猫の介護にもChat-GPTは使えた
私の家では猫を飼っています。
15歳の高齢で腎臓が悪くなっており歯もかなり抜けてしまっています。
腎臓が悪い猫は点滴をすることである程度、健康状態が回復するので我が家では猫の点滴が日課です。
最近はお気に入りだった餌も食べなくなってきており心配していたのですが、お腹が空いているフシがあるので、Chat-GPTに相談してみたところ、老化により固いエサが食べれない可能性があり、ウェットフードの検討やドライフードを水でふやかすことを提案されました。
提案に従い、ドライフードを水でふやかすと完食したり、ほとんど食べ残しがないぐらい食べられるようになり、原因は固いからだと分かってほっとしました。
Chat-GPTは一般論を述べるのが得意です。中には変な一般論(私の既知の範囲で間違いと知っている知識)を述べることもありますが、Chat-GPTは一般論を何重にも学習しているので、他の提案はありますか?他の考え方はありますか?と問い続けることで期待値の高い回答を導き出すことが可能です。
猫に関しては昔は手探りで飼育していて失敗した経験もあります。紐を食べる癖があることを知らず、今飼っている猫は紐を誤飲したことがあるのです。幸いにもトイレで全て出てくれたので事なきを得ましたが、Chat-GPTはこうした一般的な注意事項も沢山知っているので、対話を何気なく続けるだけでも多くの学びを得ることができます。さながら、Google検索の上位版のハウツー本サイトが無限に更新されているに等しい使い方ができます。
仕事では8時間かかっていた仕事が20分や2時間で終わることが珍しくなくなってきました。私がChat-GPTを使うことを前提とした開発手法に慣れてきてどのように問題提起したり設計をChat-GPTと共に行えばいいか要領がわかってきたからです。本当に恐ろしい速度で仕事が進んでしまうので自分の理解力が追い付かないレベルまで作りすぎてしまわないよう、理解をできる範囲で開発をChat-GPT活用するという上限規定を設けて仕事のペースを調整するようにしています。
20年以上プログラミングしてきて初めての経験ですが、自分が理解できないレベルのものを次々と作ろうと思えば作り続けられてしまう環境というのは過去に経験のないものでした。自分の理解の限界が開発の限界だったわけですが、今はやろうと思えば理解の限界を超えた先の手法を駆使したものも作ろうと思えば作れてしまいます。もっとも、それはブラックボックスになってしまうので実際にはダメなので、決して手を出しませんが、「そんな方法もあるのか」という学びを得る意味で時々、少し背伸びをしてみて学習をするようにしています。
Chat-GPTは人の感情の流れを一般論と照合して先読みした体系立てた理論で話し方や順序、言い回しを提案することも得意です。なので最近は私は何かを業務連絡しようという時もChat-GPTに監修してもらい、添削してから発言するようにしています。これによりコミュニケーション・ギャップの発生率が激減しており、私自身、非常に他人とのコミュニケーションが円滑になり始めました。私は元々、人とのコミュニケーションが下手糞で話下手なのですが、Chat-GPTのおかげでそうした困難な課題のサポートも受けられていることは、とても有難い時代になったなと感じています。
Chat-GPTは奇抜なアイデアや提案をさせるよりも一般論をかき集めてきてもらってそれらを総合的にまとめて俯瞰的な視点での一般論を述べさせると強力なアシストになります。それは時に「何だそんなことか」の連続かもしれませんが、冷静に考えると、多くの人は意外と「普通が苦手」です。知らず知らずに癖や傾向で偏りを持っており、ある部分ではすごく常識的な考えなのに、別の一面では欠落した視点で考えていたり、ある部分では突出した才能や得意分野がある一方で別の分野は極端に苦手だったりすることは誰しもが抱えている問題ではないでしょうか。そうした不安定さやバラつきをChat-GPTを活用することである程度フラットな状態へ持っていくことができます。
私は今、2匹の猫を飼っています。高齢の専従猫が長くても1年程度と言われる病状でありお別れが近いため、新しい子猫を飼うことにしたからです。この検討においてもChat-GPTを活用し、様々な問題や課題を整理し、客観的に状況を総合的な判断をしたうえでの意思決定を行いました。正直、最初は落ち込んで新しい猫を飼う気もありませんでした。それほど今の猫が大好きだからです。しかし、猫はどうしても人ほど長くは生きられません。生物的な限界があります。それを受け入れなくても現実は変えられません。
つまり、否定的であったり悲観的であることは自己満足はできるかもsれいませんが、現実の状況を直視して何か行動を起こすよりは、「何もしていない」に等しいのです。新しい猫は、今の猫の代わりにはなりません。猫には1匹1匹個性があり、猫としての癒しはあれど、その個性による振る舞いも起こすトラブルもケアしないといけないポイントも異なります。しかし、年老いた猫を初めて買ったときほどの混乱はなく新しい猫を迎い入れていることが今のところできているように感じています。
例え一般論の集合体による文章生成だとしても、それがAIという感情を持たないマシンであっても、私にはChat-GPTというサポートはプライベートでも仕事でも欠かせない助けになっているなと感じています。ソフトウェア開発者として、ここまで1つのサービスを頼もしく思うことは、これまで無い経験でした。文字通り、時代が変化し、AIは人を助けるのに十分な性能をもっていると確信できるレベルに進歩していると感じます。
Chat-GPTを自己顕示欲やまだAIに不慣れな人へ向けて一方的に自慢するために使うべきではありません。しかしそれでも、どのように使うのが正解かは人それぞれであり、人の数だけ正解があるのでしょう。ただ個人的には「Chat-GPT活用法!」などのハウツー本やブログ記事の一部は、実用性ではなく単に名声やトラフィック集めのような内容に終始しており、それでは本質が理解できないのではないか、そもそも本質を理解した使い方をできていない人の誤った使い方紹介ではないか、と思うことがあります。私の使い方が正解という主張をしたい訳ではありませんが、それでもモヤモヤする気持ちが時に生じるには事実です。私がHowTo紹介したSNS投稿でも、本質的な意味を理解できず表面をなぞっただけの反射的な反応のコメントを頂いたりしているので、余計にそう感じます。「何も分かっていない人が多すぎる」と感じているのです。
この日記は、Chat-GPTを私がどのように使い、どのように感じながら利用しているか整理するために執筆しました。自分自身のために書いた日記なので、他の人の参考になるかは分かりませんが、Chat-GPTを使うことなく否定的であったり、十分に使いこなせていないのにも関わらずChat-GPTに批判的な意見を持つ人が、別の視点からAIとの接し方について考えるきっかけになるなら、公開日記にした甲斐があったなと思います。そうなるといいですね。
それではまたごきげんよう。
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