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尊厳とは?-エスカレーター転落事故PL判決

人間の尊厳ってなに? 尊厳ってなんだろう? 尊厳を考えると、どこかで生きることに役立つの? そういえば尊厳は、哲学科の学生時代、哲学史の講義で教わらなかったし、哲学を学んでいたあいだ幸か不幸か自分ごとと感じたこともなかったのです

というわけで、素直な哲学生だったわたしは、尊厳を考えることもなく卒業しました

■尊厳について執筆依頼におどろく

その後、ずっとずっと時間がたって、哲学科学生時代のことはとっくに忘れてしまうほど時間がたって、当時勤めていた職場近くのカフェでお昼休みのコーヒーを飲んでいたある日、カフェの隣の席にやってきた人から尊厳について書いてくださいといわれるまで、尊厳とは無縁でした

ことわろうと思っていました 役所勤めでしたし、仕事以外ではじめてのテーマを研究する時間はとてもありませんでした ところが何度ことわってもあなた哲学出身でしょ!あなたの先生は尊厳の研究をしてますよね?と押し切られ降参

ひとまずことわらないことにしたものの、だいたい2年後の〆切まで尊厳の研究ができないままでした 

どうしよう?? 時間がないだけじゃない尊厳の話は哲学史のストックがもともとない 自慢にもなりませんが尊厳についてまともに勉強したことは一度もない。。

いくらファーブル好きでもファーブルみたいに夜の公園で一夜漬けするわけにもいかない 見事にスッカラカン 技法も絵の具もない困った絵描きさんみたいなものです

もとをたどれば依頼を聞いたときから尊厳のテーマは無理だと思っていました 半年から一年くらいかけて初歩から研究してやっと入り口と思っていました 

ためらいがあったテーマ、いまからでも辞退しようと考え始めたころ、あるPL判決の一部が頭の片隅にひっかかっていることをふっと思い出しました エスカレーター転落事故のPL一審判決です

■エスカレーター転落事故PL一審判決

         ーロボットになるも七転八倒

この判決との出会いは、わたしの最初の本を初校作業していた頃でした 作業中の本は自己流PL判例ケースブックを目指していて、手に入るPL判例はえり好みせず全部のせる方針でした

初校作業中にみつけてしまった新しい判決を原稿にのせるとなると、本の性格上、本のなかのあちこちで触れ、手直しが増えます この判例に通し番号をつけてナンバリングをすると、初校作業がさらに増える。。困ったことばかりどうしよう。。

でも考えました エスカレーターやエレベーターはPL法にいう製造物なのか?不動産の一部でPL法は適用されないのではないか? これは立法当時、ずいぶん議論され、国会でもやりとりされた問題でした この判決は待ちに待ったエスカレーターについてのはじめての例だったのです 

ナンバリングはあきらめ、判決はのせよう! そうと決まれば読もう!ロボットのように読んでまとめればいい!ところがどうしてうまくいきません(´;ω;`)ウゥゥ

まず、どのようにして事故が起きたのかシナリオがつかめません 被害者の方は、エスカレーターの乗り口に向かって後ろ向きに歩いていき、後ろ向きにハンドレール(手すり)に寄りかかり吹き抜けから階下へ転落する事故にあったというのです 同僚と会食後、なぜ後ろ向きでエスカレーターに近づき、背中から手すりに接触した??? さっぱりわかりませんでした

おまけに、判決は後ろ向きに手すりに寄りかかる云々は被害者が意図的にとった異常な行動で、エスカレーターの安全性の問題ではないとしています 判決が「意図して」と被害者の主観を説明するところが腑に落ちません 

一体なんのために?がさっぱりわからず、被害者の意図がピンと伝わって来ないのです

要は、編集者や印刷会社に迷惑をかける無理を押しても新しい判決を本に載せようと意気揚々とロボットになり切り読んでみても、事故のシナリオがさっぱり理解できませんでした 肝心の欠陥判断(判決はエスカレーターの欠陥を否定しています)をどう整理するかも宙に浮いてしまいます

時間が押すなか新しい悩みを抱え込み刊行を引き延ばすわけにはいきません 疑問をまるごとカッコに入れ、判決の表現のままに整理し、なんとか作業を終えました

そしてめでたく拙著刊行。。10年近い歳月を投入しても叶わなかった博士論文代わりのはじめての上梓でした でも、この判決は喉元に刺さった魚の骨のようにずっとひっかかりました

のちに行政機関が行う消費者事故調査でこの事故の分析に関わったときにも魚の骨がとれてスッキリできるか自信がありませんでした

エスカレーター事故の消費者事故調査に関わったいきさつは、ぜひこちらをご覧ください

■被害者の尊厳? 家族の尊厳?

エスカレーター転落事故の消費者事故調査を終えておもったことがひとつあります この事故は、一審判決のあと、二審判決、最高裁の上告棄却と一連の司法判断が続きました 

とくに一審判決が二度三度と繰り返し、二審で被控訴人側がリフレインした「意図して」のワンフレーズは、最高裁まで続く一連の裁判を通じて被害者のご家族をひどく傷つけたのではないかということです

やっとメインテーマ、尊厳の話にたどり着きました

尊厳といえば、尊厳死などの言葉が浮かぶと思います 報道で尊厳死という言葉でまず言われているのは本人の意志に焦点をあてた尊厳の話です 

エスカレーターの事件で尊厳を考えてみましょうといえば、まず思い浮かぶのは惜しくも事故で亡くなられた被害者の方の意志に焦点をあてた尊厳の話だとおもいます

たとえば、被害者の方の人となり、どんな性格や考えの持ち主で、事故が起きた状況のようなときにはどんな心情を抱き、なにを思っていたのか・・

判決は被害者が容易に理解できる危険を冒してまで「意図して」行動した、といいます 判決は事故現場に設置され、直前の様子を映した監視カメラの映像にもとづいて「意図して」といっているようです

判決のいうとおりかもしれません けれど、そうでないかもしれません 被害者がなにを考え、どのような意図をもっていたのか、映像から十分に知ることはなかなか難しく、被害者の肉声や、言葉、考え方がどこかに記録されているわけでもありません 

生命に関わる危険な行動を被害者が「意図して」おこなったというのは、映像をみた裁判官が被害者の内面を憶測しているのでは?とおもいます 残された映像から推測して、裁判官は被害者が自分の昇進を祝う会食のあと自ら進んで生命の危険をともなう異常な行動に出たと理解した、というわけです

そのときの被害者の心理を確かめるすべはもうないけれど、このような裁判官の理解がもしもまちがっていたとしたら、被害者本人が「意図して」死を望んだかのように、その意志が死後に誤って語られることになります 判決が描く事故のシナリオは歪んでしまいます 

わたしは、このミスによって傷つくのは、亡くなった被害者だけではないようにおもうのです 

二審の控訴人(被害者のご両親)は、被害者である息子さんは日本人の「人に背中を見せるのは失礼である」という日本人の倫理観に従って後ずさりしたと主張しています 
裁判所はエスカレーターの手すりに後ろ向きに寄りかかるという行為は倫理観に従ったものではない、と撥ねています 
被害者の倫理観について、議論はかみあっていない感じがします

百歩譲って、このような裁判では亡くなった被害者の尊厳や人格は考慮しないでよいとしてみましょう それなら裁判官は被害者の事故直前の行動の意図や動機、その背景にある人となりをどのように憶測し、評価してもよいのでしょうか? 

■関係という尊厳

わたしはここに尊厳の問題がもうひとつ浮かび上がってくるとおもっています 裁判官が息子さんの行動のシナリオを、確たる証拠なしに推測することは、その推測がミスである可能性を残したまま、ご両親と息子さんとの関係を傷つけてしまいかねないとおもうのです

控訴審でご両親は、息子さんが日本人の倫理観に従ってエスカレーターに向かって後ろ向きの行動をしたと主張されました 
わたしはこのケースの調査に関わりまして、ご両親は息子さんが生命の危険があると気づきながらあえて危険な行動に出る、知人たちの目の前で自殺かと思われるような行動をあえてとる人物ではなかったと言いたかったのでは?とおもうのです

悲しいことに、製品に関わる死亡事故の場合、自殺ではないか?という疑いがかけられる場合があります

生前の被害者に会ったことがない赤の他人が根拠のない憶測で自殺の疑いをかけることは、残された家族を傷つけるとおもいます 裁判のような正当な手続きを踏んだとしても、十分な根拠がないまま裁判所が自殺の可能性を示唆すれば、やはり家族を傷つけるでしょう

この傷は家族それぞれの生涯にわたって影を落とすことさえあるだろうとおもいます

比喩でなく、だれかが亡くなったとしても、家族はその人との関係を生きているとおもいます 死後に関係がさらに生成していくことだってあるとおもいます

事故で亡くなる前のその人の気持ちや人格を他者が憶測で評価することは、憶測する他者自身が思ってもみないような形でこの関係に影響を与え、損傷するリスクをもつとおもいます

要するに、事情がよくわからないままに他者(裁判官も他者です)が亡くなった人の内面を憶測することは、入ってはいけないところに土足で踏み込むこととあまり変わらないのではないか? 亡くなった人と家族の関係をミスを含むかもしれない憶測で傷つけることは、尊厳の損傷といってよいのではないか?とおもっているのです

■まとめ

わたしは、エスカレーター転落事故の調査に関わったことと、自分が家族のケアをした経験から、尊厳はなによりも本人の意志の問題だけれども、本人と家族のあいだの関係の問題でもあると考えるようになりました

尊厳を関係的に考えるという話はあまり聞いたことがないので、新しい思考法を探っているわけです 尊厳をテーマにした執筆依頼をきっかけに乗りかかった舟、焦らずぽつぽつ考えていこうとおもっています

この執筆依頼、原稿は用意したもののとても残念な経緯で刊行されないまま終わりました でもおかげで考えは芽を出し、双葉くらいに育っています🌱

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