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海外在住ブログは便利になりたすぎ

最新で正確かの裏とりは読み手がやること

ほんとは「役に立つ」と書いたんだけど、いくらでも解釈があるから「便利」に狭めた。とくに最近、べとまる(ベトナム移住後の2012年にはじめたベトナム紹介ブログ)をまた書くようにしていて、そのテーマがとある観光地。あんなことがあった、こんなことがあった、と書くんだけど、観光地としてのアクセスや料金もろもろはほんとどうでもいのね。

「そういえば昔からそんなとこあったな」と思って。以前、あるサイト運営者の方に「この店移転したので住所変わりましたよ(べとまるの記事の情報古いですよ)」と指摘されて、たぶん対応したと思うんだけど、実は自分にはどうでもよくて。きっちりした人だな〜真似できんわと思った。批判されようとも、俺はだれかに最新の正確な情報を届けることに一切の興味がない。そりゃ嘘をつく訳じゃない。でもそのあとの話なんてひとりで把握できることじゃないし、情報は古くなるし、日付も出してるんだから裏付けは読み手がとりなって思っちゃう。

Googleの前で便利である価値なんて

改めてじっくり考えてみたら、便利であることに価値は大してないんじゃないかと思えてきた。だって、なにかを知りたいときに並行して記事を読む(情報収集)することはなにも珍しくない、というより、ひとつしか読まないならどんだけ信頼してんだって話。Google Mapsで場所を検索すれば、住所も写真もぜんぶ分かるし、それをわざわざ自分がカバーする必要なんてどこにもない。と思う。なにしろ今は、Googleの検索画面ですでに情報は抽出&まとめられていて、ユーザーを楽させるために、結果として、ページへの導線すら邪魔してるからね。最近、手のひら返して牙剝いてるよ。Googleさん。

そんないくらでも調べりゃ情報が溢れかえってる世界で、辺境の1サイトが「便利であることの意味」ってどんだけあるんだ?…と考えたんですわ。もちろん地図を出すことで「実在するんだ」というリアリティを出すことはできる、「けっこう遠いな」という距離感を伝えることはできる。そういう目的なら話は変わってくるけど、「アクセスはこうですよ」「料金はこうですよ」「あれこれに困ったらこうしてね」と、媚びるくらい読者に便利である意味ってどんだけあるんだ?(二回目)…と思う。

まぁ、でも、Googleが便利になったのもそんな便利なサイトのお陰でもあるから、鶏と卵のどちらが先かって話でもあるか。とはいえ、放っておいても便利に突き進む世の中で、便利であることってやっぱり差別化における価値を失っていくと思うのね。これは批判ではない。やるならそれ以外で、って話。

海外在住ブログは便利になりたすぎ

こと海外在住者ブログには便利情報が多い気がする。それはたぶん、海外生活における便利の価値が大きいからだ。だからこそ、あの人もこの人も便利なことばかり言っている。それをつづけるだけでも、「便利を与えてくれたうれしい存在」になれるんだろう。俺も別に便利になりたい訳じゃないんだけど、それっぽいことを言われてきた。でも、それだといつまでも「在住者御用達ブログ」から抜けられない。いや、抜けるつもりもないのかもしれないけど、そんな没個性でどうすんのさとは思ってる。

便利なだけはつまらんぞ。

ぜんぶうまい棒につぎこみます