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【思ったこと】今が楽しければ、それでいい。

 ねこっちです。最近は毎日が充実しており、なかなか自分について思索することがなくなってしまった。しかし、自分について考えないことは、より外の世界に関心を集められて非常に良い。今日もトンボが手にとまった。

 今日は、思ったことを書いていこうと思います。


浪人に休学。ゆっくり歩む学部時代

 そういえば私は、浪人して東工大に入った。東工大に入ってからも、慢性疲労症候群のような体力切れにさいなまれ、1日に集中できる時間は限られてしまった。睡眠も10時間以上取らないと疲れが取れない。1日中寝ている日も多い。

 そのような私は、精神不安定で2回休学した。そして、突然「オエッ」とえずいてしまう「ヒステリー球」を2022年12月に発症。それで実験科目を断念し、1年留年。

 体調、精神状態はむしろ大学に入ってから悪くなったように感じた時もあった。私も、そうした自分が嫌であった。しかし、今はそれでいいと思っている。


 なにより、人よりも学問を深く探究できる。入学時は不慣れだった物理学的思考も最近、その頃合いが分かってきた。最近は、6年間かけて培ってきた学部の知恵が、ようやく自分の手で動かせるようになってきた。この理解の深さは、この休学期間なしにはなかっただろう。

 さらに、こうして真摯に学問に向き合っていると、理解者、支援者も増えた。大学にも、その周りにも、力強い支援者が大勢いる。これは今後も学んでいくうえで強力な味方になる。

 私は、私のペースで歩み続ける。

 そして、何といっても、今が楽しい。確かに「かつての同級生より4年も遅れを取っている」と考えてしまうときもある。しかし、今が楽しければ、それでいい。4年遅れをとっているというのは、事実かもしれないが、その事実に目を向けると、今が楽しくなくなってしまう。私にとっては、今を楽しむほうがそんなことよりも大事である。

 今が楽しければ、それでいい。


物理学を学ぶ

 ようやく最近、ランダウ・リフシッツの『力学』を読み始めた。確かに難読書ではあるが、優秀な人であれば、私の年齢(年齢で判断するのは嫌いだけれども)ではもうとっくに読めているだろう。

 私は、これだけ学部時代に時間をかけて、自分の物理学に対する理解が並以下ではないかと感じた時、深く絶望することがある。じゃあ自分は、何だったらできるんだよ、という風に。

 そのため、私は物理学をやめて、もっと自分をふんだんに発揮できる道に進んだほうがいいのではないか、と思った時もあった。「物理学に向いていない」ー。そうした考えは、ずっと付きまとっていた。しかし、私はそれでいいと思っている。


 「自分は何だったらできるんだよ」というものの見方は、自分がその世界に降臨してやろう、という、見下した視点が入っている。しかし、学問をはじめとした物事は、そうして行うものではない。

 それは「そんなに甘くない」という意味ではない。私は、自分の人生が甘くなかったことと、それを歩む苦しみを知っているため、「甘い/甘くない」ということを人に言うのは甚だ嫌いである。人には、「甘い/甘くない」なんかと言った説教をするよりも、もっと好きなことや楽しいことを共有して親密になりたい。私は、親密さを味わったことのない人生を送ってきたので、これからは親密な関係の味を知りたい。

 ・・・話を戻そう。「自分は何だったらできるんだよ」というような、自分のスキルを考える事も、ある面では確かに大事かもしれない。しかし、「自分がそれをやってやる」ではなく、「それをやらせていただく」という考え方が大事ではないかと思う。

 それをやって、経験もできるし、成長もする、ということを言いたのではない。そんな何にでも使える文句を言うつもりはない。それを真剣に取り組めば、愛着がわき、好きになるということを言いたい。

 私の場合は、物理学である。数学記号が、自ずから数式の含意を語り掛けてくれるようになる。物理法則の起こり方の秩序性が分かって来る。これがきれいに頭の中でつながった時ほど、やりがいを感じる時はない。

 なにより、今やっている物理学は楽しい。最近は「揺らぎ」について具体的なイメージが解ってきた。だからやめたくともやめられないのである。

 今が楽しければ、それでいい。


過去・現在・未来

 かつての私は、過去・現在・未来のどれが大事かと問われれば、渋々「過去」と答えていただろう。それは障害から来る強烈なフラッシュバックで、過去にとらわれた人生を歩んでいたからである。

 ある時はかつての先生の怒鳴り声が、ある時は体罰が想起され、さらにはその時の先生の声で「~~しろよ!」と自分に命令するような強迫観念も現れていた。例えばそれは、落ちているゴミを見た時に「拾えよ!」と命令してくるものだから、ゴミを拾う際、それが「自分の意志」なのか、「先生の声に従った結果」なのかが分からず、結果として「先生」という過去の人物が今を邪魔する、ということがしょっちゅう起きていた。

 それは大学入学後も続いた。いや、大学に入ってから一段と激しくなった時もあった。先に述べた「疲れやすさ」は、一つにはそこから来ているように感じられる。

 「過去・現在・未来のどれが大事か」と問われれば真っ先に「今!」と即答する今の私であっても、その時の、過去にとらわれていた時代の自分を取り返せるわけではない。その時間は、もう過ぎ去ってしまった。

 時折、あの時の精神的に悩んでいる時間に、もっと学問に打ち込んでおけば・・・、と思う時がある。また、過去の苦しみにとらわれてパニックを起こし、迷惑をかけてしまった家族の悲しみも、その時に戻ってなかったことにはできない。しかし、私はそれでいいと思っている。


 過去は変えられない。世界中の国家予算をそこに投じても、過去は変えられない。しかし、今は変えられる。今から楽しい未来を作ることができる。

 未来への心配も、生きているのであるから当然ある。

 「ある先生は『君たちは社会に出たら自分が無能力者であることを痛感するだろう』と言っていた。社会に出ると、そういう思いしかしなくなるのだろうか・・・」そう言う不安が頭の思考をかっさらった時もあった。

 しかし、未来のことをどんなに悩もうとも、今はどうしようもない。しかし、今には、その積み重ねによってその未来さえも変える力がある。

 未来になってから、今の自分に戻りたい、と思っても、それはできない。だから、今の私が変えられるのはこの「今」しかない。

 その今をいかに楽しく変えていけるか、そこもまた頭の使いどころである。

 今が楽しければ、それでいい。


これは無責任という意味ではない

 指摘するまでのことでもないと思うが、「今が楽しければ、それでいい。」というのは、無責任ではない。

 これは単なる楽観主義ではない。私を含め人の人生は、今の積み重ね(積分)でしか生きられない。過去や未来に跳躍し、そこで生きる事もできないのだ。だから、今を楽しくすることが必然的に人生の充実の必要条件になる。

 今には、様々な個性がある、ということはみなさんご存じだろうか。朝日には朝日のみずみずしい色があり、茜空にはその日で違った表情がある。いまパソコンで打っているこの文字も、入力ミスの個性(こと→k十、思います→思い餡巣、・・・)が面白いし、文字のタイピングとともに動いていく画面も小刻みで見ていておもしろい。

 今には、気づかないだけで様々な顔がある。その今をいかに深く味わうか、その積み重ねが人生の充実を決めているのだと思う。

 むしろ、今様々なこと(お金、国際情勢、教養、政治、・・・)を心配して、今を今として味わえないほうが、私にとっては「自分の人生に無責任」で、恥ずべきことであるとも感じる。勿論、仕事や立場上それを考える人がいる事は知っており、それが悪いことだとは言わないが、こと自分については、自分の人生を楽しんでいきたい。

 今をどう生きるか、ということを思うと、必ず思い出す一節がある。岡潔先生の『春宵十話』の次の一文だ。

私は数学なんかをして人類にどういう利益があるのだと問う人に対しては、スミレはただスミレのように咲けばよいのであって、そのことが春の野にどのような影響があろうとなかろうと、スミレのあずかり知らないことだと答えて来た。

『春宵十話』 |岡潔

 岡潔先生が無心で数学をやったように、私は無心で今を楽しむ。それに社会的な意味があるかということは、私は知らない。

 いや、知ってしまっては困るのだ。そんな大きなもの、私の頭には入らない。そんな大きなものを私の中に入れようとすると、私の心の調和を乱してしまう。「必要以上に大きなシステムを自分の頭に入れてしまうことが精神の調和を乱すこと」は、これまで精神不安定で過ごしてきた、長い学部時代に得た教訓の一つである。

 今を楽しみ、私の周りの人と一緒に笑顔になること、これも社会貢献だとは言えなくもないが、わざわざそんなおどろおどろしい考え方をしなくとも、ただ楽しいのならば、やはりそれでいい。やはりそれがいい。

最後に

 今日はとりとめもないことを書いてしまった。まあ、毎日が楽しいので、自分の思索は随分とできなくなっていた。このnoteに、こうして書くことが、少しでも「思索の潤滑油」になればよいと思っている。

 この記事が、少しでも誰かの何らかのお役に立てれば、・・・否、立てなくとも、それでいい。私がこの時間に、思ったことを書き出せたこと、それ自体が良かったことなのだ。

 今日はこのあたりで閉じようと思います。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

   ねこっち

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