ドラマ「アシガール」を改めて見て、思ったこと。

昨日の記事を書くにあたって、ドラマ「アシガール」を数話だけですが改めて見ました。その時に感じたことを書きたいと思います。

唯と若君は、同世代なのに、まるで大人と子供ほど違っています。若君と比べると、唯はすごく幼く見えます。

これは、現代と戦国時代の対比なのだと、私は思っています。

命をかけた戦いが日常化する時、人は大人にならざるを得ないのだと思います。
昔の日本兵の遺書や家族に宛てた手紙などを見ても、同じことを思います(二十歳そこそこの若者が書いたとは思えない成熟した文章を目にすることがあって、驚きます)。

私は大人びた、抑制的な若君に魅力を感じます。
しかし、その魅力は未熟な若者が時代の荒波に翻弄されまいと必死にもがく中で、身に付けざるを得なかったものに過ぎないのではないかと思うことがあります。

その人の葛藤や苦痛を無視して、「控えめでいい」とか「かっこいい」と感じてしまうのってどうなの?って、たまに思うんですよね。なんだかすごく身勝手で残酷なんじゃないかって。

主人公・唯の無邪気さ、良い意味での幼さは、平和の産物なのです。唯の幼さは、無理やり大人にならなくても良い時代と場所に恵まれたことを象徴しているように感じられます。

現代人の幼さは、悪い意味で捉えられがちな気がします。しかし、ドラマ「アシガール」を見ていると、それは少し違うのではないかと思います。


今日は以上です。

今日書いたこと以外にも思ったことがあるので、このドラマに関連する記事は、ほかにも書くかもしれません。

お読みくださり、ありがとうございました。