【ケーススタディーその0(ゼロ)】エスカレーター転落事故のPL裁判と事故調査からケーススタディのスタイルについて考える
noteでやりたいことはケーススタディの試作ですと書いてから数日たった土庫澄子です
研究室で暮らしていたころ、行政実務についていたころ、フリーになって本や記事を書いたりするようになったいま、ぜんぶを通じてPL法裁判例のケーススタディをずっとやっています
ケーススタディの方法をどんな風に考えているかざっくり書いてみます 自己紹介の続編と思っていただければ幸いです
まずははじめて関わったケーススタディの話です
■はじめてのケーススタディ
判例研究と呼んでいる裁判のケーススタディをはじめてやってみたとき、なんと活字になるまで3年半ほどかかりました 博士課程のかなりの時間を使った計算になります
このときは大正時代の判例研究までさかのぼり考えこんでばかり 半年単位で一歩ずつ進むくらいの鈍行でした やっていたのは事業協同組合に関するケースで、戦中戦後の協同組合の古い資料にさかのぼって読んだりしたものです
考えこんでばかりの3年半は超アナログ、判例研究をやっていることを周囲が忘れるほどのんびりとしていました
このときにかかった長い時間はいまの糧ですが、作業はスピードアップしなくてはなりません
■ひとり工場で資料読みロボットになる
そんなこんなでもう20年以上続けているケーススタディはひとり工場状態で資料読みロボットとなってやっています ロボット作業にも最近変化がありました
ざっくりとケーススタディの旧スタイルと新スタイルとしておきます
旧スタイルはPL裁判のうち、法律的に責任があるかないかにかかわる部分をとりあげるものです 2014年の拙著「逐条講義 製造物責任法」の初版は旧スタイルそのものです
ところが初版を刊行してしばらくして、事故の責任云々ではなく、事故につながる要因をひろく調べて再発防止策を考えていく事故調査に関わることになりました
このあたりから旧スタイルだけでは物足りなさを感じるようになりました
■エスカレーター事故調査と関わる
転機はエスカレーターの吹き抜け部分からの転落事故に関する調査との関わりでした
エスカレーターの乗り口に後ろ向きに歩いていき、後ろ向きのままエスカレーターのベルト(ハンドレール)に体が接触したという事故です エスカレーター事故に関しておそらくはじめてPL裁判となりました
世界中のエスカレーター事故を見渡してもたぶん珍しいケースではないかとおもいます
ここ数年日本で、エスカレーターの乗り方マナーはずいぶん表立って議論されるようになりました いままであまりいわれなかったエスカレーターに潜む危険がTVや新聞で報道され、駅や商業施設のエスカレーターにはたくさんのポスターがはられるようになりました
エスカレーターの乗り方は変わってきたとおもいます
縁あってエスカレーターの事故調査に関わったのは、ちょうどマナー論議が熱くなるすこし手前です 世の中ではエスカレーターのステップの片側を急ぐ人用に空け、空いた側のステップを歩いて移動する乗り方が基本マナーと思われていたころです
マナーのはなしというと、責任云々の旧スタイルから縁遠い感が湧きますが事故防止にとっては大事な勘所です
■エスカレーター技術者たちとの会話
エスカレーター技術に詳しい人たちと会い、話を聞くうちに、基本マナーに疑問が湧くようになりました
技術者たちは異口同音に動くエスカレーターの上ではベルト(ハンドレール)につかまり歩かないで止まっていてほしいというのです
そうこうするうちにエスカレーターの乗り場に後ろ向きに歩いていったときに起きた事故とエスカレーターの乗り方基本マナーの話はピタリとつながってしまったのです 一体どこでどうつながるのでしょうか?
当時はひとに説明するどころか100%文系のわたしも天地がひっくりかえったようで自分の頭の整理をするのに一苦労でした
このときのわたしは既存の事例に照らして目の前のケースの責任問題を整理する旧スタイルの資料読みロボットではいられませんでした
■エスカレーター裁判が並行して進んでいました
当時わたしが勤めていた消費者庁の消費者安全調査委員会でこのエスカレーター事故の直接の原因や事故の背景にあるさまざまな要因について調査を進めていたとき、奇しくも同じ事故についてPL裁判が進行中でした 亡くなった被害者のご両親がエスカレーターの所有・管理者やメーカーに対して民事裁判に訴えていらしたのです
長いあいだ裁判というものに一種の敬意をもって接していたわたしが、最高裁まで争うというムズカシイ裁判と並行して、行政の場でまさにその事故の調査を行うとは、青天の霹靂まるで予想もしない出来事でした
事故調査とは何か?を考えれば、裁判が前後して行われる、ときには並行して行われることだってあるのは想定内になるわけです
そうはいってもこの事故調査を進めてよいのかしら? 踏襲する前例はなさそう でも前に向かって事故調査の道を歩かなくてはなりません 立ち止まって悩むべきかどうかさえ悩んでいました
まあほんとうに一にも二にもたいへんなことになったわけですが、エスカレーターの民事裁判を起こされたのも、事故調査に期待していらしたのも被害者のご両親でした
■エスカレーター事故一審判決文と縁がありました
おまけに拙著の初版をまとめていた最後のころのこと 編集者に刊行時期を遅らせてもらってまで資料にあたったのが、当時は個人的にはまったく関わりがなかったこのエスカレーター事故の一審判決文でした 縁とは不思議なものです
PL訴訟は技術的な事柄がよくからみます これはもう宿命といっていいほどでPL訴訟では工学や化学など科学技術の専門家の意見が論議の的となって100%文系のわたしには敷居が高く感じられクラクラする事件が珍しくありません
エスカレーター事故の一審判決は、まず一読してさっぱりわかりませんでした ただ、技術云々というよりもどのような状況といきさつで事故が起きたのか、事故のシナリオをイメージすることが、ほかの判決に比べても特別にできない感じが漂う判決だったのです
時間をおいて何度か読みなおしましたがピンと来ません 刊行予定から逆算したタイムリミットぎりぎりまで迷い、ピンと来ないまま一審判決を当時の自分なりの方法論で整理して責了にしました
一審判決文を校了後の宿題とするかどうか実は迷いました 初版に入れたのは直感です この判決文には、収集し見てしまった以上、自分の本から外すわけにはいかないと感じさせる独特のわからなさがあったのです
エスカレーター事故との関わりは、縁とはいえ避けられない縁でした
■エスカレーター事故調査報告書をまとめる
エスカレーターのベルトに潜在するリスクに関する事故調査の方向をみきわめ、内容を整える作業は機械工学の専門家が参加するチームでやっていました 作業はノンストップでしたが、紆余曲折を繰り返しました
作業の終盤近く2015年3月26日、この事故をめぐる最高裁の決定が出ました 虫の知らせというのか、毎日もしかしてそろそろかな?と気が気ではなかったころのある日のことでした
最高裁は被害者のご両親の上告を棄却し、事故が起きたエスカレーターの危険性を否定し、エスカレーターのメーカーなどに法的責任はないとする控訴審判決が確定しました
間に合わなかったと思う反面、司法の扱いが定まったことでそこからまた一歩を進めるのだという気持ちが湧きました
最高裁の決定が出たというニュースを受けてまず、法学部生活の最初のころに習う三権分立のテキストを読み直しました 司法権、行政権、立法権の3つの権力の分立を、学校の勉強ではなく、まさかのわがこととして読みました
三権分立の学習は法学部生にとって基本中の基本です
一方、事故調査のまとめは最終段階に入っており、プレッシャーや種々の心配はともかく可能なかぎり丹念に準備した調査のプロセスを引き返す選択肢はありませんでした
高度技術を使って専門家が解析したデータは、事故が起きたエスカレーターのベルトだけでなく、ほかのエスカレーターのベルトにも利用の仕方によっては生命に関わるリスクが潜在することを示していたからです
こんな風に書いていると自分がどうにもアナログな人であることがよくわかり内心忸怩たるものがあります
嘆いていても仕方ありません 話を戻します。。
山あり谷あり調査の結果は、消費者安全調査委員会が2015(平成27)年6月26日に公表した「平成21年4月8日に東京都内で発生したエスカレーター事故」に関する事故調査報告書となりました
■事故調査報告書についてマスメディアが報じたことは?
消費者事故調のエスカレーター事故調査報告書が公表されたというニュースは、NHK7時のニュースやワイドショーで流れました ワイドショーでも報道がありました同僚が録画してくれたワイドショーの数分をすべての瞬間を食い入るように見つめました
わたしが見た限りでは事故調査の結果が裁判所の判断と同じではなかったことは各所で淡々と報道されていました むしろ調査がはじめて明らかにしたエスカレーターのベルトに潜むリスクにこそニュース性が強調されていました
この一件で、事故調査にとって協力してくださる専門家との、緻密な、どこが終着点なのか果てがないほどのコミュニケーションの重要さを思い知りました ここでもわたしはやっぱり超がつくほどアナログな人です
念のためいっておきますが、エスカレーターのベルトはそもそもエスカレーターを乗り降りするひとの転倒予防のために作られているものです
エスカレーター事故調査は、エスカレーターに乗るひとの転倒を予防するために必要な摩擦力をもたせたベルトが接触のしかたを誤ると安全とはうらはらに利用者に危険なモノとなる場合があることを明らかにしたわけです
■事故のシナリオを描き直すーケーススタディの新スタイルへ
事故が起きたエレベーターのベルトには一般の利用者がそこまでの危険とは気づかないような大きなリスクが潜在していたこと、事故が起きた当時、被害者はこの危険を具体的に知ることができたかどうか、裁判所はこういった事情を十分に明らかにすることができませんでした
裁判所がこれらの事情について検討するには、当事者の双方から裁判所に提出された証拠は十分ではなかったからだとおもいます
消費者事故調査のやり方は裁判所の原因究明と同じではありません 消費者事故調査では、事故の調査は調査機関が主体となって製品の技術に詳しい科学者を含むチームを組んで分析を行っています
エスカレーターのベルトに潜むリスクについて自前で新しいエビデンスを獲得し、自前のエビデンスをもとにどのようにして事故が起きたのかという事故のシナリオを描いたのです
事故調査機関が描いた事故のシナリオは、裁判所が描いたものとは違ったものになりました 事故調査が書いた事故のシナリオは裁判所が書いた事故のシナリオを描き直したと思っています
この経験はケーススタディの新しいスタイルを考えるきっかけとなりました 法的な責任云々を問題にする旧スタイルを否定するわけではありませんが、事故が起きた諸要因をひろい出しこれからのため再発防止策を検討するベクトルをもったのです
■PL法の設計思想はわたしの鳥カゴです?
2018年の拙著「逐条講義 製造物責任法」第二版は責任云々をコアとするいかにも法律書的タイトルはそのままにしながら、構成や内容はケーススタディの新スタイルを意識してリニューアルしています
念のため旧スタイルを捨てたわけではありません PL法(製造物責任法)のもとで損害賠償責任の有無を議論することは被害者の救済にとって大切です
考えてみればPL法は成り立ちから法的責任の有無を議論するだけの法律ではなく、社会のなかで製品にかかわる安全性の向上や事故防止のために機能することを企図して作られています PL法は裁判規範であるだけでなく、社会規範でもある法律として構想されているのです
ケーススタディの旧スタイル新スタイルなどといっていますが、ひょっとするとぐるっと回ってPL法の当初からの設計思想という鳥カゴのなかにいるのでしょうか??
いえ、鳥カゴかと思ったら灯りをともすランタンでしょうか??
キリがないのでこの辺でやめます ケーススタディの新スタイルはいまもわたしにとって課題であり続けています
ここまで読んでいただきありがとうございました☆
読んでくださってありがとうございます いただいたサポートはこれからの書き物のために大切に使わせていただきます☆