私の就活の軸は、見栄と憧れだったのか
私はずっと第一志望の業界がマスコミ・メディア系だった。しかし、就職活動の際に、意気込んでそれらの企業にESを出したはいいものの、ほぼ書類選考で落とされた。そのため、現在泣く泣く志望業界を変更して就職活動を行っている。そして、私はそのようにたくさん落とされてから、自分がなぜマスコミ・メディア業界が散々だったのか、分かった気がした。
それはきっと、私はその業界に、見栄と憧れで入社したいと思ってしまっていたからだ。あなたの就職活動の軸は?と聞かれた際には、大義名分のように「人々を楽しませたい」だの「人々に喜びを与えたい」だの言っていた。しかし、本当は見栄と憧れだったのだと思う。「大人になって、胸を張れる肩書きがほしい」「幼少期の頃に満たされなかった承認欲求を、いろんな人に自分が作った番組を見てもらうことで満たしたい」そのような気持ちは見て見ぬふりをして、あたかも誰かの役に立ちたいという利他的な思考を持った人間のように振る舞っていた。自分ででっち上げた理想の自分なのに、本当の自分はこっちだと言い聞かせていた。そんな薄っぺらい感情を、面接官は見透かしていたのだろう。ESは落ち、ESが仮に通っても、一次面接を通過することはなかった。
けれども、見栄と憧れがこれっぽっちも志望動機の中に入っていない人はいるのだろうか。特に憧れなんてのは、少なからずないと、入ろうという気持ちにはならないのではないのだろうか。と言って、もう一人の自分が暴れまわっている。いやいや、きっと配合がまずかったのだ。私は見栄と憧れ8割くらいだった気がする。もっと、四捨五入すると0になるくらいの配合でないと、見抜かれてしまうのだろう。特にマスコミ・メディアというのは、私みたいに見栄と憧れで入社を志望する人が多い職種だと思う。だからこそ、その人の本気度をより厳しく見ているのだろう。けど、私も本気で御社に入社したかったんだけどなあ。ドラマを観るたびに、そのドラマを面白いと思うたびに、そのドラマが面白いと絶賛されるたびに、ああ私はそこに行けなかったんだなあ、箸にも棒にも引っかからなかったんだなあという敗北感が心の隅でチリチリと焦げる。困る。これが挫折というものなのか。強キャラが主人公に倒されたときのようなセリフが思い浮かぶ。
まだ敗北感は癒えないが、就活は続いていく。他業界での就活は、見栄と憧れが少ないせいか、今のところマスコミ・メディア系よりは調子が良い。まあこれからまた思わぬところでチャンスが巡ってくるかもしれないし、とりあえず立ち向かっていくかという気持ち。