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うつのおかあさん-24 5月病

 5月病というものは、4月から新生活を始めた人々が疲れを感じてなんとなく元気がなくなる、そんなもののことをいうのだと思っていたのです。
 我が家はもっと分かりやすく、潰れていました。
 まずGW最終日に娘が全身に原因不明の蕁麻疹を発症し、#8000に電話をしたところ救急へ! と言われて(電話をしたのは何度か目だったが「行って!」と言われたのは初めてでした)遠くの救急外来へ。1日分のアレルギー薬を出されて終わり。のんだらスッと引いたので明日には治ってるかもね~とか旦那と話していたら、翌朝また全身に発疹。
 かかりつけの小児科に行って10日分のアレルギー薬を処方され、服用するがそこまですぐ良くならず、発症から3日目にようやっと皮膚科へたどり着きました。

 まず病院過疎地にいる我が家、皮膚科と言えば何時間も待たなければならない市立病院か、市を2つまたいだところにある病院が最寄り、という「最寄りってなんだっけ?」という環境にいるので、本当になにかない限り市立病院には行かないのです。といってもそんなに大きな病院ではないのですが。

 そうしてたどり着いた皮膚科にて、前日までの経過写真を全て見せ、現状も見せ、結論は『蕁麻疹』。
 ただこの蕁麻疹、7割の人はここまで(2日間の受診処方箋)の投薬で良くなるのですが、この子は多分残り3割の薬が効きにくい蕁麻疹でしょう、とのこと。
 ですよね!? だって全然効いてないですもん! と食い気味に言いそうになって、でも大人しく言うことを聞こう彼は専門医・・・・・・と言うことを聞いた結果、娘、人生初の『点滴』に。
 最近やっと注射で泣かなくなったばかりの娘、点滴という単語は知っていたようで、「いやいや」を繰り返し、それを待ち時間になだめ、中央処置室という場所に向かいました。
 そこはなんというか
「どんなレートでも取るからね~!」
 という風体の看護師さんしかいないような場所でした。すごい、なんだかすごい安心感。
 そして娘はいやいや言いながらもじっとして、腕の内側が全部蕁麻疹で赤くなっているのにどうやって血管が分かるのだろう? という腕にものの数秒1発でレートを取られ、30分間の点滴に入りました。
 携帯禁止、と書かれていたのですが、ダメ元で「スマホで動画見せてたらだめですか?」と聞いたところ「ぜ~んぜんいいよ~! なに見るの~?」と優しく言ってくださり、無事30分間をYouTubeのお世話になってなんとか過ごせました。
 その日は帰宅。ぐずぐずはしていましたがなんとか。
 そして驚いたのが、追加の処方が『胃薬』。これは科学だ! と思ったら、なんとその胃薬を飲むことで受容体が増える? だかでアレルギー薬にバフをかけることができるらしいのです!
 ということで大人用の胃薬を半分に割って溶かして飲み始めて、3日目くらいにはやっとほとんどの蕁麻疹が治まりました。
 ふーーーー初めてのこと尽くしで、私はこの時点で疲労困憊。

 そしてその週末、次にやってきたのが、旦那の発熱。
 これまで旦那が炊事を担当していたのだが、発熱によりそれができなくなり家事育児の全てが私にのしかかりました。しかもこのとき未だ私は蕁麻疹疲れから立ち直れておらず、だがしかし逃げられないのが家事育児。なんとかやりきりましたとも。

 そしてそして次の週には娘が発熱。3日間高熱を引きずり、週のほとんどをお休みしておりました。当然昼間旦那がいない間は高熱の娘の世話をしなければならず、しかも高熱の人間がいるということがまた精神疲労に拍車をかけ・・・・・・

 そしてそしてそしてまた次の週にはまた娘の発熱。またしても高熱。先週もたくさん休んだのに今週もか・・・・・・と覚悟を決めて過ごしました。
 発熱以外の症状がなかったので熱が下がるのを待つばかり、これは前週でも同じことをしたので、もう覚悟しかありません。
 しかし覚悟はしても疲労が軽くなるわけではありません。これは当然。
 全員が体調を戻して、私はドッと疲れが訪れて死にました。ええ死にました。
 短くなってきた睡眠時間(それでも12時間ほど寝ている)が元の睡眠時間(17時間程度)に戻りました。そして家事をまた旦那に預け、育児は最低限にとどめ、趣味も最低限にし、いろんなものをセーブしました。
 先日の通院にて就活を始めていいか聞こうと思っていたのに、もうそんな体調ではなかったので言い出すこともできず、主治医としても「休むしかこれ以上薬を出せないので、余計なことはなにもせずに休んでください」と言われ・・・・・・
 

 そんなこんなの5月でした。5月病だったんだな、と思うことにしました。
 怒濤の1か月を乗り越えた自分に拍手を与えつつ、明日からもできるかぎりゆっくり休みたいと思います。

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