ケア日記ー着物の居場所 9月16日
長い残暑がすぎやっと秋らしくなってきました 夜のニュースですすき梅雨といっていたのがよい感じ なんの変哲もありませんがケア日記を書いてみようとおもう土庫澄子です
母は子供のころから花柳流の踊りをやっていて、和服やら小物やらいろいろもっています
娘たちの子育てが一段落してからお稽古ごとを再開して和服が増え、嫁入り道具の桐のタンスは半世紀を超えて家の真ん中あたり鎮座しています
着物の虫干しははじめから母のひとり仕事だったようです 子供のころから、着物の虫干しの手伝いを頼まれた覚えはありません 着物は大切に畳まれタトウ紙に包まれた秘密の宝物、用もないのに紐をほどいてひろげたり触ってはいけないものと思っていました
母が着物を着るのはなにかの会とかお祝いや弔事、特別なときですからタトウをほどくのは特別なとき 季節ごとの手入れも桐のタンスもむやみに触ってはいけない特別感がありました
そんなこんなで文字通り腕自慢(←いまだにわたしより腕太いです)の母は娘たちにも触らせずずっとひとりで宝物を手入れし、守ってきたのでしょう
いつ頃からか母は肩を痛めはじめ、増えた着物の恒例の虫干しがだんだん思うようにできなくなっていったのだとおもいます
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あるとき、着物の手入れが母にはキツくなっていたことに気づきました それなら手入れ手伝ってあげましょう!とおもっても母が満足するようにはなかなかうまくいきません なにしろ母は自分でタトウの紐をほどき、ひろげて干し、自分でまた畳まなければ気がすまないのです
肩関節のダメージは徐々に確実に大きくなり、ひとりで手入れをがんばるのは無理になり気持ちは空回りしていたのでしょう。。
残暑のなかやってきた台風明けを見計らって、つぎの台風が来るまえに手伝うことにしました
母のケアと、着物の手伝いはちょっとちがいます 時と場合によりますがケアはどこかしらサポート感がつきまといます きっとそれでいいのでしょう? でも着物の手入れは秘密の宝物をそっと開きさわらせてもらう感じです
何年経っていたのか十分に虫干しができないままでいた着物を桐のタンスからいったん出すため、二日がかりで当座の着物の居場所作りをしました
古い家につきものの、長年の片付けからスタートです 桐から出した着物がこれからやってくる台風の生温かい湿気でダメになっては困りますものね。。
いつかやらなければと思っていたお着物たちの当座の居場所作り 初日に気づきました 手入れが十分にできなくなりほんとうは心配でならなかった母が、片付け仕事を眺めながら急に穏やかになりました
母の趣味にどうもあわないらしいちょっとしたサポートにもニコニコ(笑)あらら単純でわかりやすい(笑)
初日の夜、秋の虫を聞きながら思いました
家族といえどもいかにもなケアをがんばるうちにどこか気詰まりをおこすときがあるとおもいます ワンオペならなおさらでしょう
ケアを流れる水のように運ぶのは、当のそのひとが大切にして生きているものをこちらが大切にする、そのひとの人生そのものの尊重かもしれないとおもいました。。
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眠るまえ、豆電球を消した部屋で母は(たぶん)ニヤニヤしながら余裕のひとことを発しました
「ホント涼しくなったわ はぁ~生きるのはたいへんねっ」
「ん? やっと片付けたところよ??」
どこから来るのかわからない母の言葉にはいつも意表をつかれます(・ω・) どうかしたの?と聞くより一日の疲れがどっとでてぐっすり眠ってしまいました
居場所作りの二日目、朝から妹がやってきて続きを手伝ってくれました
着るか着ないかわからない、いったい誰が着るのかわからない着物のために二人してバタバタと汗を流しました
母はときどきなにか思いついては手伝っていました なんでもなさそうなときに母のらしさを感じます
懐かしいものの片付けに着物の移動で大忙しの二日間、初秋の空気が気持ちよかったです
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それがなんになる?? といわれたら結局なんにもならないかもしれません でもすっかりキレイになった新しい居場所に積まれて落ち着いた着物のボックスをみていると、こんな時間を過ごすのもわるくない これもケアのうちとおもうのです
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