Z地区 第三話
アカツキの村に入って何日か過ぎたころ、村にある知らせが入る。サカキの家に仮住まいをしているヒダリも呼ばれ、他の村民たちと共に会議棟へ向かった。
「若いもんがいると助かるなあ」
健在年齢はともかく肉体的にはまだ二十歳のヒダリは、会議棟へ椅子を並べるだけで重宝された。悪くない気分である。ここへ来てあっという間に日焼けをし、こうして動けば汗が出るが、それがどうしてか心地よいときがある。
「揃ったかの」
アカツキが現れる。ということはつまり予言があったということか。毎日の教育棟通いでヒダリも少し村のことが分かってきた。自分のような異端者が来るのだろうか。
「D地区方面。あのほれ……映画館の中じゃわ」
映画館、というのは地上の崩壊前にあった建物のことだ。ヒダリは映画を知っていた。観たことはないが、映画の内容を写真付きで解説する冊子をいくつか所有している。パンフレットというものだと、この村で知った。
「そこに資材があると? アカツキ」
「うむ。役にたつが少々重か。車で行かんばだめだ」
車……村民たちがざわついた。燃料、という単語が聞こえてくる。引き車ではだめか、いいやどれほど重たいものか分からない。皆困った様子でそう口にした。
「あの……D地区って、遠いんですか」
隣の席の男に訊く。男は頬を手のひらで擦るようにし「参った」と言った。
D地区――それはこのA地区から北へ一二〇キロほど進んだ場所にある別の集落のことだという。ヒダリにしてみれば他に村があることが意外だった。アルファベット順に並んでいるのかと言えばそうではないらしい。この村は地上で最初にできた集落で、アカツキの頭文字を取ってA地区と、そう呼ばれているとのことだった。だからA地区からD地区方面へ向かったとて、その間に別の村があるわけではない。
「そう呼ばれている? 誰にです?」
「政府だよ、政府。地下の奴らさ」
ヒダリは思わず足元を見る。この地上の下には無機質な都市があり、そこに数日前まで自分も住んでいた。妙な気分だった。懐かしさや恋しさを感じない。
「ヒダリも人間に戻ったってことさ」
さあ、問題は車の燃料だ――男が伸びをしながら言う。行きはよいよい、帰りはこわい。
ああでもないこうでもない、村民らの声は次第に大きくなる。アカツキが咳払いをした。
「燃料があると出ておる」
なにやら面倒くさそうに長老アカツキはそう言った。場の空気は一変し盛り上がり、すぐに向かおうと団結した。
アカツキの予言は絶対的な信頼を得ている。ヒダリはその現実と光景に、まだ慣れることができずにいた。
重いものを積み込むことになるとあって、若いヒダリは当然のごとく車に乗せられる。ガタガタと揺れる道中、D地区にある村の話を聞いた。
「ダイキだったかな、ダイチか? そいつが村長さ。だからD」
「アカツキのような存在はいないんですか?」
「いないはずだ。そもそも地上をここまで再発展させたのはアカツキだからな」
アカツキと志と共にする何人かの仲間が最初の異端者だったという。人間らしく死ぬために生きよう。その信念だけで彼らは村を興した。やがて異端者は増えてゆき、村の暮らしは豊かになってゆく。
「俺らも若かったんだぜ、今のおまえみたいに」
しかし豊かと言っても、かつて地下都市に、まして崩壊前の地上に暮らしたことのある者たちにとっては不便だった。
「みんなおまえみたいに馴染めるわけじゃねえのさ」
そういった者たちがアカツキのもとを離れ、新たな村を作り出した。それがD地区である。
「でも……アカツキの村を離れたって、もっと不便になるだけでは?」
「そう思うだろ? それが違ったのさ」
D地区の村長ダイキはかつての地上で、精密機器を扱う仕事に就いていたという。地下都市へ移り住んだあともAIの管理をしていたらしい。
「AI? 地下都市はAIによって機能してるんですか? あの大災害のあとに?」
「なんだ、おまえら世代は知らなかったのか」
二〇二九年当時、未曾有の事態はいくらでも想定してあった。それ以前にも超巨大台風や大地震など世界中で異常な自然現象が起きていたのだ。まさか巨大植物群が生えてきて世の中を壊滅寸前に追いやるとは誰も想像していなかったにせよ、一般人には知り得ない場所と方法で、あらゆる重要なものは護られていた。
「世の中がこうなろうとどうなろうと、世界政府はできあがっていたかもな」
いっそ手っ取り早かったりして――そこまで言って男は口を噤む。バックミラー越しにサカキと目が合ったようだった。
「……要するに、ダイキって野郎は政府を裏切った。異端ってよりは謀反だな」
持ち込んだんだよ、AIに関する知識をな。小声で言われた言葉をもっと小さく繰り返す。地上にAIを持ち込んだ異端者。そしてヒダリは呟いた。まさか。
「ああ、D地区は自力でテクノロジーを復旧してる」
映画館が奴らのものになる前に、行くぞ――。ガコン、と停車した車から降りた場所は一見してアカツキの村と変わらない。だがよく見れば崩壊した建物の多くはかつて繁栄した街であったことがうかがえる。ヒダリたちの目当てである映画館はもちろん、建物はみな崩れ落ちているものの、看板の面影から飲食店が多いのが分かる。他に美容関係のサロン、服飾関係。どれも地下都市にはなく、ヒダリのコレクションでしか見たことのないものだ。
「あっ! あれは!」
二〇〇〇年代初期に人気だった有名ファッションブランドの名を口にすると「さすがオタクだな」と笑われた。オタク、という言葉もヒダリは知っている。自分がそう呼ばれたことが少し嬉しい。異端と言われた自分の知識がここでは役に立つかもしれない。
「よし……入るぞ」
映画館の入り口にすぐの崩壊の危険はないことを確認し、ヒダリたちは侵入を開始した。頭を下げないとくぐることもできない瓦礫の隙間へ、縮めた体を潜り込ませる。慎重に抜けた先は比較的広く、たくさんの椅子が転がっていた。
「懐かしいな。映画館の座席だよ」
こいつもちょっと積めねえかな、と男がそれを動かしてみる。外れはしたがあの入口から出すのは難しそうだ。
「あった、あった! あったぞお!」
「こっち来てくれ!」
歓喜の声が上がる。アカツキの予言が的中したことを告げていた。埃にまみれたケースを二人がかりで運び出し、ヒダリは別の布袋を持たされた。重い。
擦り傷を作りながら汗だくで運び出したそれらは燃料と、袋に詰まった粒子の細かい砂のようなものだった。セメントだ、と誰かが呟く。
「おいおいおい……ラッキーだな」
互いの両手を打合せながら男たちは喜んだ。ヒダリはひそかに、燃料の入ったケースを観察する。埃にまみれてはいるが、それは馴染みのあるものだった。地下都市に暮らしていた頃、蒸留した飲料水を貯めておくタンクに似て見える。かなり小型ではあるが、質感やデザイン、書かれてある文字のフォント、どれもが身近なものに見えるのだ。少なくとも、地上の村へ来たばかりの新参者であるヒダリにとってはまだ、地下都市にあったもののほうが親しみをおぼえる。他の者はどうだろうか。男たちを見る。喜びに沸き、ヒダリと同じ疑問を感じているようには見えなかった。
と、視線を感じて顔を上げる。イツキが見ていた。
その目を逸らし、イツキは男らに帰りを急ぐ指示を出す。ぎゅうぎゅうに詰め込んだトランクをそっと閉じたとき、ヒダリは見た。
荒廃した街の向こうに広がる集落を。
「明かりが点いてる……」
遠目にも建物自体は傾き倒れ、アカツキの村と似たような状態だが、その内側には柔らかな電気の光があった。あれが――ダイキの村か。羨ましいか、と低い声が言い心臓が跳ね上がる。ポンと肩に手を置いたのはイツキだった。
「文明は便利だ。だがこれ以上発達したらどうなる。また二の舞だ。俺はあの災害は地球の怒りだと思っている」
「地球の……」
「俺はアカツキを信じている」
「え……はい」
他に答えようがなかった。滴る汗と埃をぐいと拭き、車に乗り込もうとしたヒダリの目に、またも気になるものが映る。
美しい女だった。
映画館をなぎ倒したのであろう巨木の陰から、身綺麗な女がこっちを見ている。
彼女は微笑みかけてきた。少しはにかむような笑顔だった。小さく手を振り、木の陰に消える。ヒダリは動けない。美しい――いや可愛い。
「ほれ、ヒダリ。戦利品だ」
ポンと何かで頭を叩かれ我に返る。渡されたその戦利品はボロボロの雑誌だった。
「あっ……ありがとうございます!」
古い時代の雑誌に興奮しつつも、道中ヒダリの心にはさっきの彼女のことが離れずにあった。誰も気付かなかったのか? きっとダイキの村の民にちがいない。ずいぶん綺麗な服を着ていた。D地区では皆ああなのだろうか。名前は――なんというんだろう。
なんとなく男たちに勘付かれたくなくて、ヒダリは戦利品の雑誌をめくった。女性のファッションや化粧について多く記載されてある。最後のほうまでページを進めると「占い」が載っていた。当時の女性らが好んだ文化で、占い師と呼ばれる者が星座や血液型などで不特定多数の運勢をこうして雑誌に掲載したことを知っている。恋愛運、仕事運、健康運。地下都市では禁じられた文化だ。
「あ……」
占い師の紹介が載っていた。『熊本の千里眼・アキラ』強気な笑みを向ける写真の若い女は、どこかで見たような気がした。
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現代・超古代・未来の視点でえがく人類滅亡の物語。
三つの物語は繋がっているので、ぜひ三作ともご覧ください。
短篇集「終末考」①特異点 ②愛玩種 ③Z地区
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