おきのえらぶ島移住から一年、これまでを書いた記事で振り返る。
今日でえらぶ移住一周年
今日7月8日で、おきのえらぶ島に移住してから丸一年が経ちました。
早いもんですね。
と言いたいところですが、長かった気もします。少なくとも友達も思い出もたくさんできました。ベトナムで出会う日本人は、仕事・年代・出身など、日本ではまず会わない人ばかり。異国では「日本人」であることがひとつの共通項になるからですね。それがおきのえらぶ島では「移住者」という共通点がある。とはいえ、友達は移住者ばかりでないです。それをなんと呼ぶのかと考えたとき、言われ尽くした言葉ですが「地域おこし」な気がします。
もう少し砕けて言うなら、えらぶを盛り上げたい。アプローチは違えど、そんな共通の想いを持つ人たちとつながりつづけた一年だったなと思います。
一年でやってきたことを振り返る
振り返ってみたいと思います、一年を。
さいわいライターという職業柄、都度都度インターネット上に経験と思いを書き綴っているので、つくってきたものとともに振り返っていきましょう。
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公開は昨年11月ですが、移住間もない頃の取材。和泊町は東カリブのドミニカ国のホストタウンであり、担当の吉成大さんに舞台裏をうかがいました。「和泊町庁舎きれいだなー」とまだ新鮮味を感じていたけど、それからいろんな用事でめちゃくちゃ行き倒すことになるとは思ってもみなかったなー。
あと「だろうな」とは思うけど、大さんともめちゃ仲良くなった。
知名町うじじ浜を拠点に3年以上に渡りビーチクリーンをつづけるうじじきれい団こと竿(さお)ファミリーの取材記事です、お父さんの教育観について触れています。うじじきれい団は移住当初からすごく耳にしていたので、一度シッカリ話を聞いてみたかったんです。SDGsという世界の流れに先んじて自然体で歩んできた島ですが、そのトップランナーとも言える家族です。
えらぶ生活を楽しみながらも、ぼちぼち島外にも出てみたいと思っていたタイミングでいただいた本土への出張記事その1。地域おこし関連の雑誌では有名なTURNSさんの案件。これに先立ち、鹿児島×TURNSのオンラインイベントに呼んでもらい、その流れもあったからご依頼いただいたと思います。
そのイベントでつないでくれたのが新潟県十日町市を拠点とする大塚眞という漢で、彼とは5~6年前のベトナムの宿で会ってるんですが、ここでこうクロスするとは、だから出会いはやめられまへん。地域おこしの先輩です。
つづいて出張記事その2、甑島。おきのえらぶ島への移住以降、はじめてのほかの離島ということで、共通点も違う点もものすごく勉強になりました。ヤマシタケンタさんに会えたのも大きい、地域おこしの文脈でどういう先例があるのか触れられたし、その先に広がる世界を垣間見れて刺激になった。
この仕事は非常に思い出深いです、この一年で1,2番に。和泊町経済課の依頼で、地元水産業を盛り上げる地域おこし協力隊の募集記事を書かせていただきました。執筆時になにげなく書いた「シーフードプロデューサー」という肩書きがそのまま正式採用されちゃって。着任した方から話を聞くと、この記事が直接的なきっかけという訳でもないんですが、人ひとりが拠点を変える、人生を変えるという場面に立ち会えたという点で貴重な仕事です。
あと、なにげに昔の夢だったコピーライター的な仕事ができました。
https://www.youtube.com/watch?v=1ZcFgqHoLa0&list=PLaVZsjF2dyksAPLSwonBiZwcfPYVF-aqf
和泊町企画課からの依頼で、シーフードプロデューサーに並んで思い出深い仕事でした。和泊町が移住者を増やす施策として、イベントや移住フェアで使える動画をつくろうというもの。動画のタイトルは「えらぶぐらし」というのですが、はじめの相談から納品まで半年に及んだという点で、この制作工程そのものが私にとってのえらぶぐらしとも言えます。また、地元テレビ局のサンサンテレビさんといっしょにお仕事できたのがとってもよかった。
最後の一週間はサンサンテレビ森さんとスタジオにこもって編集作業をしたのですが、文化祭のような、大学のサークル活動のような、そんな楽しさがありました。だれかといっしょにものをつくる楽しさを改めて感じられた。
観光協会さん経由のご依頼で、南西旅行開発株式会社さん運営の新メディアでの寄稿です。ふたつありますが、全力で興味のある「石」について執筆。えらぶの文化歴史民俗には以前からうっすら興味を持っていたんですが、これでようやく入口に。やっぱりライターって出会いに恵まれた仕事ですね。
同じメディア「しまのま」で、島のおすそ分け文化について書きました。島に限らず田舎あるあるですが、都会に比べてもので溢れていない代わりに、ゆるい物々交換が行われているんですよね。流通するのはものだけでなく心もという。あれ、そんなキャッチコピー、バブル期あたりになかったっけ。
https://ritokei.com/pickup/k35_12_16_5
ritokeiこと離島経済新聞社さんの、「おいしい!たのしい!島の魚食図鑑特集」に沖永良部島制作担当として関わらさせていただきました。上記はウェブページですが、その魅力はやはり季刊誌で感じてもらいたいと思います。
ritokeiさんの存在は移住前から知っていて、ぼんやり関わりたいなーと思っていたら、とある友人と知り合いの間くらいの人から「ライター募集してましたよ」という話を聞き。それは古い情報だったんですが、履歴書を送ってお話をして、と、そんなやりとりを経て、今回の特集に参加いたしました。
私のこれまでの仕事は8割以上がウェブで、紙は少なめです。経験がまったくない訳ではないけれど、多めの文字数ドカンのウェブと違い、少なめの文字数がいくつかあるとか、やはり紙は一発の気合というか重みが違うとか、当然媒体にもよるんでしょうけど、ものすごく勉強になりました。また、これはオンラインイベントのスピーカー参加もセットの案件だったんですが、リトケイファンの世界を一端ながら感じられたのもとても有意義な経験。
https://amami-minamisantou.keizai.biz/
まだちゃんとSNSでも報告していないのですが、奄美群島南三島経済新聞という、知る人ぞ知る「みんなの経済新聞ネットワーク」の奄美群島南三島版の立ち上げ記者として関わっています。私には珍しく著者名が出ない仕事。声をかけていただいた方とかねてから仕事してみたかったということと、南三島(与論島と徳之島と沖永良部島)が連携をとることによって生まれる、バイブス(!?)みたいなものへの時間投資みたいなところもあります。
そもそもそういう、「なんかいい匂いがするところにまずは行ってみる」というキャリアの築き方をしてきたので、そういう部分を常に持っておくことは大事だなぁと思います。なにせ、メディアは、出会いのハブなのだから。
で、そもそも私がおきのえらぶ島に移住した直接的なきっかけは、Abebe TVというYouTubeチャンネルの立ち上げなんですよね。ざっと記事を紹介してきましたが、動画は動画でちょこちょこ撮ってきた訳です。その中でも思い出深いものをいくつか。上記は「えらぶいろ」さんがつくっている「ジャガイモねんど」という、廃棄予定のジャガイモと、マンゴーの副産物の蜜蝋、そして島の天然素材由来の色素からつくられた粘土のクレイアニメです。
漂着ゴミで怪人になってみたという企画。どうも私はコスプレ願望があるみたいです。が、たぶんだれもこれをコスプレと認めてはくれないでしょう。
https://www.youtube.com/watch?v=2Os0BspqSFA
ヤギに草むしりさせた動画、謎に、あとそろそろ1万再生いく主力。
https://www.youtube.com/watch?v=syK9qPA8cT4
路線バスの旅、島のインフラを使った企画というのはそれだけで楽しい。
サムネイル見たまんまの企画です。正直、もっと再生数いくと思ったけどなー。ただ、肌で感じる島内の反響は一番大きかった気がします。
そのほかのトピックとしてはこんなことがありました。どれもこれもビッグニュースなんですが、なんかそろそろ疲れてきたし、読んでる人も疲れてきたと思うので詳しくは書かないです。ご飯焚けてるから夕飯にしたいです。
■広報わどまりでインタビュー記事掲載
■沖永良部高校でライターについての授業
■屋号を南国書斎に変更
■クラウドファンディング目標達成
■GINO-Tが鹿児島県の起業支援事業に採択された(これは本当にデカイ)
これからは、こんなことをやっていきます。
■法人設立
■方言Tシャツつくる
■月桃を使った弁当箱の開発
■ライタースキルを伝え広める(えらぶの情報発信力の底上げ)
どこでも行けるからここをえらぶじま
すみません、「どこでも行ける」は嘘です。
つい先日、ある方から「水嶋さんはえらぶに定住しないと思ってた」と言われて、どういうこと?と聞いたら、「えらぶに住まなくても仕事ができるから」だと。ライターという仕事は取材先あってのものなのでそんなこともないんですが、そういう力があるように見られているのは悪い気はしません。
ただ、こうして身体を持って生まれている以上、どこかには身を置いている訳ですよね。正直なところ、そこで自分が身を置きたいところって、今時点ではえらぶ以外にないのです(国内では、という補足もあえてつけとく)。
ただ、鹿児島県からの事業支援が決まって、きっと生活コストだけを考えるなら、市内に住んだ方がいいんでしょうね。その方が、出会いも多いでしょうし、都会なのだから、なにげに焦っている婚期も近づくかもしれません。
それでもえらぶにいつづけるというのは、まずえらぶで足場を固めたいというビジネス事情もあるけれど、シンプルに友人と思い出ができたからです。いろんな面で多少きつくても、頑張ればなんとかなると思ってここにいる。それに、えらぶに来てからずーっと運がいいんですよ。ご先祖さまに感謝。
でも、私がこれからやることがうまくいくかはわかりません。状況によっては約10年振りに日本でサラリーマンになるという可能性も捨てきれません。ただ、この一年を通して、解決したい課題とまだ見ぬ仲間の存在への確信、アプローチと、将来の自分への信頼は積み上げられたと思うので、いっちょやってみたいと思います。みなさまこれからもよろしくお願いいたします。
もののついでだから書いておくと、Facebookにいろいろ書くから忙しいと思われがちですが、友人の多くは既婚者なので、遠慮するところもあり、ふだん暇してます。やることは山積みですがマイペースです。要するに、構ってください。だいたい昼寝してます。「交流」の時間枠に対して、めちゃ暇。