絵を描く技術
自宅の本棚にはマンガが少しだけあります。
子供の頃は週刊雑誌で読むのが基本スタイルでしたし、雑誌を保管するという習慣もなく、どちらかというとマンガは通り過ぎるだけの消費される存在でした。(短期的消費)
とはいえ、どうしても手元に置いておきたいと思うものや、時間をおいて数年後に、また読みたくなったりしたものを単行本で買うという感じですが、それもあらゆる買い物の中での優先度は低いので、多くは持っていません。
又、マンガは小説などに比べて、物理的に大きい。場所を取る。という不利な条件があります。その割に、冊数の多い長編であってもマンガの場合、全体のあらすじは短いので、情報量として少ないと言えます。
そういう意味で、処分する時は、マンガが優先的になりやすく、どんどん淘汰されていき、結果的に残っているものは少なくなります。(中期的消費)
そういった淘汰の過程を潜り抜けて、本棚に残り続けているマンガの中で、この作品は典型的だなと思えるのが
五十嵐大介の「魔女」です。
この作品は、物語として悪くはありませんが、といって特筆すべき点があるというわけでもないです。
では、何故本棚に残り続けるのかというと
絵がイイ
からです。
もう一度読み直したいと思うような内容ではないのですが、本を開くと
「これは手放せない」
となってしまうのです。
まず、普通に絵は上手いです。
絵が上手いマンガ家は大勢いるでしょうし、そんなの当たり前と思っている人もいるかもしれませんが、決してそうとは限らないですよね。
かと言ってマンガは絵が上手くなきゃいけない、絶対条件だ、とも思えません。
漫画家もやはり作家である以上、その主たる目的は表現です。
自分が表現したい世界を「絵を描く」技術を使って、マンガと言う手法の中で表現する事が漫画家というものだとするならば、絵を描くことは武器になりますが手段でしかありません。
ということは、表現したい世界を創造するに足りる技術があればいいという事になります。
私は所謂マンガ読みではないので、上に紹介した「魔女」がマンガとして優れているかどうかはわかりませんし、マンガでないと表現できない世界かどうかもわかりません。
ただ、妄想を含めた想像力というものの凄さを見せつけられる作品であると思っています。
(中身を見せたいが権利関係上アウトな気がするので見せられないのが非常に残念)
妄想や想像力というものがどんなに凄くても、頭の中にあるイメージ(内的世界)を表現(外的世界に抽出)する時に、脳内のそれをそのまま過不足なく取り出し、他者に伝わる形で表現するにはやはり技術が必要です。
そういう意味で言うと、この「魔女」を描いた作家、五十嵐大介さんはずば抜けていると思います。
表現する力は間違いなく高いです。それは目に見える部分なので直ぐにわかります。では想像力はどうか。
・この作家の想像力が「ずば抜けている」から凄い絵が描けるのか
・脳内イメージを絵にする力が「ずば抜けている」から凄い絵が描けるのか
それは作家の頭の中を見るまでわからない。
なので「ずば抜けて」絵を描く技術が高いというのは、実は控えめな評価です。この作家の場合、個人的には想像力と技術力の相乗効果だと思っています。
脳内イメージが豊富で、広大な内的世界を持っていても、それを絵にする技術がなければ、次からは自分で描ける範囲で表現しようとしますし、イメージの取捨選択が行われます。
これを繰り返すと、想像すること自体も無意識に委縮して、イメージが縮み、萎み、小さくなっていきます。
脳内イメージを絵にする技術が高ければ「想像した事の大半が描ける」という。万能感に近い境地を得られるので、想像力にブレーキが掛かり難い。
幼少期や少年期にこのような万能感を持つ事は重要だと思っています。
五十嵐大介さんはそういう子供だったのではないかと勝手に想像してます。
子供時代の私も想像力は負けず劣らず有ったと自負できます(誇大)
ただ、技術が無かった。。。
絵は好きでしたが「なんか違う」「こうじゃない」といつも思っていました。
ただ、念の為に書きますが、技術万能主義には否定的です。
技術は交換可能ですし、代替可能です。
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