寄り道してたら風邪引いた
書いて元気になりたくなってnote.
ひとつのタスクに絞ってから、急に広々と視界が開けた。タスクごとについてまわるあれやこれやの制約から解き放たれ、自由を謳歌。寄り道したいときは遠慮せず寄り道できる。まあそんな気楽なこといってても、この先、悩みに暮れる日が来るかもしれず、油断は禁物。
ここぞとばかり道草食みながらボチボチやっていたら(昔飼っていたシェトランドの嬉しそうな後ろ姿を思い出す)、たまっていた一年の疲れがどっと押し寄せたのか風邪を引いた。急に冷え込んだあの晩にまだ寒くない大丈夫と過信したせいだろうか。悪寒がして朝のゴミ出しに出られないなんて初めてだ。
数日おとなしくしてみたがあんまりよくならない。体調がすぐれなくても家族がそれを理解できない状況だと、変わらない家事ケアを求められる。在宅ケアは正直辛いものだと微熱に火照りながらぼんやりおもう。
コインを入れてボタンを押せばペットボトルのジュースがガラガラっと出てくる自販機のように、ボタンを押せばいつもの家事ケアが出てくるわけではない。風邪引き微熱の自販機は、ゆず湯につかる元気も食欲もない。
どうやっても動けない。家事ケアもだめ。仕事もだめ。長引く冬の風邪でこのままがくんと弱ってしまうのかなんて余計な心配が頭をもたげてくる。
そんなに急がなくていいのに、いつも時間がなく、足早に駆けていた。家事ケアを抱えているとだいたいいつも時間がないので、ほかの用でも小走りに駆けながら進めがちになる。ほっと落ち着く暇はなく、楽ではない。
もういい、今年はもうよくがんばったよとせめて自分に言ってあげたい。にっちもさっちもいかないこんなときには動けない自分を褒めることしかできない。それでもちょっとした癒しになる。
ここまで書いて、横浜にある神奈川近代文学館の「帰ってきた橋本治展」でみた自筆の手紙を思い出した。編集者宛の長いものと、短いもの。いきさつ内容はともかく、手書きの大きな字に迫力があった。背中のイチョウが泣いているのポスターのあの丸っこい大きな字そのものである。
集まった人たちの熱気で温まるような楽しい展覧会だった。ちょっとほかで味わえないほど雰囲気がよく、二度行った。二度目はお土産に橋本治所蔵のDVDをいただいた。文学館を通してご家族から形見分け。こうなると親近感がいっぱいで、もちろんお会いしたことないのに、橋本治さんとさん付けで呼んでしまいたくなる。
一回目はびっくりしたお気に入りのヴェルサーチ・シリーズも、二度目となるとほほえましくみえるから不思議なものだ。得意の刺繍でも凝った造りが好きだった、
note書いてたら少しばかり元気がよみがえってきました。Thanks, I need a rest.