最悪な良い日
顔も瞳も頬も、腕も指も足も、何もかも最初から完璧に可愛かった。もうずっと見ていたい。何でもしてあげたい。会えない時は携帯や職場のデスクに貼った写真で我慢してきた。だからこそ週の半分が自宅勤務になった今「仕事中も見に行ける。」と実は喜んだ。
朝7時半すぎ。妻のサクラはパート、娘のアオイは小学校へ「行ってきまーす」と2人とも玄関を出て行った。サクラの自転車を左へ、アオイの水色のランドセルを右へ見送ると、急いで黒い帽子とサングラスと黒いマスクを身につけて外出した。まずは右へ。娘のアオイに気づかれないよう距離を取りつつ進む。アオイは途中で友達と会って2人で話しながらゆっくり歩いている。小学1年生より遅く歩くのはなかなか難しかった。
小学校の手前の交差点でアオイ達は黄色信号で止まってしまった。近づき過ぎると見つかってしまうので、少し離れた街路樹の陰に隠れる。そのまま信号を待っていると、高学年の子供がチラチラと俺を見ながら通り過ぎて行った。信号の手前でアオイに話しかけている。知っている子なのかな、と思って見ているうちに青信号になった。すると、それを合図にアオイも高学年の子も一目散に走り出し、そのまま小学校の門をくぐり、門のところに立っている先生と朝の挨拶をしているようだ。
無事、娘は登校した。可愛い娘の登校する姿を1度でいいから見守りたかったのだ。これから自宅勤務の時の楽しみが出来たぞ、と満足していると、「ちょっといいですか。」と話しかけられた。先程アオイ達が挨拶していた教師だ。隣に警備員もいる。「ここで何を?」と聞かれて、学校に近づく大人にちゃんと声をかけるとは防犯意識が高いな、と感心する。「いえ、別に」と答えてから不審に思われないようにきちんと説明しようと思い直す。「実は、娘が1年生でして、無事に登校できるか見守っていたんです。」俺の言葉に警備員が教師を見たが、教師の方は「不審者が1年生の後をつけていると聞きました。その時に念のためその1年生に知っているか確認しましたが、知らない人だと言っていました。」
そこへ自転車に乗った警察官もやってきた。教師と警備員が「この人です。」と言うと、警察官は「とりあえず、そこの交番まで来てもらえますか。」と俺に歩くよう促した。冗談じゃない。それじゃ本当の不審者みたいじゃないか。「本当に娘です。本人にもう一度確認させて下さい。」と頼んでみたがダメだった。
仕方なく交番へ移動したが、全く信じてもらえない。「何か身分証明になるものを持っていれば確認できるんですけどね。」急いでいたし、すぐ戻る予定だったから財布も携帯も持っていなかった。何度か父親です、そう言われても、と無意味な押し問答が続き、サクラのパートが終わる時間になっていた。「妻に電話します。パートが終われば電話に出られる筈ですから。」
やっと誤解が解ける。頼むぞサクラ、と願いながら交番の電話を借りて携帯に電話した。知らない番号だからだろう、不審そうな声でサクラが出る。「もしもし…」「もしもし、サクラか。オレオレ。実は不審者に間違えられて、いま交番にいるんだけど」ガチャッ。…。
「どうしました?」固まった俺を警察官が見つめる。「途中で…切られました…。」俺が今困り果てていると言うのに一方的に電話を切るなんて、どういうつもりだ。警察官は少し考えて「もしかするとオレオレ詐欺だと思われたのかも知れませんね。」た、確かに、オレオレって言った気がする。けど旦那の声くらい分かるだろう。いや焦っていたからいつもと違ったのか。とにかく、最悪だ。「もう一度かけてみましょうか。次は私が出ますよ。」と言ってくれたので再度サクラに電話した。「…もしもし」やはり不審そうな声。そのまま警察官と代わる。「こちら丘の上交番の」ガチャッ。警察官はそっと受話器を置いた。「ダメですね。完全に詐欺だと思われてるようです。」終わった。もう手がない。このまま留置されるのか…と肩を落としてポケットに手を入れると、鍵があった。
「そうだ、家。家に帰れば免許証も家族写真もあります。証明できます。家に帰してください。」やっと光が見えた。しかしもちろん俺一人では帰してはもらえず、若い警察官と一緒に帰ることになった。なんだかまだ連行されているみたいだ。「すいません。父兄だと思ってもちゃんと確認とらないといけないもので。」と若い警察官は少し申し訳なさそうだ。「仕方ないって分かってます。むしろ適当にされて子供に何かあったら困りますから、きちんと対処してると分かって良かったです。」と話していると背後から「見つけた」とサクラの声がした。パートから急いで帰ってきたのだろう、汗だくで自転車に乗っている。「あれ、警察官?もしかして、さっきの詐欺電話のこと?」やっぱり詐欺だと思ってたのか。
サクラに事情を話し、身分を証明してもらってやっと無罪放免となった。散々な1日だ。子供にも教師にも警察にも不審者だと疑われ、妻にも詐欺だと疑われるなんて。ブツクサと不満を口にしているとサクラが言った。
「そんな黒づくめの服装してるからアオイに知らない人なんて言われるのよ。でも気にしてくれる高学年の子がいたり、先生や警備員も警察もすぐ来てアオイがみんなに守られてるって分かったでしょう。私もオレオレ詐欺にかからないって分かったし。色々安心できて、良い一日だったね。」
え!?サポートですか?いただけたなら家を建てたいです。