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テレワークが快適すぎる件。

 どうしよう、もう会社行けない。
 テレワークが快適過ぎる。

 ぼくの勤める会社は、「可能な範囲でテレワーク」モードを経て、3月下旬から全社的に「原則テレワーク」体制に入った。その後、緊急事態宣言の解除を受けて、出社したければ出社してもいいよ、という感じに変わったが、いまも多くの社員は自宅で仕事をしている。
 ぼくの仕事がシステム寄りだったこと。テレワークに必要なツールが一通り揃っていたこと。邪魔の入らない自分の部屋があったこと。いくつかの前提条件はあったけれど、想像以上にテレワークは快適だった。

下っ端なのに個室アリ

 職場は東京。片道1時間の道のりを毎日律儀に、電車で往復していた。早起きしてラッシュを避けるようにはしていたが、それでも限界はあった。この苦行が、スッパリ、まるまる、100%、なんの留保もなく消えてしまった。1日ごとに2時間の時間と、それに費やしていた肉体的/精神的なエネルギーが、手つかずでそのまま戻ってきた。

 オフィスでの作業スペースは机が一つ。隣の同僚との距離は1m。くしゃみでもされたら逃げようもない。作業に疲れて椅子を引き、うーん、と背中を反らせたりすると、後ろで同じく背中を反らせた同僚とぶつかる。
 オフィスでは個室なんてよっぽど出世しないと望むべくもないが、自宅では生意気にも自分の部屋を頂戴している。作業スペースの広さは会社の数倍。物置をかき回したら出てきた折りたたみ机を袖机にして、さらに資料を広げ放題。
 私物のPCとディスプレイに加え、会社でホコリをかぶっているだけの仕事用PCとディスプレイを引き上げてきた。複数のPCを使い分け、片方で会社にリモートアクセスしてシステムをいじり、重いプログラムを動かして、もう一台はインターネットにつなげて、メールやチャットで同僚と打ち合わせ。捗る。
 エアコンが暑い寒い騒動も、今年は無縁で過ごせそうだ。オフィスは窓が開かず、閉所恐怖症気味のぼくはあまりいい気分がしなかったのだが、自宅では早朝や日が落ちた後に窓を開けると風が通って気持ちいい。

誰も損をしない経費節減マジック

 オフィススペースと交通費の見直しを始めた会社もあるようだ。テレワークが通常業務の中に組み込まれていくのなら、地価の高い都心部に人数分のスペースを確保しておく必要はない。個別の机は取り払い、出社した社員用のフリースペースだけ残して、あとは返上してしまえばいい。交通費も同様で、一律の定期代支給は辞めて、出社日数に応じて交通費を支給すればよい。相当経費が浮くはずだ。
 しかもこの節約、誰も損をしない。会社は支払いを減らせるのに、社員の周辺環境はむしろ向上するという、何そのマジック。

できないやつはテレワークでも出社でもできない

 同僚とのコミュニケーションについても問題はない。メールもチャットも可能だし、必要ならテレカンソフトなり、内線電話(数年前に全員に業務用のスマホが配られた)なりで話をすればよい。
 問い合わせに何日も反応しなかったり、情報を共有しないので滞る、というトラブルはちょくちょく起きるが、そういうことをするやつはだいたい決まっている。出社しても同じ。状況にかかわらず仕事できないやつは仕事できないだけの話じゃん、ということがわかって逆にちょっとすっきりした。
 チャットで目的を定めない雑談ルームを立ち上げたら、結構使われるようになった。子どもの書いた絵とか、ねこの写真とかが上がるけど、なんかのきっかけで仕事絡みのやり取りも始まる。これが喫煙室効果か。上司のオヤジギャグに「いいね」をつけるかどうか迷っているやつがいるけど、知らんわ。

分身会議~ばかめそいつは残像だ。

 会議。こちらの変化は大きかった。
 大した規模の会社じゃないのに、会議しないと物事が決まらない(という決まりになっている)。ところが会議室がいっぱいで、会議がセットできないから仕事が進まない、というしょうもない状況が頻発していた。リアル会議ができなくなり、テレカンがメインになったことで、まず会議室待ち、というアホらしい状況はなくなった。

 会議の回数は減った。情報共通が主目的の打ち合わせは、いままでは紙で配っていた資料をチャットツールで共通してたら、それ読んどけばいい話じゃね? ということになって会議そのものが消えた。説明してくれないとわかりにくい、という子どもみたいなことを言うやつがいたけれど、わかんないことはチャットで聞いて、とやってたら収束した。読まないやつがいるんじゃないか、と心配しているマネージャがいるけど、会議に出席してても聞いてないやつはいるから同じだ。
 前線部隊の会議は減ったけれど、マネージャ層の打ち合わせ回数はむしろ増えたらしい。愚痴られたが、それは今までより気軽に相談や調整ができるようになったからであって、会社としては望ましい姿ではないだろうか。だいたい、それがあんたの仕事でしょうが。

 内職がやりやすい。内職できるような会議がそもそも必要なのか、という疑問はあるにせよ、テレカンに出席中にメールに返事があったり、同時進行でテキストチャットで別の打ち合わせに出ているやつがいたりして、効率化という意味では結構なことではないだろうか。ぼくも複数の打ち合わせを同時にこなすことがある。ばかめそいつは残像だ。
 思いがけず便利だったのは、あまり大声で話したくないタイプの打ち合わせが気兼ねなく行えるようになったこと。悪だくみに限らず、そういうタイプの相談事はときどき発生するものだが、個別のブースでこそこそ話したり、喫茶店に出かけていくといった気を使わずに済むようになった。便利。

 テレカンツールの使い方については課題が多い。ヘッドセットの耳元でいきなりくしゃみされたり、ハウリングを起こしたり、マイクOFFのままでパニクったり、という初歩的なミスは減ってきたけれど、いきなりおっさんがどアップになるのは慣れない。音飛びがおきて肝心なところが聞き取れなかったり、動画がフリーズしているのは普通に発言に凍りついているのか、それともシステム的なトラブルなのかよくわからない、というあたりは改善が必要だ。ネットの不調はそれぞれの自宅のネット環境に依存するので、簡単ではなさそうだが。
 女性の同僚とテレカンするときは(ぼくは男)、カメラOFFでよろー、とやると、急な要請に応じてもらいやすい。何度かカメラOFFでいいですか? と言われて気づいたんだけど、なるほどね。メイクとか身だしなみとかで、いきなりのカメラ中継は困るのだろう。

テレワーク成功の条件

 東京オリンピックに伴う東京都からの要請もあって、コロナ騒動のちょっと前から、会社はテレワークの実験を始めていた。といっても業務に支障のない範囲で、とか、部署で誰か指名して、とか、まあ一応ね、という雰囲気がもろ出しだった。
 実はぼくも、テレワークねぇ・・・派だった。トラブル対応などで自宅で仕事をすることはちょくちょくあったのだが、それが常態になる、というのはイメージが沸かない。だってあれはどうするんだ、これはどうするんだ、といろいろ問題点を思いつく上、そもそも会社では仕事のほかにやることないけれど、自宅にいたら身の回りに気の散るものが山ほどあって、とても集中なんかできっこない。仕事とプライベートが曖昧になりそうなのも気に入らなかった。

 3月から状況は一気に変わったわけだけれど、結局、テレワークの推進に一番必要だったのは、会社ぐるみの「テレワークやむなし」という覚悟だったのだろうと思う。それはテレワークのデメリットを受け入れるということでもある。
 「できればテレワーク」モードでは、精神論も含めて「うちはやらない」が続出するのは目に見えているし、当然そういう部署は、「おれたちは出ているのに」と他部署のテレワークへの目が厳しくなる。テレワークしている側も遠慮する。上司が出社しているのに、おれが出ないわけには、みたいな忖度も発生する。オフィスでテレカンに出るのは、周りにもテレカン出席者にも迷惑だ。「まだらテレワーク」はあまりうまくいかないのである。

 ちなみに、自宅では集中できない、と思ったのはただの思い込みだった。自分でも意外だったのだが、仕事中にマンガに手をのばす気にはならず、ちょっとだけゲームしようとも思わない。そういうものはあとでゆっくり楽しみたい。結局、仕事モードの明確なスイッチオン/スイッチオフが必要なだけだった。今では仕事始めと終わりにチャットで報告をして(上司への報告という体で)、営業時間外は基本的には仕事関係のツールにはアクセスしない。

 やってみてわかったのだが、テレワークは「○○できないからその代わり」ではなかった。結果として現状の業務プロセスの無駄や無理を相当洗い出せたし(ハンコがいるんで出社して、という要請にはマジギレした)、どう考えてもテレワークのほうが効率がよい、というケースもいくつもあった。「○○できない」状況が終わっても、テレワークは続けたいし、続けるべきだとも思う。この状況が徹底して、そもそも地価の高い大都市近郊に住んでいる必要もないよね、ということになれば、個人レベルでも、社会的にも、さらに大きな動きが始まることになる。

テレワークのデメリット(重要)

 もちろん、テレワークはメリットばかりであるはずはない。当然デメリットもある。最後に紹介しておこう。

 1.朝昼晩とちゃんと飯を食うようになったので、太った。
 2.通勤すらしなくなったので、太った。
 3.冷蔵庫やおやつがいつもそばにあるので、太った。

 どうしよう。



 

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