[人生手帳]#34 死の彼方へ
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私はコロナ禍の前後に、三度も死というものに触れた。
兄と妻の母は病に倒れ、母は老いて息を引き取った。母は百二歳の長寿であったが、兄は七十代であった。二人ともに、この世との別れを予感していたようである。だが、妻の母は突然の病魔に襲われ、私たちを残して旅立ってしまった。その時の悲しみは今でも胸に残っている。
死というものは、人間にとって避けられない運命である。私はこの数年間、死というものについて深く考えるようになった。死とは何なのだろうか。自分が死んだらどうなるのだろうか。神がいるならば、なぜ死というものを作り出したのだろうか。
私は科学者ではないが、この世に生まれたものはすべて死ぬことになっていることは知っている。生き物には寿命というものがあり、その期間が過ぎれば死んでしまう。それは自然の摂理だ。
だが、私はそれだけでは納得できない。死んだらどうなるのか。それは誰も答えられないことだ。死んだらおしまいだという人もいれば、あの世に行くという人もいるし、生まれ変わるという人もいる。どれが正しいかはわからない。自分が死んでみなければわからないことなのであろう。
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私は死について、こう思っている。
人間は成長するようにできている。子供から大人へ、そして老人へと変化してゆく。その過程で様々な経験をする。喜びや悲しみ、愛や憎しみ、成功や失敗などである。それらが人間の人生を彩り、豊かにする。
そして、人間には死がある。死とは人生の終わりではなく、完成である。作家であれば、小説を書き終えた時のようなものだ。小説を書くためには締め切りが必要で、締め切りがなければ、小説は完成しないかもしれない。同じように、人生を送るためには死が必要である。死がなければ、人生は完成しないかもしれない。
だからこそ、「死ぬこと」よりも、「生きること」に意味を見出すべきであると思う。人間は生きている間に、「やりたいこと」や「やらなければならないこと」がある。「やりたいこと」や「やらなければならないこと」を見つけて実行することが、「生きがい」というものであろう。
今、自分の人生に迷っていたり、自殺を考えていたりする人がいるならば、私はこう言いたい。死は人生の完成である。死ぬまでに、自分の人生を完成させるために、何をすべきか考えてみてほしい。それが自分の人生の意味である。