ダフネのオルゴール第16話
コントロールエリアに飛び込み、息を整えながら倉庫の監視モニターを確認する。リンシャちゃんが独りで座り込んだまま、時々目元を拭っている。恐る恐るマイクを使って呼びかけてみるが、聞こえていないようだ。そろそろクロエが到着していてもいい頃だ。何かトラブルが起きたのだろうか。もしダクトの中で意識を失っていたら。
迎えに行かなくては。ドアに向かって走り出そうとした瞬間、大勢の人間の怒声と悲鳴が聞こえてきて思わず耳をふさいだ。エントランス前を映すモニターから聞こえている。スピーカーの接続が良くなったのだろう。
濃い煙幕が焚かれているようで、人質になっていた職員たちの様子は分からない。銃声が聞こえる。テロリストたちがまた爆弾を使ったのだろうか。口の中が急激に乾いていく。患者さんと職員たちはどうなったのだろう。イーボリックさんとカンザキさんは。ボランティアの同期の子たちは。息をつめてモニターを見つめていると、警報が鳴り始めた。警察隊の警報だ。
モニターに顔を近づけてみると、煙幕の向こう側に武装した警察隊らしき集団が見えた。助かったのだ。クロエに伝えなくては。喜び勇んでドアから出ようとした時、電気回路が剥き出しなるほど破損している小型通信機から大きなノイズ音がした。耳を澄ませてみると、ノイズ音に混じって誰かの声がする。
「……誰か……誰かいますか……すぐ避難しなさ……もう大丈夫」
イーボリックさんの声だ。通信機に顔を近づけて力いっぱいに叫んだ。
「80階のクレスです!リンシャちゃんを助けるために、クロエが倉庫に向かってます!今もきっとダクトの中にいます!早く救助してあげてください!」
「……クレスなの!?無事でよかった!……倉庫に繋がるダクトね!今救助隊を……あなたはその場に……」
通信は途切れ途切れだが、イーボリックさんには伝わったようだ。モニターに両手をついて深呼吸しようとして、驚いた。画面にリンシャちゃんとクロエが映っている。2人ともこちらに向かって手を振っていた。クロエは力なく横たわっているが笑っている。映像はすぐに涙で見えなくなった。
西日が差し込む簡易の救護室でぼんやりしながら座っていると、遠くから私を呼ぶ母の声が聞こえてきた。初めて使う松葉杖に悪戦苦闘しながら部屋の外に出ると、廊下の奥から突進してくる母が見えた。小さな子どものように泣いている。生まれて初めて見る母の泣き顔に大きなショックと息苦しさを感じていると、あっという間に目の前まで来た母は無言で抱き着いてきた。
「一緒に帰ろう。すぐに家に帰ろう」
母は泣きながら同じ言葉を何度も囁く。母の後ろで目を潤ませている父も、何度も頷いていた。
「ごめん。まだ帰れない」
固い声で答えると、父と母は信じられないものを見たような表情になった。
「もう少し、そばにいたい人がいるの。私よりよっぽど苦しいはずなのに、今まで助け続けてくれた。今回も助けてもらったの。でも、私まだ何も返せてない。せめて最期まで一緒にいたい。だから、まだここにいる」
「担当の患者さんのこと? クレスはただの学生ボランティアなんだから他の職員の人に任せなさい」
「赤の他人にそこまでする必要はないよ。とにかく、家に帰るぞ」
「他人じゃない!」
思わず出てしまった大声に、救護室の外にいた人たちが一斉に静かになった。私の初めての反抗に、父と母は呆然としている。一瞬ひるんだが、もう言葉を止めなかった。
「義務じゃなくて意思なの。私がクロエときちんと関わりたいの。母さんや父さんと同じくらい大切な人だから。クロエとは、もうすぐ永遠に会えなくなるんだ。最期に立ち会えなかったら、きっと一生後悔する。看取るまでは絶対に帰らない」
言葉が出ない様子の2人の横を通りすぎようとした時、母が私の右肩を強く掴んだ。
「何言ってるの!そんな怪我までして!」
「来てくれてありがとう。でももう帰って。私にはやるべきことがあるの」
母の顔を見ないようにして、手を振り払った。1歩ずつ2人から離れていく。後ろから母の泣き声がするが、聞こえないふりをした。
低層階に設けられた患者さん用のスペースは、無数のパーテーションで区切られていた。手の甲にメモしておいたクロエの病室の番号と、カーテンにピン止めされている番号札を見比べながら、どんどん奥へと進む。同じ番号を見つけて静かにカーテンを開けると、酸素マスクを付けられているクロエがいた。深く眠っているようで、寝息がはっきり聞こえる。
そばにあるスツールに座り、寝顔を眺めた。心拍数や血圧などを表示しているモニターの電子音は規則的に鳴って、眠気を誘ってくる。少し目を閉じていると肩を揺さぶられた。母かと思って目を開けると、目の前にイーボリックさんがいた。
「もうそろそろ夕飯の時間よ。心配なのは分かるけど、寝るなら職員用の仮眠スペースでね。クロエさんに何かあったらすぐに呼ぶから、安心して休みなさい」
「あ……すみません。寝るつもりじゃなかったんですけど、寝顔見たら安心してしまって……すぐに移動します」
「ああ、ちょっと待って。その前に少し話しがあるの。一緒に来てくれる?」
「……はい」
イーボリックさんの後ろを歩きながら、なんとなく何を言われるのか想像がついた。無意識に左手で右腕を強く掴んでいた。人のいない地下倉庫に着くと、イーボリックさんはこちらに振り返った。
「さて、いいかな。実はね、先ほどあなたのご両親から、娘をすぐに家に帰すようにと強く抗議されたの。そして、ホルスホスピスは学生ボランティアたちを全員、速やかに帰宅させる方針だと発表したわ」
「私は帰りません。まだ、どうしても帰れないんです。クロエが……」
下を向いて押し黙った。次に何かを話せば、涙が止まらなくなってしまう気がした。イーボリックさんのため息が聞こえる。
「そう言うだろうと思った。ご両親には私からも説得してみる。クレスもメールか手紙でいいから気持ちを伝えてみなさい。ただ元気な姿を見せるだけでもいいのよ。安心してくれたらきっと、許してくれるわ」
「でも学生ボランティアは全員、帰されてしまうのでは……」
「死者が出なくて幸いだったけど、ホルスホスピスの中はどこもめちゃくちゃ。立て直すために今は少しでも多くの人手が必要なの。学生ボランティアの希望者には残ってもらえるように、私とカンザキさんで職員たちに呼びかけて病院長に直談判してる。予想以上に賛同者が集まってるから、きっと大丈夫よ」
ウインクしたイーボリックさんは、抱えていたファイルから数枚の書類を手渡してきた。ホルスホスピスの復興ボランティアになるための申請書だった。
今夜も黙々と折り紙の花を咲かせ続ける。気付けばベッドテーブルは花畑のようになっていた。ゆっくりと丁寧に青色のバラを折っているクロエをじっと見る。今日は顔色がいい。安心して黄色い折り紙を手に取った。
あの爆弾テロ事件のあと、リンシャちゃんはますます私たちに懐いてくれたが、リンシャちゃんは養父母の自宅近くのホスピスに転院することになった。養父母はリンシャちゃんが心配なのだろう。あんな事件があったのだから、仕方ない。
しかし転院が決まって以降、リンシャちゃんには元気が無い。励ますために、クロエと話し合ってサプライズプレゼントを作ることにした。スクラップブックに思い出の写真や手紙を貼り付けた手作りアルバムを贈る予定だ。
デコレーションとして使う折り紙の花をクロエとこつこつ作っているが、まだ半分くらいしか出来上がっていない。リンシャちゃんがクロエの病室にいる間は作れないし、私も日中は別のフロアで復興の手伝いをすることが多いので、思ったよりも作業が進まないのだ。
「あと3日しかないけど完成するかな」
「まだ3日あるなら、なんとかなるよ。それにしても、クレスが親と大喧嘩するなんて驚いたなぁ」
突然のクロエの発言に、驚いて折ろうとしていた折り紙を落としてしまった。
「な、なんでクロエが知ってるの?」
「んー?カンザキさんが教えてくれた」
「うわー、見られてたのか……。すっごく恥ずかしい……」
「かっこよかったって言ってたよ、カンザキさん。私もそう思う。恥ずかしくなんてないよ」
「……本当に?」
「うん。本当にすごいよ。成長の証だよ」
成長。私は成長したのか。だんだんと顔がにやついてしまう。クロエに褒めてもらえたことが、何より嬉しい。
「家に帰りづらくなっちゃった。でもちっとも後悔してないんだ。すっきりしてる。変な気分」
「クレスは強くなったねぇ。お父さんとお母さんもきっと、クレスの成長を喜んでるよ」
「ふっ、あはは。喋り方カンザキさんみたい」
「えー?そう?僕もクレスさんの成長が誇らしいなぁ」
「あはは、似てる」
2人で笑いながら夜を過ごした。消灯の時間ぎりぎりまで、ずっと。
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