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自分を大事にしてみたら、老害になりかけた話

最近、自分に戦慄するようになった。

徐々に横暴になっているのだ。


僕はいま47歳で、金融機関の課長職にある。もちろん、たいしてエラい存在などではない。

とはいえ、地域の人であればほぼ名前を知っている会社でもある。加えて金融機関であるから、そこの課長職となれば「そこそこすごい」くらいは思ってもらえる。少なくともポンコツ扱いはされない。

僕はかつて、支店長をしたことがあり、その時は取引先の社長からかなり丁重に扱ってもらっていた。

接待は下火になっているから、バブル期のような派手さはなかったが、訪問した際の対応など、あきらかに重要人物であるとの認識を感じたものだ。

そんな経験はしてきているが、いつまで経っても「エラい人」であるとの実感を得るとこはなかった。

そこには、僕自身が会社の肩書きというものに心底しらけ切っていることが関係しているだろう。

「肩書きなんて所詮は期間限定の借り物。いずれは剥がされるものを誇るなんてアホらしい」

そんな思いが、これまでの会社員人生に通底していた。

加えて、自分そのものに対しても自信がないのもあった。

こんな田舎の企業で凡人として冴えない会社員をしている自分に、そんなに価値があるわけがない。もちろん周りもそうだけど、そんなことは関係がない。絶対値として価値がない、そう思っていた。

価値がないのだから、人様に対して上から目線で接してはならない。

兎にも角にも下からいく。

価値のない自分には、それこそがふさわしい。


長年そう思ってきた僕が、どうも最近変わってきている。

アラフィフのおっさんが、闇堕ちする寸前になっているのだ。


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金融機関という公共性の高い業種に求められるものを、僕は素質として持っていたと思う。

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