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東の脳へ 3

長編小説「東の脳へ」を4回ほどに分けてお送りいたします。
最後までお付き合いいただければ幸いです。
※少し荒々しい表現がございますので、ご注意ください。

~あらすじ~
左脳の機能を劇的に向上させる薬、プラグマティズム・ブースターが世界中に広まった。日本の教育にも活用され始めるという時、科学者を辞めたばかりの周防諒は不安と罪悪感に苛まれていた。同時期に大学受験を控えていた男子高校生、中里知樹は周囲から勧められ、薬を飲む。親友の同級生、北倉浩平は飲まないという選択をした。
プラグマティズム・ブースターによって、三人の運命は大きく変わっていく。右脳という東の脳へ、現実は移行していく。


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考える権利。

女性教師のプラトンを語る声に眠気を誘われながら、倫理の教科書に記された格言の一部を、記憶に刻みこむ。倫理の教科書の隅に見つけた哲学者。ヒュパティア。古代エジプトに生まれたという女性哲学者。

先進的な考え方で、キリスト教徒から疎まれ、殺害されたらしい。考える権利を手放してはいけない。迷信を真実と教えることは、惨い。小さいコラム蘭に記された、そんなような意味の格言。

鮮やかな言葉だ。はっきりした輪郭がありそうで、実体が掴みにくい「権利」という言葉を、鋭く突きつけるようなフレーズ。考える、権利。今の俺には、きっと無い。

「はい、ここはね、来週の……来週の小テストの範囲ですから。しっかり覚えてください」

テスト、という言葉で一瞬、クラスの雰囲気が重くなったが、すぐに緩んだ状態に戻った。ほとんどの生徒が受ける統一入試、インテグ試験に倫理の科目は無い。

インテグレイション受験協会は、数年前に倫理を試験科目から除外した。それ以降、どこの高校でも、倫理の授業時間は受験生にとっての自習時間になっているだろう。

今日の俺にとっては休憩時間だった。いつもは、歴史科目の暗記に当てる時間。しかし、今日は魔が差した。一度も意識して読んだことのない倫理の教科書から、目が離れなくなってしまったのだ。ただ、なんとなく。

こんなことでは、駄目だ。本番まで、あと1年と、ちょっとしか無いのに。昨日塾で返された模試の結果と、その結果から弾きだされた合格率を思い出す。

親には、ずっと嘘を吐いている。このままでは、杜春もりはる大学に受かるわけが無い。プラグマの効果が出るのを待っている暇はない。頑張らなくては。吐いた嘘を本当に変えなくては。そう、自分に言い聞かせたばかりなのに。

「知樹、知樹」

後ろから肩を突かれた。後ろの席の琴浦ことうらが、前を指差している。

「中里君、答えられないかな?受験で忙しくても、授業には集中しててくれないと困るよ。受験生は偉いわけじゃないのよ。勘違いしないようにね」

先生は俺を見ないまま、早口で小言を言い切り、流れるように授業の進行に戻った。何を聞かれていたのか、全然分からないとは。本当に、集中しないと。

苦い味が広がる。静まり返っている同級生たちを見渡す。雑音を遮断して、単語帳と参考書と睨み合うために、必死に下を向いて。この思考の権利を剥奪された惨めな集団の中に、自分を偉いと思っている奴なんて、いるのだろうか。


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