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お金の使い方がわからなかった、タバコ臭い独身の中年

「猫山くんさ、このお客さん覚えてる?」

以前、一緒に働いた先輩社員から手渡された書類を見た瞬間、濃密なタバコの匂いがフラッシュバックした。



虚しさと哀れみが混じったような、夜9時の応接室。

目の前に座る、薄汚れた作業服の中年。

その時、僕はこの顧客を見ていなかった。

何か、その手前と背後にある、語りかけてくる何かを必死で見ようとしていた。

疲れていたのは確かだ。その頃、とてもハードな日々を過ごしていたから。

だから、客前だというのにそんなことを考えていたのかもしれない。


「お金がある幸せって、何だろう」


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その顧客は、僕が30代中盤のとき配属されていた店の顧客で、大口預金先だった。年齢は、当時で40代後半だったと思う。今はアラカンだろう。

数千万円の定期預金を預けている大事な顧客ではあったが、面談するのは年に1回の定期預金の満期の時だけだった。それ以外はまったくコンタクトを取ることはない。

毎年夏頃に、定期預金の満期が来るようになっていた。僕が担当だったので、満期が近くなると電話で連絡することになる。

わざわざ連絡をするのは、金利交渉をするためだ。

彼は、とても金利にうるさい顧客だった。


電話をすると、支店に来るという。毎回そうだった。

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