カミングアウトなんて呼び方をしなければいいのかもしれない

潜在的被害者意識?

まだ何もされていないのに、勝手に被害者意識になっていないか?

まだ何もされていないのに。

運がいいだけかもしれない。これから何かあるかもしれない。

でも、まだ何もされていない。

大学に進学してハッとさせられる出来事があった。

ある日その友人はさらりと言ってのけた。

私〇〇だから。

え、?言葉に詰まった。

どんな反応が正解だろうか?

考える間も無く次に言葉が続いた。

〇〇いるんだ。いいでしょ?

って

自分の話をしよう。

私はセクシュアルマイノリティだ。

よくLGBTとか言われる性的少数者。

自分からその類の話をすることはけっしてない。

仕草やふるまいから疑われることは仕方がない。

どう思われても構わない。

疑わしきは罰せず。

罰せられる筋合いなどないのに。

いつのまにか、明言しないことで自分を守るようにしていた。

先ほどの〇〇に入るのはカミングアウトだった。

びっくりした。

ものすごく。

ああ、こうすればいいのかと。

だけどマネをしようとは思わなかったし、今現在したことはない。

臆病なのかもしれない。

もしくは自分が誰よりも差別をしているのかもしれない。

認めたくないのだ。

自分自身のことなのに。

よく考えてしまう。

自分がセクマイでなければ。

今ならまだ間に合う。

異性を好きになり結婚すればいい。

好きにならずとも好きになったことにすればいい。

お金や肩書き目当ての結婚と何が違うのか。

きっと同じ、なんら変わりはないはず。

しかし、現代は情報社会。

先人たちの歩んだ苦しい道のりを知ることは容易だった。

どうやらもう後戻りはできないと悟った。

セクマイの人たちが集まるところに行くことになった時でさえ話さなかった。

隠す必要などないのに。

認めるのを拒むように。

今でも認めていないかもしれないが。

誤魔化していたがそんなものは通用しなかった。

次第に心を覆うベールははがされ大切な人たちができた。

話すことは重要である。

人間には自分から発する以外のコミュニケーション方法はない。

わかり合うためには会話が必要だ。

きっとカミングアウトなんて呼び方をせずに、さらっと言ってしまえばいいんだ。

認めるか認めないかなど関係ない。

事実をただ口に出すだけだ。

先に述べた友人の話し方は賛否を受けつけない話題として情報を共有した。

みんながそうすればいいのかもしれない。

話してもし何かされたらどうしよう。

ここの場にいられなくなったら。

友達を失ったら。

心配になるのは当たり前だ。

悲しいことに、今でも偏見や差別はあるから。

私自身はカミングアウトするつもりはない。

カミングアウトすべき距離感の相手はいないし、性指向・自認が重要な場にいるわけでもないからだ。

そもそも性のことや好き嫌いは個人的なことで言う必要がないと思っている。

だけど隠していることに悩むくらいならさらっと言ってしまうという道もある。

カミングアウトでどうにかなる関係性ならわざわざ維持する必要性を感じない。

どうにかなって困る関係性ならわざわざカミングアウトする必要性を感じない。

批判されたらという悩みについて少し言いたい。

例えば食べ物の好き嫌いの話がある。

自分の好物を相手が嫌いだと言ったら、本気じゃなくても批判する人はいると思う。

それは差別か?

それが原因で関係ないときにひどいことをしてくるならば差別だろう。

しかし、その場の流れで個人の感覚を話すのは差別ではないはずだ。

それが差別なら、肯定と黙認だけで会話することになるのか?

結局何が言いたいのか。

これはきっとはっきりした答えのない問題だ。

話したいならば、批判を恐れず話してしまえばいいじゃないか。

批判されても気にしなくていいんだ。

それをもとに暴力や誹謗中傷されたら、訴えてしまえ。

そんな強い気持ちが大事なのか。

と、思ったり。

今後、私がカミングアウトということをわざわざすることはない。

そしてカミングアウトを推奨することもない。

だけど時々思う。

存在を身近に感じない人が多いから偏見や差別はなくならないのかもしれない。

性指向や性自認に関係しない個人の性格や能力などだけを重視する社会

性指向や性自認に関する話題がオープンで、なんでも自由、みんな完全に理解している社会

極端だがどちらの社会を目指したらいいのかによってカミングアウトの扱いも変わるような気がする。

たぶんカミングアウトは手段である。

その先に何を求めるのかが重要なのだ。

最後に、性的少数者を犯罪者や精神倒錯者、非行者などとする、書ききることさえ難しいひどい差別や扱いから、現在のような状態へと社会を変えていった先人、活動家への感謝を忘れない。

そして、言葉の力を借り、今なお残るひどい扱いを変えていきたい。

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