絶景傘|掌編小説
窓に雨音が当たる音が目覚まし代わりになった。針のように痛く、それでも、私自身にはぶつからない距離で起っている。こんな憂鬱な季節はいつまでつづくのかな。
そう思っていると玄関のチャイムが鳴る音がした。夜な夜な、通販で頼んでいたことを思い出して、さっきまでの鬱々とした気持ちが吹き飛んだ。
布団を蹴飛ばしてスキップまでしちゃって、インターホンに応答する。
「お届けものでーす」
いつぶりだろう。この声にわくわくしているのは。”大人”と呼ばれる年齢になってから走ることすらなかったかもしれない。急いでドアを閉めて、リビングに舞い戻って、段ボールのガムテープを剥がした。いつもだったら嫌いな、このバリバリッという音も、いまならトドイタヨッという明るい音に聞こえている。
包装も取って商品を取り出してみると、思ったより、なんの変哲もない真っ黒な傘だった。さっきまでの期待がすこし雪崩てきた気がする。
「とりあえず、説明書通りやってみるか」
ひとりごとをつぶやいて、挑戦してみることにした。
まずは、部屋を真っ暗にするためにカーテンを閉めて、電気も消す。それから柄の部分にある、丸いシステマチックなボタンを押すだけ。
黒い物がすべて、どこにあるか分からない状態だったのが一変した。辺り一面が青くなっていったのだ。しだいに傘の内側がまっ青に、床は澄んだ碧に変わってきた。これは、いつか見た沖縄の景色だ。そう思った。
雨の日ばかり続いていて、ちょうど晴れた綺麗な景色を見たいと思っていたから、ハッピーな気持ちでいっぱいになってきた。記憶の片隅にある、絶景をいつでも、この傘で再現できる。
その後、雨が降り続けていても、鬱々とした気持ちになることはない。
だって、この傘を持って出かけると、好きな景色をいつでも見られるから。手のひらにある画面を見ると、〈江戸時代ぶりに100日連続、雨が続いている〉というツイートにあふれている。そんな同じように思っているひとたちにも行き渡るように、会社で提案してみた。すると、瞬く間に業績が上がって、豪雨不況と言われていた社会でも、なんとか暮らせそう。事務員だった私も、かねてから希望を出していた企画部に異動できた。
私にとって幸運の印となった傘を持って、今日も会社への道を歩いている。