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相関関係図に勝手に矢印を足してみる 『緑の歌 収集群風』感想文

”このプレイヤーしってる”
十代の子どもに、この本いいよ、と表紙を見せたら、
本を取られてしまった。
そこに描かれていたのは、古いレコードプレーヤー。
すごい求心力だ。

本を返してくれた時に、子どもと昔の話をした。
最近私は、昔の話をするとき、以下のことに気を付けている。

【先輩の昔の話を聞いた時の後輩の受け取り方】
 ① 自慢話だと思って聞きながす。
 ② 時代は関係なく、親近感がある。興味ある。
 ③ その他(本当にどうでもいい。その話はやめてほしい)

自分調べ

年を重ねるにつれて、自然に先輩の側になることが多くなった。
相手の反応は、少なくとも上の3パターンはあると思う。私は①にならないよう気をつかっているつもりだ。
でも、子どもと話すときは、普段から③のように聞き流されている気がする。昔と今とでは、景気も違うし、自然災害も増えたし、行動制限も続いていたし。

今回も①かなと思ったが、この本については②の受け取り方だった。

先輩からいやいや昔話として聞くのではなくて、何かのきっかけで、ふと昔に作られたものに出合うことがある。時の経過は関係がない。
そんな時は②の力が働く。


作品に登場する、はっぴいえんどの『風をあつめて』は、1971年発表のアルバム、”風街ろまん”に収録されている曲だ。
私が知ったのは、矢野顕子さんのアルバム”GRANOLA”でのカバー。
当時すでに発表から20年近く経過していたようだけど、関係なかった。十代のわたしは②の受け取り方をした。いつの間にかお気に入りの曲になった。

『緑の歌』の舞台は、2020年代の台湾。主人公は、『風をあつめて』に出合った女の子。彼女は、さらに時代を超えて、②の受け取り方をしている。

特徴は、丁寧に描かれたイラスト。
セリフのないコマが多い。
台湾を切り取った遠景/近景がぎっしり詰まっている。

私はかつて、台北に行こうとしたが、キャンセルしたことがあった。その後も、台湾への旅行はお預けになったままだ。
長い間、未知の景色だ。


そして、登場人物の表情の微妙な変化を丁寧に捉えている。
考え込む。迷う。不安。
答えがすぐに見つからないときも、もう一人の自分が目の前にいて、客観視するような角度でその表情を描写している。
自分のことを自分でカメラ越しに捉えたような距離感なのだ。
セリフが少ない場面も、そのときどきの気持ちが近距離で伝わってくる。

主人公が深呼吸すると、心が少し晴れて、いつの間にか近い距離にいた読者側の自分もほっとして一歩下がる。

主人公は中盤で、細野晴臣さんのライブに行く。
細野さんが台湾で公演をすることになり、大切な人と行くのだ。
最寄り駅で降りて、会場まで歩く。
いろんな気持ちを抱えて、会場に向かう様子が何コマか続く。

丁寧なカットを追ううちに、自分も一緒に、主人公がずっとあこがれていた景色に一歩一歩近づく気持ちになる。

そして、光の中で響く”あの歌”。

主人公と、細野さんの間に割り込もうとする、読者の自分はたぶん、
ふたりの間の世代だ。
相関関係図を作って、勝手に→自分と書き足してみる。

歩いたことがない街なのに、自分が雨宿りの場所を探して走った感じがする。
会ったことがないのに、どこかで主人公とすれ違ったような感じがする。

台湾の地元のバンドのライブハウスでの描写も親近感がわいた。
私もSpotifyで、大象體操や落日飛車をよく聴いていた。前は邦楽とか洋楽とか分けてたけど、今は海を越えていいもの同士が混ざり合ってるなあと思う。
こちらこそ、海の向こう側の話を聞きたいです。②として。
あれ? 昔の話じゃないな。

この本の影響とは言い切れないけど、自分よりも先に、子どもが台湾に行く機会を作ってしまいそうだ。

緑の歌 収集群風 上・下 KADOKAWA刊 高妍著

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