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2度の出産を通して思ったこと考えたこと

産後3週間が経過。身体も少しずつ回復してきて、それに伴い出産についての濃い記憶や感情、思考も、忙しい毎日に紛れてぼんやりとしたものになりそうなので、忘れないように記録。

今回、私にとって2回目の出産は、想像以上に大変なものでした。

実は前回の出産が逆子による帝王切開だったのですが、術後の体調不良(貧血で10日も入院したのを始め、もろもろ大変だった)や、産後の回復にすごく時間がかかって辛かったこと(3か月くらいは、近所のスーパーに買い物に行っただけでぐったり倒れこむくらい、体力が落ちていた)をふまえ、今回、上の子の育児のことも考え、VBACでの出産を希望していました。

VBACというのは、帝王切開の既往のある人が自然分娩をすることで、その出産方法を試みることができる病院はかなり限られています。多くの病院では、子宮破裂の確率が自然分娩の場合の0.1%に比べ、約10倍の1%になること、などを理由に、いちど出産や筋腫の手術などで大きく子宮を切っている場合、帝王切開での出産となります。

結果としては、入院から40時間半、正式に本陣痛開始とされてから34時間半の難産の末、帝王切開という出産でした。

経緯を振り返ると、、、

7月1日、翌週から始まる息子のプール準備の買い物のため、一人、電車で出かける。無事買い終えて遅いお昼をとっている頃(15時)、不規則で軽い痛みを伴うお腹の張りを感じ、とりあえず家に帰る。雨が降ったりやんだり、湿度が高くて苦手な感じの天気で、帰ってきたらなんだかぐったり。19時頃にはどんどんお腹が張る感覚が短くなり、おしるしもあったので病院に連絡。来てくださいと言われ、21時に入院。この時は、きっと明日には生まれるんだろうなーと思っていた。夫と息子はとりあえず家に帰る。息子ぎゃん泣きで切ない。

7月2日。深夜3時、痛みの波が来るとしゃがみ込まずにはいられないくらいになったところで、本陣痛開始ということで陣痛分娩室へ。それからの丸一日は、陣痛の間隔が狭まったり遠のいたりの繰り返しでなかなか分娩につながる「持続的な、いい陣痛」がつかず。短い時には2~3分、長くて15分くらいの間隔で訪れる陣痛にひたすら耐える。陣痛の合間にウトウトしても、次の痛みで飛び起きる、を繰り返し、ほとんど寝られず汗だく。もはや自分が眠っているのか起きているのかもわからないくらい消耗。食事も、吐き気、胸やけでほんの一口が苦痛ながら、体力維持のため少しでも口に押し込む。とにかくあてどない時間を一瞬一瞬耐えている感じ。子どもも出産に立ち会える病院なので、一度陣痛中に息子が来たのだけれど、とてもじゃないけど相手ができず。息子も苦しむ私を見て泣いてしまい、私も集中できないし、帰ってもらう。食事と同様、負荷をかけるほうが「いい陣痛」につながるとのことで、気力を振り絞って廊下を歩く等。あとどれくらいかかりそうか聞くのも怖く、訊いたら気持ちがくじけたり、その時間まで頑張って生まれなかったら心が折れそうだったので、聞くことは出来るだけせず、そのときそのとき、「今」できることにとにかく集中しようとしていた。

7月3日明け方。この時点で本陣痛開始から24時間以上が経過。またウトウトしていて、痛みでびくっと飛び起きたとき、付き添ってくれていた助産師さんから、静かで穏やかな声で、状況についての説明が。時間がかかりすぎて様々なリスクが生じてくる「遷延分娩」の目安が30時間であること、VBACの場合は普通よりリスクが高いので陣痛促進剤を使えないこと(これは事前にわかっていたこと)、午前中(分娩時間30時間+α が経過した段階)の医師診察の結果で、帝王切開も視野に入れることになると思う、とのこと。前夜からずっと付き添い、励まし、鼓舞し、お産を進め苦痛を取り除くためにあらゆる方法で手を尽くしてくれた助産師さんは、私の希望をあくまで大切にすること、経膣分娩のためにやり残したこと、こうしておきたい、トライしたいことはないか、ということを聞いてくれました。

私は、先が見えない状態であとどれくらいかかるか判らないとなると、体力気力が非常に不安であること、約6時間後の診察の結果次第で、リスクが生じるようなら最も安全な方法をとりたい、ということを伝えました。

体力と気力が本当に限界だったこのとき、助産師さんが私にかけてくれた言葉が、私の心をすごくラクにしてくれました。

一つは、「生まれ方はこの子が決めるから」というもの。私自身に何か(努力や準備)が足りないのではなくて、どんな生まれ方も、こちらが100%コントロールできるものではないんだ、と、すごく肩の力が抜けて、納得できました。この子が選んだなら、それがこの子にとって一番自然な生まれ方なんだ、と。逆に言えば、やっぱり前回の帝王切開にしても、どこかで自分の妊娠中の過ごし方が悪かったからじゃないかとモヤモヤしていた、だからVBACを希望していた、ということも、多少あったのだと思う。(実際、ほんとにいろんなことを試みたけど何をしても逆子は直らなかったし、だけど結局へその緒が短い等の明確な逆子の原因もなかったし、どうしようもなかった&とにかく無事に元気に生まれてくれて何よりだった、のだけれど。でも、誰かの、ちょっとした無作為の言葉が、そういうふうに考えてしまう材料になることも、あるのですよね) 

出産のスタイルへのこだわりじゃなくて、産後の生活を考えての合理的な選択のつもりだったけれど、やっぱり前回の出産で何かをやり残したみたいな、そんな気持ちもあったんだと思う。その、前回からのモヤモヤまで、すっと晴らしてくれる言葉でした。

今回は、前回の妊娠時よりも意識的に仕事をセーブできたおかげか、つわりは5~6ヶ月まで続き酷かったものの、その他は前回のようなトラブルは全くなく、体重増加もいい塩梅にセーブして、身体を整え体力をつけることにも余念がなかったので、「いい感じですね!」と医師や助産師に検診のたびに言われていた。そんなこともあって、きっと普通分娩できると、私自身もどこかで過信していたのかも。子育てをするなかで学んだ一番のことは、この世にはコントロール不能なことが山ほどあるということ、むしろ「ままならなさ」が生きることの本質だということ、だったはずなのに。(でも、親は子どものことになるとつい、因果関係を気にしてしまうというのも、また事実。)

それからもう一つの、心に響いた言葉。「この子はきっと、最後の水入らずの時間をできるだけ長く過ごしたくて、お母さんに甘えているんだね」と言ってくれて、はっとしたのだった。

仕事と育児に追われて、息子の時のように毎日お腹の中の存在について考えたり心配したりわくわくしたり…ということもなく、気づけば臨月、という感じだった今回の妊娠期間。2歳の息子は可愛い盛りで、面白くて楽しくて、そちらの成長にまだまだ目を奪われていて、さらには彼の赤ちゃん返りのケアもありで、正直、生まれてくるこの子にまでなかなか気が回らず、実感がわいていなかったように思う。それが、この言葉を聞いて、すごくすごく、心から、この子を可愛い、いとおしいと思って、愛情があふれてきたのだった。漠然とした愛情が、すごく具体的な、強い実感としての愛情になった瞬間だった気がする。

そして、息子育児でハードだったにも関わらず全くトラブルなく妊娠期間を過ごせたことを「2人目って強いんだな~、手をかけなくてもたくましい!」くらいに思ってもいたのだけれど、でもそれって、実は私自身が仕事をセーブしたり身体づくりをしたり゛自分のために”(というつもりで)やってきたことが、当たり前だけど、”この子のため”でもあったということなんだよなぁ、と、ずっと育んできた自分の中の愛情に気付くことができた瞬間でもありました。

「ずっと、゛この子のため”だけになかなか何かをしてあげられなくて、だから、この陣痛のあいだ、一瞬一瞬を、とにかく自分にできること、やってあげられることをやってきたので、悔いはないです」と話しながら、思わず涙が……。 ”この子のため”の出産、安産のために自分が準備してきたこと、そして今、長い大変な時間を乗り切ってきたこと、その原動力である愛情に自分で気づいて、そんな気持ちで出産を迎えられて、本当に良かったと思う。

「○○さんはずっと、本当に良く頑張ってたよ、昨日から頑張って歩いてたのも、私、(担当じゃない時間にも)見てました。長く陣痛に耐えたのは、まったく無駄じゃない。その分、強い子になるから。すごく意味がある、素敵な時間でしたね」という言葉にまた、救われました。

幸い、赤ちゃんは心音が落ちることもなく最後まで元気でしたが、30時間超えた時点での診察で、ここまでの経過(お産の進行ペース。この時点で子宮口は7cmで、あと2時間くらいで生まれる可能性もあれば、半日以上かかる可能性もある)と、VBACであること、母体の消耗度を考えて、帝王切開にしましょう、ということに。

最後、出産のときを担当してくれた助産師さん(6~7時間で担当が替わる)も、やり残すことがないように、と、ずーっと分娩促進のアロマオイルでマッサージをしてくれたり、最後に判断するその時まで、どちらの可能性もあるから、と準備してくださったのがありがたかった。

帝王切開と決まってから、前回のオペ時の症状、不安を細かく聞いてくれて、できるだけそうならないよう準備してくれたことも。

産声を聞いて元気な姿を見て、とにかくほっとして涙が流れた私の顔を笑顔で覗き込んで、「元気に生まれて良かったね!がんばったね!」と言ってくれたことも。その声と笑顔は、ずっと忘れないと思う。(この助産師さん、退院の前にもわざわざ病室を訪れて労ってくれて、すごく嬉しかった)

実は術中(すでに子は出てきた後)、薬のアレルギーか、アナフィラキシーショックに陥り怖い思いもしたのだけれど、そして実際、前回の傷あとが赤ちゃんの手が透けて見えるくらい薄くなってたらしいので帝王切開という判断をしてもらえて本当に良かったのだけれど(どんな出産も、本当に命がけ、なんですよね)……今回の経験で、どんな形式の出産も、ある意味では「自然」分娩なんじゃないか、と思えました。よく考えてみたら、こんなに医学が発達した現代において、そもそも陣痛がいつ起きるか(赤ちゃんがいつそのホルモンを出して陣痛をスタートさせるか)全く予測できない(出産の準備がどこまで進んでいるか、という身体の状態は診断できても)ということに、出産というものがいかにコントロール不能かはよく表れているのだけれど。改めて、今回、というか2回の出産を通して、「ままならなさ」ということを学んだ気がします。

この世は、ままならないことで出来ている。その中で、合理的に判断・選択できる部分と、あとは、合理的じゃないけれど、個性というか、自分のこだわりや思い、みたいなものを出す部分とで、人生って作っていくものなんだな、、などとも思いました。

そう考えると、医師と助産師がデータや経験値から合理的な判断をしつつ、出産というシーンにおける個々の希望を尊重してくれる(かつ、高度の技術・設備・スタッフを備えていて様々なリスクに対応できる)、今回の病院は、すごくいい病院だなぁと思ったし、産科というのは、まさにその「ままならなさ」の中で命を安全に生み出すことを最終の、そして何をおいても第一の目的とし、どこで折り合いをつけるかという高度な判断が刻々なされている凄い場だなぁと改めて思いました。(もちろん、他にもそういう職業はたくさんあるけれど)

そして助産師さんの素晴らしい仕事ぶりにもうひたすら脱帽、感謝、でした。相手の状況と気持ちを考えて、必要な言葉を掛けるテクニック。むろん言葉だけでないお産の技術と、心を要する、重要な仕事。私、自分が出産するまであまり「助産師」という職業に思い至らなかったけど、みんなどうやってこの仕事を志したのか、すごく気になります。

言葉で相手の気持ちを解きほぐす魔法を掛けられる人もいれば、呪縛を掛ける人もいるのだよなぁ、とも痛感しました(前回の出産に関しても、実は産後訪問の助産師さんのちょっとした言葉が心の隅に引っかかっていたり)。他人の、人生の節目とか、感情が露出する局面とかに関わる職業では特に、その技術と心は大事になるんだろうけれど、私も誰かにいい言葉を掛けてあげられる人になりたいなぁと思う、そんな経験でもありました。

産後3週間。昨日は息子の保育園送りをしてみたけど(今週2回目。ママと保育園に行けるというだけで、めちゃくちゃテンション上がるので、、)、早歩きしただけでお腹が痛い。まだまだ養生の期間ですが、少し体が元気になってくるとまた、「もっとやれたんじゃないか」的な回想をしがちになるので笑(だから人は再び出産できるのですよね)、あのときに感じたこと、得られた考えを文章で残しておこう、と。私が誰かにVBACをお勧めすることはもちろんないですし、逆に「やめたほうがいい」とも言えません。経膣分娩と帝王切開、どちらが大変とかもない。そして、痛みに耐えたから偉いわけでも、よりよい出産なわけでも、当然ないと私は思う。

子を持つか否かとか、出産方法とか、育児に関するあれこれ(たとえば母乳)とか、人の選択にあれこれ言う人もいるし、それによって誰かが追いつめられることって割とある気がするけれど、「絶対○○だ」とひとに何かを断言することほど信用ならないことはない、と、ほんとうに思います。

入院から3日目の出産となり、忙しいタイミングに何日も出社できなくなった夫は気の毒だったけど(あと2~3時間で生まれるかもしれないから、立ち合いするなら呼んでと言われてから30時間近く…)、辛い時間を支え続けてくれ誕生の瞬間にも立ち会えたし(この病院は帝王切開でも立ち会い可能)、息子にとっては試練となる長い入院になってしまったけれど(できるだけ早く家に帰ってあげたい、それもVBACに挑戦した大きな理由だった)、寂しさに耐えて本当によく頑張ってくれた。そして何より、娘が元気に出てきてくれた。

いい出産でした。

産後、みんなが掛けてくれる温かい祝意や労いの言葉、そして様々な人たちのサポートもあって、おかげさまで産後うつにもならず楽しく過ごせています。

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