あの陰気な女は誰に似ていたか
大学生の頃、パチンコ屋でバイトをしていた。
なにしろ時給が良かったから、やめるにやめられず3年以上働いていた。
僕はパチンコを一切やらなかったが、入れ替わり立ち替わりやってくるバイト仲間は全員が打っていた。逆にどうしてやらないのか?と不思議がられていたが、店の内側を見ているというのに打つほうが信じられなかった。
僕はパチスロコーナーに配属されていた。じっくりお客さんを観察していると、奇妙な行為をしているように見えてくる。
1000円入れて、メダルを買う。そのメダルを換金しても1000円にはならない。そこには参加料が差し引かれているから当然だ。
そうして参加料を払ってまで手に入れたメダルを、一つずつ丁寧に機械=店に返還している。
なんというか、養鶏場の鶏が自らを捌いて事業者に差し出しているような、そんなことを連想させた。
そんな風景を毎日見ていて、パチスロなど打ちたいと思うわけがない。
ここは極めて特殊な世界なのだなと感じていた。
パチンコ屋には、いろいろな人がやってくる。
仕事帰りの会社員。暇を持て余した老人。パチプロと思わしき無職者。子連れの女性。
一番おどろいたのは、ホールに下◯便が撒き散らされていたことだ。犯人は、親と一緒に来店した子どもだった。
たまったものではないが、それほどのことではない。
僕を愕然とさせたのは、撒き散らした子どもの親の方だった。
自分の子どもが、自分の座っている台の真後ろで粗相をしたというのに、平然と打ち続けている姿に衝撃を受けたのだ。
そんな人間がいるだなんて、想像もしていなかった。
もはや人でなくなっている人間がいる。そして、人の親になっている。
多様性の時代といわれるが、そんな人間を隣人として許容できるのか? そんな問いが生まれてくる。
パチンコ屋でのバイトは、僕に多様性を叩きつけてくれた。今でも得難い経験だったと思っている。
そんなバイト生活で、忘れられない女性がいる。
彼女は、何度か来ただけの客だったが、ひとつ大きな特徴があったのだ。
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