チェイサーゲームWは誰のための物語か

前提として

かっこいいアイドル、可愛い女優さん、というイメージだった2人の魅力をより深く知るきっかけとなったこのシリーズに心から感謝しています

ゆっかーとゆりかちゃんが今後たくさん活躍してくれたらいいな〜という期待を胸にとても応援してます

当事者(仮)目前での疑問と、ガチ勢(仮)目線でこれが最善だったんですかという疑問を思うままに書きます

本題

シーズン2を2話まで見て気になったポイントは2つ

  1. このドラマは誰のためなのか?

  2. 誰がターゲットなのか?

勝手な感想でしかないので結論から述べると

  1. 制作者たちのためのドラマ

  2. 1ゆえにターゲットが狭くブレつつある

と思っています

制作者のみなさんがいろんな意図や思惑、それぞれの思うリアリティやエンタメとしての面白さを詰め込んだ結果、いつふゆの行動が背景を考えないと飲み込みづらかったり、リアルと演出が入り混じり消化不良をまねいたりしているように感じます

ファンになってる人たちは
考察ガチ勢→当事者?
いつふゆ大好き勢→百合好き?
演者のファン→GLに抵抗がない人?
なんとなく見ている人→なぜ見てるのか疑問

マイノリティだから権利や存在が認められづらくて困っている人たちだけに人気あっても、マイノリティゆえに数を増やすのに苦戦する予想が立ちそうな中で、レズビアンの不倫が扱われるのは、当事者と百合好きの地雷として話題になるものなので、シンプルに布教や拡散しづらいのではと思っています

gagaoolalaってLGBTQ特化の配信サイトなので、菅井友香×中村ゆりかのビジュアルと樹×冬雨の可愛さで勝てる気がしましたが、国を増やせば母数も戦えるぶんになるということなんですね

気になるポイントがけっこうあるのは、余白を残すことで考察や議論を促し、余韻につながり……いろんな意味で記憶に残る作品になるのはいいことだとも捉えられます

いつふゆのてんこ盛りな性格も面白いです

樹の衝動性とか腕力は強いけど繊細な気付きはありつつ自分を大事にしない感じと、行動は大胆なのにクローゼットできているつもり……

冬雨の家事できないけどシゴデキで、毒親由来?の自分のなさもありつつ、大胆な行動もできちゃう

時系列とか時間間隔の違和感は樹さんのコメントが適当であると解釈

メタ的な、深夜ドラマであること、社会情勢、時間や予算の都合etc…

ビックリな演出が全くないのはドラマとしては暇すぎるのであったほうがいいというのもわかります

好きになったら自己矛盾もするし、行動も理性的でなくなるし、結婚できない現状簡単には両思いでハッピーエンドとはならないのも、ドラマとしてはよく出来てるのかも

このマイノリティのキツさをジワジワ表現するのはアサダさんの手腕だと思ってます
(hisを見て、そばかすは映画館まで見に行った感想)

シーズン2が当たるといいな

シーズン1からシーズン2の2話まで見た感想としては、どんな気持ちで見たらいいのか、誰をターゲットにしているのか、誰のために作ってるのかわからんというのが常にある気がします

ゆりかちゃんと、ゆっかーのファンになってしまった今では、cgw2が当たって今後の飛躍の糧になればいいな!って2人のためのドラマになってほしいと思ってます

ゆっかーは慣れた環境で演技をする機会を得ていて、ゆりかちゃんはL.o.v.e.で音楽活動に勢いがつきそうとか

映画につながればというファンも多い一方で、海外の配信サイトの熱に比べて、国内ではあるにはあるが映画にできるほどなのかは疑問な状態だなあとか

ゆっかーもゆりかちゃんも新人ってわけではなく、元々のファンも多いので、事情を知らない人たちは行動もよくわからないし、2人の事が好きだから見るけど内容には心ひかれないパターンもあるんじゃないかというシナリオに思います

違和感の原因


シリアスパートの理解を視聴者の自習に委ねすぎてはないかという点です

樹がクローゼットであることや嘘をついて別れを切り出したこと

冬雨が結婚を選び、シーズン1で家族を選んだこと、シーズン2の開始時点で離婚してないこと

これを裏付ける社会の状態がドラマ内で表現不足になっているように感じていて

日本や中国ではまだ同性の結婚はできないとか
中国は離婚が大変なんだよとか
毒親だか家柄の強制力
お国柄
etc…

お揃いのアクセサリークローゼットだったら付けられないですよ?
でもつけちゃうほどに好き、バレてもいいというちょっと自暴自棄とも若気の至りともお花畑ともとれる表現を意図してるのか?

とか

わけわかんないとか理解できないと思考を諦めても仕方ない内容ではないか

気になる周りの反応

2人がすんなり結ばれない世界ならば

それは冬雨の母親だけでなく周りの反応も同様である必要があったのではないかと思います

浩宇と月ちゃんが理解してくれていて、元同僚たちも応援してくれて、収入を得る職があるなら、そんなうまくはいかないというリアリティなんて既に破綻している

浩宇は理解したというよりは理解させられた
結婚相手が自分よりも他の人を思い日々衰弱していくのを見て、自分では満たせないことを実感させられた(冬雨が樹の嘘によって感じた気持ちをリアルとして感じている)
結婚相手が自分を一番に愛していないというキツさをテーマにしてもいくらでも作品を作れる(hisではそのシーンもあったような)

月ちゃんは小さい時に優しくしてくれた樹が相手だから好意的に受け止めているかもしれないが、親の不倫相手が子どものときに家に泊まり込み世話をしていた事実に大人になって抵抗を感じないとも言い切れない(育児放棄の親の代わりに不倫相手が世話してくれる作品はけっこうあって仲良くならないかもしれないが、育児放棄していないためになおさら抵抗もないのか?)
ただ好きである以上に性的な意味も含む好きをまだ自身が幼い時期に母親が優先しようとした事実を大きくなった月ちゃんが理解した時、冬雨や樹を好きなままでいられるだろうか(反抗期で違和感や嫌悪感、完全に大人になったら受け入れられるという未来があるかもしれない)

ヨルムの参戦があたかも三角関係に見える演出は必要だったのか
(ヨルムには好意的ですが、奪いに来るのは必要あるのかなという……冬雨に色々言うけど、それよりも長い間放置してたのはなぜなのかとか、納得できる説明が欲しいですね) 

最後に一番嫌なのは、

同性の不倫を軽視することです
それは
= 同性愛を軽視すること

だと思うから

異性愛と同性愛を同様に評価するならば
同性の不倫に対してもっと重く扱うべきだと思う

同性の不倫を扱うドラマの場合、本人たちは深く考えていてもいなくても周りの風当たりは強いものが多いのに、このドラマ同性同士への抵抗をあまり表現しないことを重視したのか、不倫があまり批判されていない

不倫をするのではなくて、不倫を批判してくれ!って思っていたところで、ヨルムが言ってくれたので報われそうですが、いつふゆガチ勢でもあるので挟まるのはちょっと遠慮して〜という感想です

誰かを傷つけるという説明
とか
樹を不倫して奪った人にしないために引いたと解釈できるとか
とか

同性は禁断じゃないけど、不倫は禁断でいいのでは?

適当に理由つけて離婚して、親と疎遠になってから日本に来れなかったのかとか、

そんなご都合主義だめというなら、特定して取引先変更したり、ばったり元同僚と会わないで!とかエンタメパートと混同しちゃう自分がいます

乗り越えてハッピーエンドだって信じたい

3話の追記)

ヨルムーーー!!!ってなる
可愛いし優しいし経済力もあるし可愛いし

冬雨の抗えなくてつらくてって気持ちもわかる

樹の自宅侵入はともかくカフェ巻き添えは酷すぎるけど、両方被害届だせるよ……

樹が可哀想に見えるけど、自分から親に支配されてるって理解した上で、冬雨に手を出して、樹なしでは生きてけない状態にしつつ、親の言いなりにならなくていいって冬雨に教えたのに樹が自分から親の言いなりになって別れを切り出したって流れ?
そうだとしたら、まだ乗り越えなきゃいけない試練の範疇というか、禊タイムかもしれない……
がんばれ……

クローゼットなのに公園で告白してその場でキスするのも色んな意味ですぐ手が出る樹……
可愛いけど常に流される冬雨?
1のパワハラ冬雨見て強くなって元気そうでよかったという樹の表情の裏付けなのか……?

4話で解決まで持ってて、その後ずっとハッピーとかあるかな?呂部長でてきてない!!!大変そう!

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