こどもらしさ、母らしさ
【こどもとファッション~小さい人たちへの眼差し】展
@庭園美術館~8月31日
がとても面白くて、鑑賞しながらあれこれ考えたメモ。
「この展覧会では、その社会がこどもという存在をどう捉えていたのかを、こども服を通して読み解いていきます」とある通り、時代の移り変わりに伴うこども観の変化が見て取れ、大人と子供のファッションが相互に影響し合って変遷していくのも面白かった。今の日本では、衣類はかなり安く買えるし、それでも充分小ぎれいな格好ができるから、階層による差というのは全くと言っていいほど無いなぁということも改めて思う。
展示されている100年前の西洋の「子ども服」を見ると、今売っていてもおかしくないと思えるものがたくさんあった。もっとも、「成人服のミニチュア版」ではない「子ども服」デザインというのが出てきたのは18世紀後半になってから、らしい。最近の日本では「成人服のミニチュア版」のような子ども服も流行っている感じがあるけれど、でも着せてみると意外としっくりこなくて、特に乳児には、ものすごくオーソドックスな「こどもらしさ」を備えたファミリアのようなデザインが「ダサいと思ったけど赤ちゃんが着たらこれ以上ないほど可愛い!」という具合だったりして、面白い。
本当の「こどもらしさ」なんて、単なるTシャツとハーフパンツ、あるいは彼ら自身が好むファッションということならハダカに近い形かもしれないし(笑)、もちろん親が用意したものを着てくれるかどうかがまた問題になってくるのだけど、息子と娘の着るものに関して、男の子と女の子、という組み合わせで統一感あるコーディネートを考えたりすることは思っていた以上に楽しい。そして女の子の洋服はいとも簡単に散財させるだけの可愛さがあって、つい着せ替えに興じてしまう。(でも、ブラウスやワンピースは可愛いのがわんさかあるけど、女の子のTシャツってあまり可愛いのがない気がするな、、)
ブランド服、GAP KIDSやzara baby、Nextなど海外のファストファッション、安くて丈夫なユニクロ、国内高級子ども服、スポーティな服(の中でもノーブランドなのかパタゴニア等なのか)、西松屋やしまむら、シンプル無印、誰かからのお下がりオンリー、素材重視(オーガニックコットンなど)……子どもにどんな服を選ぶかは、その人のセンスだけではなくて、「こどもらしさ」をどう定義しているか、も確かに表れるのかもしれない(あと、「男の子らしさ」「女の子らしさ」も)。そして、きれいに(高価かどうかではなくて)身支度を整えてあげることは、おそらくある程度は子どものセンスを育てることにもなり(色や柄の組み合わせなど)、子どもをひとりの人として尊重することでもあるのかなと思ったりもする。(下の子の保育園は、そういう「着飾る気持ち」を尊重してくれる感じがして、いいなと思う。髪飾りとか、ワンピースとか、注意されたことない。)
じゃあ、母である自分のファッションは?というと、もうめっきり、オシャレというものから遠ざかっている。ご飯粒やら納豆やら鼻水やらをなすりつけられること前提の、洗える服、汚れが目立たない服、ワンシーズンでダメになっても泣かずに済む服、公園で走れる服……おそろしいのは、それなりに小ぎれいでそして流行を押さえたものが安価に&上記の諸々の条件をクリアして手に入ってしまうことで(プチプラファッションというやつですね)、でもそれってオシャレとは違うよなーとも思う。それなりに服が好きだったのになーと悲しくもなる。だけど、復職して子どもを抱っこしていない時間ができ、ほんの少しだけ、一人の大人の女性として歩く格好が出来るようになり、アクセサリーを楽しんだりできるのは、とても嬉しい。
と思って歩いていると、今度は「母らしさ」問題が浮上する。「お子さんいらっしゃるように見えないですね!」は褒め言葉である場面が多いと思うのだけれど(なんか面倒くさいので子どもがいることは極力出さないのだけど)、少し前に、ある子育て関連のワークショップに1人で出かけたら、「あら、独身かと思ったわ。もっともっと抱っこしてあげてね。抱っこすることで懐が掘られてお母さんらしくなるから」と言われ、「え……」となった。(懐って掘られて深くなるのかー!笑)
たぶん、3歳と0歳の子がいて今日は彼らは保育園、という情報を出したので、早く(1歳にもならないのに)復職して自由に出歩いて、もっともっと一緒にいてあげてほしい、と思われたのかもしれないけど、私の実際の「母ぶり」の何を見て言うのかしらこの人(もちろん初対面)は……と若干イラっ。0歳は常に抱っこして料理したりトイレに入ったり寝るときも密着、3歳は16キロにもなるのに抱っこで登園、なんなら前に0歳抱っこ、後ろに3歳おんぶ、とかしょっちゅうしてるんですけど……そんなに懐浅そうですかねぇ、と。
いわゆる「自然派」育児を推奨しているその団体が「美しい」とする「母らしさ」は、心も体もどっしりした風格で、天然素材のシンプルな服が似合って、ノーメイクなのにやけに肌艶は良くて、いつも温かい笑顔で笑、みたいな姿なんだろうなぁと。そのワークショップの内容はとても興味があり、その方も自信や確信、信念があって仰るのだろうから別にいいのだけど、妙に居心地が悪くなった。
子どもがいるようには見えないかもしれない薄っぺらい身体(だけじゃなくてオーラもかな、あ、懐か笑)だけれど、私は私なりに母をやっているし、でも子どもがどんなに小さかろうが一人の時間が絶対に必要な人間だとも自覚していて、私の中でそれは矛盾しないし、母らしい云々はよくわからないけど、それが自分、ということだけだ。1人で出歩く時間が好きで必要だし(必要分は全く取れていないが)、子どもを抱っこしていては出来ないような格好がしたい自分は、フランスとかに行ったほうがいいのかもしれない(かの地では産後何ヶ月も一人で出かけていないなんて言ったら異常だと思われるし、妊娠中も産後もその人らしさが尊重される、むしろ母らしくあるより女性らしくあることを推奨されると聞く)。
しかも日本では、こういう「母らしさ」が求められる場面が多々ある一方で、職場では生活感をあまり出さないことが美徳(というかマナー?)とされ、夫は夫で「子供を産んでも女性らしさを忘れないでほしい」とか言うし(うちは言わないけど)、まぁそりゃそうなんだけど、なんというか、本人の好きにさせてくれ!と思う。どこに言っても押し付けられる理想像があって、窮屈。
母にも多様性を!そして自由を!と心の中で叫びつつ、「母らしさ」って誰が作ったのかなーなどと、この展覧会の‟「こどもらしさ」はこどもが作ったわけじゃない”というコピーを見てぼんやり思った。
http://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/160716-0831_children.html