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たぶん罪ほろぼしー10月24日

まちづくりなんておこがましい。けど、まちづくりとしか言いようがないならまちづくりでいい。

横浜で生まれ育ち、東京の大学で10年以上、研究生活をした。でも、大学の研究者にはならなかった。いえ、なれなかった。どちらでもいい。

本気で研究したいなら自宅を出なさい。

とある教授が放った一言で、わたしは横浜の実家を離れ、研究室に歩いていけるところに部屋を借りた。家族と疎遠にはならなかったが、親子ともども寂しい思いをした。家族を犠牲にする研究生活を延ばし延ばしにすることに、最後まで気持ちが晴れなかった。

そして、役所勤め。縁あって、中央の官庁でお仕事をさせてもらった。正規の国家公務員。

国民のためにクルクル働くのは正直幸せで、楽しい。部署のせいか、運命のいたずらか、仕事はノンストップだった。朝刊一面に書かれた仕事にかかわることが何度かあった。社会面はしょっちゅう。もちろん名前は出ない。

回転すしの寿司のようにグルグル回り、働き続ける。プラ皿から永遠に降りられない二貫の寿司である。心身を休めるまともな睡眠はない。楽しいには楽しいのだが、時代遅れの滅私奉公に陥っていた。よくぞ倒れなかったといまでも思う。

職場の目からみれば、独身女性のひとり暮らしは貴族みたいなもの。時間はたっぷり余っていると見えるらしい。至れり尽くせりに見える職場で、独身ひとり暮らしの女性に、家族への配慮はなかった。

横浜の実家には父も母もいる。ときには飛んで帰りたい事情も生まれた。当たり前だ。しかし、事情を話し、周囲に頼んでもたった2,3時間の有休さえとれなかったのは行き過ぎだろう。こればかりは、ブラックだった。

横浜に住む家族に会ったのは数えるほど。ゆっくり話す時間はほとんどなかった。おそらくは役所のせいばかりではない。父と母は忙しい娘に遠慮していた。こちらから行くよと父母が東京に会いに来てくれたとき、二人して寡黙だった。

離職し、横浜の実家にリターン。父を送り、いま母と暮らす。

まちはなんともいえず寂しい。最近、子どもが増えているものの、高齢化過疎というらしい。夕暮れどき、人っ子ひとりいない歩道を歩くと、じわり涙が出る。

焼け石に水でもかまわないと、空きガレージで年中行事のミニイベントをやってみたり、畠山重忠壁芝居を作って、まちで展示したりしている。重忠が登場している間、久しぶりに大河ドラマをよく見た。11月には郷土史を学ぶ会をはじめるつもりだ。

いま一番ありがたいのは、自分の用と家族との暮らしをごく自然に両立できること。家族と両立してまったく構わない環境ははじめてだ。どんなに難しい研究をしても、滅私奉公の役人になっても叶わなかったたったひとつの願いが、いま叶っている。

研究者や公務員の独身女性がどのひとも家族を犠牲にしているわけではないだろう。役所や大学も環境改善をしたかもしれない。けれど、わたしの場合はうまくいかなかった。いままでのすべてから離れてリターンし、やっと安住の場をみつけた。いつも母と二人三脚、ささやかな地域活動はわたしなりの罪ほろぼしである。

壁芝居を見てくれたまちの人と話していたら、自分も東京で仕事をしたリターン組だという。70歳くらいだろうか。わたしがリターン組だと告げると、笑顔になった。

おおそうか。私もだよ。東京で仕事をしたよ。先輩だな!

後輩をみつけて、喜色満面。どうやらまちでは、経験の前後で先輩後輩というらしい。学校や職場と関係ない先輩と後輩だ。地元言葉をひとつ覚えた。方言とはまた一味ちがう、温かな言葉遣いがある。これが地元に息づく言い伝えの命ではないかと密かに考えている。

ドングリの実が落ち、秋が深まった。日暮れが早そうだ。定刻にはまだ少しあるけれど、そろそろハロウィンランタンに点灯しよう。今日は母にデコレーションライトに点灯するスイッチの入れ方を伝えるつもりだ☆


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