術に勝つ」ってコト……!?と思いながら、体力を戻すために頑張って2枚食べた。でもキツイわ、カツは。
この日も熱と頭痛で眠れなかった。看護師が廊下を歩く音、隣の部屋の生活音、ナースコール、救急車のサイレン、赤ちゃんの泣き声、すべて耳障りで頭に響く。持ってきた耳栓もあったが、耳を圧迫するのもストレスで出来なかった。
22時頃、38.3℃まで上がった。
ロキソプロフェンでは熱が下がらず、カロナールで37.8℃まで下がった。
翌日の朝は退院予定なのだが、熱があると退院できない。早く家に帰りたいと祈りながら朝を待った。
▼入院5日目
朝の採血、血圧、検温の結果で、退院が決まる。
目覚めた時点では37.6℃あったが、冷たい緑茶を一気飲みしたら37.1℃まで下がった(マネしないでください)。
採血の結果、まだ炎症の数値が高いが、帰っても良いと言われ、薬を貰う。
う、う、うれしい…!!
家族に荷造りをほとんど任せ、ナースセンターに挨拶をして、総合受付で会計をして退院した。
マイナ保険証で限度額適用認定をしていたので、想定の範囲内で済み、食事代や部屋代、全額込み込み価格だった。
歩みはモンスターズユニバーシティのかたつむり(スラッグ)ぐらい遅い。
有難い事にお迎えの車を用意してもらったので、楽に帰宅できた。
いろんな人から退院祝いのLINEギフトでスタバのチケットを貰った。しばらくスタバはチケットで飲みまくり富豪だ。
以上が、私の入院・手術の記録である。
人生初の開腹手術で、戸惑いと不安だらけだったが、医師や看護師、家族や周りのサポートで安心して手術に挑めたし、ここまで回復できた。
払っててよかった健康保険、やっててよかった限度額適用認定!
この文章を読んで、どこかの誰かの不安を取り除ける一助になれれたら幸い…とまでは言えないが、一つの例としてこんな手術があるんだなと受け取ってもらえたらいい。
ここからがしんどい療養生活なのだが、長くなるのでまた別の機会に書けたら書こう。
次は、入院準備編!(つづく)