ちくわが出てきたら感動した方がいい理由
いまでも時々思いだす言葉だ。もちろん、ちくわを見ると必ず。
いまから20年くらい前、僕は新人として初めて営業に出た。
当時はかなり無茶な育成方法だったので、入社して1ヶ月で営業として放り出された。
金融機関の人間としての価値はほぼなく、そこら辺の石ころと変わらない知識しかない状態で、ノルマを与えられ獲得してこいと言われたのだ。そんなの、お願いセールスするしかない。
知識もシャバの常識も何にも知らない状態での営業は、かなりストレスだった。獲得ができず、店に帰れず、夜9時の公園で電灯を眺めていたのはいい思い出……なんかではなく今でも思い出すと心が傷む。
そんな中、ある料理屋が癒しの空間だった。
毎日夕方4時に訪問することになっており、入金だ振込だを預かった後は、そこで休憩することになっていた。
料理人で事業主である大将は阪神ファンで、僕の地域では珍しいデイリースポーツをとっていた。僕は毎日阪神の状態を知ることができたが、特にファンになることはなかった。
スポーツ新聞を読み、お茶かコーヒーをもらい、ときには料理なんかのお裾分けもいただいたりした。
僕が訪問すると、大将と女将さんと話すことになるが、忙しい時は奥で大将は料理を作っている。その姿を何年もずっとみていたので、レギュラーメニューなら仕込みを手伝える自信があるほどだった。
そんなある日、大将が珍しいものを作っている。
棒にすり身を巻いて、サラマンダー(焼き物の調理器具)で焼いている。
これまで一回も見たことのない料理だ。当然に質問する。
ちくわ、と言われてもピンとこない。
僕が想像するちくわは、白がベースで茶色の焦げ目がついているあれだ。しかし、大将が焼いているソレは灰色である。
素直な感想を述べてしまうと、大将は破顔一笑、こう答えてくれた。
そして、冒頭の言葉につながる。
当たり前の話だが、僕は何も見えていなかった。
全くの無知。恥ずかしいほどの。
そして、想像力が足りていなかった。
それを教えてくれたのは、ちっぽけな竹輪だった。
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人間は見たままの内面であることは稀だ。誰もがそんな明け透けに生きているわけではない。
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