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ピッチャーになれなかったあなたへ
昔、漫画でこんな言葉を読んだことがある。何の漫画かは残念ながら忘れてしまったが、野球漫画だったことは覚えている。
「プロ野球のピッチャーは選ばれし者の集まりであり、頂点だ。」
「プロまで上り詰める奴はみんなエースで四番だった連中だが、どこかでピッチャーを降ろされている」
「プロのピッチャーは、最後まで一度も負けなかった連中なんだ。だから自分勝手で当然だ」
これを聞いた時、ゾクッとした。確かにそうだ。
僕が小学校のころ、スポーツ少年団の野球チームがあった。そこでピッチャーをやっていたK君は四番だった気がする。
その後、K君は野球の強い高校に行ったけど、活躍しているとの話を聞くこともなく、今では地元に戻って建設業に従事している。
僕が勤務する金融機関にも県下の強豪高校出身の社員が何名かいるが、話を聞いてみるとある階層まではピッチャーをしていたとのことだった。でも、高校でピッチャーをしていたのはたった一人だけである。
少年野球でエースだったとしても、ピッチャーの才能と実力で劣れば、中学校または強豪高校では野手にコンバートされることになる。
また、ドラフトでプロ選手になったとしても、ピッチャーとして入団できるのはごく僅かだ。しかもその中で先発ローテーションの一角を占めるなんて本当に確率の低い話になる。
日本の野球人口は100万人ほどらしいが、その頂点はプロ野球のピッチャーということになる。
プロのピッチャーは、野球人生で一度もピッチャーを下されることがなかった。一度も自分の意を曲げる必要がなかった。
それ以外のプレイヤーは、ピッチャーになれなかったなり損ないと言えるかもしれない。
失礼な話だし語弊もあると思うけど、野球人生のどこかでピッチャーを降ろされたのは事実だろう。そもそも、最初からピッチャーをさせてもらえないプレイヤーはゴマンといるのだ。(もちろん怪我でできなかった場合もあるだろう)
野球人としてキャリアを進めて行くなかで、それまで担っていた役割を剥がされてしまう。
スポーツは勝負の世界だから、そこに温情はない。冷徹な判断から、ポジションを強要されることになる。
この話を聞いてから、野球選手を「ピッチャー」と「ピッチャーになれなかった人たち」と見るようになってしまった。
とても邪悪な見方だと思うけど、それなりの真実味があると感じている。
成長するに従って、それまで持っていたものを徐々に剥がされてしまう。
それは何も、野球に限った話ではない。
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