今日の思想 2022/06/21

日記

火曜日。
8:40ごろ起床。7:30のアラームを止めたり8:00のアラームを止めたりした記憶はある。平日は全然起きられない。起きようとする気持ちが足りない。昨晩プラスチックごみをまとめるのを忘れて寝てしまったが、起きたら捨てていただけていてよかった。
お昼をトーストで済ませてしまいがち、家から出ないがちなので、たまには何か買いに行くか〜と思ったところちょうど雨。雨なんかに挫かれてたまるかよと思って外出したところ本格的に降り始める前に行って帰ってくることができた。
住んでいるマンションの1階の部屋が退去したらしく、内装のリフォームが入っているようだった。出ていったことで初めて、そこにも誰かが住んでいたことを知る。小型スーパーで買ってきたお
にぎりとカップ焼きそばとくるみ蒸しパンを食べる。
『短歌のタイムカプセル』を読み終わる。面白いな〜と思った人は8人。ここからそれぞれの歌集を読んだりしていくのも面白そうだとは思うが、そこまでの情熱が今のところない。今借りている本を返しに行くときに図書館で探してみようかと思う。

面白いなと思ったうちの一人、奥村晃作さんについて調べるうちに「ただごと歌」と言う概念を知る。

歌論用語。「ただこと歌」とも。『古今集』の「仮名序」で、「六義(りくぎ)」の一つに、「いつはりのなき世なりせばいかばかり人の言(こと)の葉(は)うれしからまし」の歌を例に引いて、掲出されている。詩論の「雅(が)」に相当し、古注では「事の整(ととの)ほり、正しきをいふなり」と道義を詠んだ歌と解しているが、しだいに譬喩(ひゆ)などは用いずに、日常のことばで直叙したものと解されるようになった。『歌経標式(かきょうひょうしき)』の「俗人ノ言語ト異ナルコト無シ」という「直言(ただごと)」や、『土佐日記』の「なぞ、ただごとなる」に通じるものがある。小沢蘆庵(ろあん)の、歌とは、「ただ今思へることを、我が言はるる詞(ことば)をもて、ことわりの聞ゆるやうに言ひ出(い)づる」(『布留(ふる)の中道(なかみち)』)ものでなければならない、という歌論で、実作の目標となった。
[小町谷照彦]

小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)

めっちゃいいこと言うな〜〜〜小沢蘆庵。誰だか知らないけど。「ただ、今思ったことを、自分の言える言葉で、わけがわかるように言う」だって。そうそう〜〜〜そういうのだよ〜〜〜と思う。そういうのが読みたいのよ。ふつおた。みんなのふつおたが読みたいのよ。ネタハガキじゃなく。その中にその人の視点とか感性とかを感じさせてほしいのよ。雲が何に見えたかとか教えてくれよ。
「ただごと歌」という言葉は心に刻みつけて、何か創作をするうえでの指標としなければならないと強く思う。まんまと勉強になっている。

仕事では、いい結果を出したのにそれはそれとして別のことで怒られるなどする。辞めてやろうかなと思いつつ、今よりいい条件の仕事を見つけられる気はしないと考えながら20時に閉店。
短歌研究の新人賞が発表されたとのことで、買ってきていたのを借りて少し読む。大賞作品を読んだところおもんね〜〜〜テーマだったので、「おもんね〜〜〜!!!」と叫びながらブリッジをしたら背中を痛めた。こういうのが大賞になる賞かぁ。Not for meですねと思う。
夕飯は冷やし中華を作っていただく。食後、ベランダにタバコを吸いに出たら雨はそこまで強くないのに風がめっちゃ強く、吹き込んできた風雨でびたびたになる。

使っているiPhoneのケースが経年で変色してしまっていて、いまいち見た目がよろしくないのだけれど、iPhoneケースの本来の目的であるところの「iPhoneを保護する」と言う目的はまだまだ立派に果たしてくれているしなぁ、と思うと買い替えるのが勿体無い気がしてきてしまって思いとどまる。まだ使えるものを買い替えるのがいちばん難しい。同じような透明なものを買おうとしていたので明確なアップデートでもないし。「周りの透明な柔らかいところが綺麗な透明であること」がiPhoneケースの本懐であるのであれば、このiPhoneケースも納得して捨てられてくれると思うんだけど。

「同じ人間だからわかり合える」という宗教

が存在すると思っている。みんな盲信的にそれを信じている。
政治や人種や性的マイノリティや、いろいろなことについて意見を戦わせて、あいつらは何もわかっていない、と言う。けれど、根っこでは「言えばわかってもらえる、分かり合えて当たり前だ、同じ人間なのだから」と思っている、と思う。思ってるよね。思っていなければ意見を戦わせたりしないだろ。自分の意見に納得してもらえると思ってるんだろ。
個性を尊重とか世界にひとつだけとかオンリーワンとか、そういう話はみんな好きなのに、ダブルスタンダードもいいところだと思う。同じ人間などこの世に一人もいないと思う。本来、あなたと私は殺し合ったっておかしくない全く別の個体ですよ。わかり合えなどしなくて当たり前ですよ。
というようなことを言うと、「寂しい考え方だ」とか「冷笑的だ」と言われることがあるのだけれど、個人を尊重しましょう、という考え方と行き着く結論は同じところだと思っている。

テレビで紹介された、とインターネットでも話題になっていた、スリランカ上座仏教の長老が書いたアンガーマネジメントの本の、いちばん最初の「はじめに」に、「世界は思い通りになんかいかない」「勝手に希望をつくって、その通りにいかないからといって、その希望をつくった犯人は自分」という旨のことが書いてあって、なるほどなと思ったんだけど。
こうしてほしい、こうあるべき、という理想がある人は他人や世界に対する期待や希望も大きく、また怒りも大きいのだろうと思う。おれは世界に何も期待していないし、他者に希望を持たずにいたいと思う。

みんな敵だよ。仲良く殺し合って行こうな。

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