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道具と環境が私たちのSOCを高める

アーティストのためのメンタルヘルス×蓄音機コンサート in 図書館~心の森の歩き方~に参加した話

先日第31回多文化精神医学会学術集会が本学で開催されたことや、杏林大学の知り合いに久しぶりのお会いできることもあり、参加しました(本件は気が向いたらまた記事にしてみます)。

昨年レベル1を実施し、これまでサルトジェニック・プログラムの文脈における「健康生成」とは何ぞやというのがもっと謎になってしまいました。健康を作る文脈は、医学保健看護分野(私の勉強不足というのも大いにあるのですが)でキャッチアップできていたのはものすごく狭義的なものではないかということであります。

そのヒントを得るために、昨年はウィークリー・オチアイを聞きながら、自分のプログラムは民藝にヒントがあるのではないかという思想になり、そして先日の学会でもそれが確信になった次第です。
(前置き長い、早く本題に入れ)

そんな訳で、先日のシンポジウムを企画してくださった田中伸一郎先生(東京藝術大学/精神科医)がどうやら12月に図書館でイベントをするらしい情報を聞きつけ、参加してきました。
(もとい、その前のウィークデイに色々考える事があり、自宅で籠るのは良くないというのもあったのですが)

学内の敷地内に足を踏み入れる前から、彩のある落ち葉を踏みしめ、青空と赤や黄色の木々を見つめながら12月の穏やかな日差しを感じ、穏やかな気分で会場に入りました。

既に本日のスピーカーの方々はスタンバっていました。
田中先生他、松下計先生(東京藝術大学デザイン科/附属図書館長)、大田原章雄さん(東京藝術大学附属図書館職員)、西山朋代さん(東京藝術大学附属図書館職員)…研究者だけではなく、図書館の司書さんもお名前が入っているのがもう素敵すぎて、開始前からワクワクが止まりませんでした。

プログラムは、交響曲のように4章で構成されていました。
第一章 学生たちは本の森を彷徨う
第二章 学生たちは心の森を彷徨う
第三章 森を歩く力をつける
終楽章 私たちは心の森と共に生きる

もうこの展開、秀逸すぎやしませんかね。事前にサイトを見たときに、この編成にグッときた訳であります。
大学生に教授をしている身としては、専門性的な教養を身につけながら、自身のアイデンティティや周りとの関係性に彷徨い、力を身につけてやがて大人の社会へと向かって歩んでいきます。それを見事にまとめていると思い、まだ始まってもないのにああああってなっていました。

蓄音機は、「金沢蓄音器館」で初めて聴いて以降、蓄音機ならではのノイズや音のこもりにぬくもりと温かさを感じて好きになったのですが、なんせ手間暇がかかる道具(もはや楽器)なのです。

レコードの針は、1曲ごとに交換し、レコードで再生できる音楽は片面5分程度、1曲が終わるごとにハンドルを回して、再生できるようにします。今のようにYotutubeで〇時間連続再生とは違って、手間暇がかかります。

その手間、そこでの音楽と音楽の間の暇(間)を参加者はトークを楽しみながら心地よい時間に浸りました。
手間暇という言葉ですが、「手間と暇(ひま)。労力と時間をかけて仕事をする事(広辞苑)」という意味なので、ある種何かを生み出すにはタイパだけでは難しく、作業と作業の間に「暇」な時間というのが必要なのだろうなあなんて思いました。

プログラムの中では、藝大生がよく読む書籍の紹介などもありました。ヴァシリー・カンディンスキー「点と線から面へ」 

とか、これまで手にもしたことのない書籍の紹介や、私の手元にあって積読になっているクロード・レヴィ=ストロースの「野生の思考」とか

千葉雅也の「動きすぎてはいけない: ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学」

とかとか、こころに栄養を頂くような、例えて言うなれば、和食のおいしさしか知らなかったけれども、イタリア料理のおいしさを知った、または調味料を加えると新しい味になる、そういった感覚になりました。

そんな対話を楽しみつつ、各楽章で、その対話にぴったりなレコードを聴くのです。
例えば、第一楽章の彷徨いでは
バッハの「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第6番 BWV1019」を、
第三章ではルイギの「バラ色の人生」とテーマに合わせた音楽を聴きました。
…後で調べましたが、この第6番はバッハが何度も試行錯誤を繰り返した曲…テンポや楽章構成をいじり、曲を差し替えたりしていたようで、まさにアーティストの彷徨いを表現していたのかともう心を後からぐっとつかまれてしまいました。

松下先生は、「今の学生さんには昔より学内に居場所がないこと」という発言がとても印象的で、田中先生からは「自身に向き合い過ぎている人もいる。授業で求められるグループワーク」というのは、教員をしていて思う所でした。

私が学生の頃よりも、膨大な知識量を求められ、隙間のない程のコマ数や課題、息抜きというよりは生活のためのアルバイト生活、下宿できないための長い通学時間、国家試験に落ちると「何者にもならない自分になる」という恐れ…
今や人生100年とかいう中で、そんなにも若い頃に求めなくてもな~と思うし、自分はこのままでも良いんだと思える「居場所」は必要だよな、そうだよなと思います。

対話の中で、「図書館がそんな居場所になればいい」とおしゃっていました。
ひとりにもなれるし、大学の一員であるという環境は、「Supportive Environment Theory」でいうところの、「Emotional engagement (感情的な関与)」に位置づけられるなと思いながら聞いていました。

SET理論自体は、北欧の自然を用いたリハビリテーションからきた概念ですが、私が行っている研究ではそれをストレスマネジメントに応用するものです。
落ち込んだ時は「inward directed engagement (内向きの関わり)」で、安全で隔離されたと感じられる避難場所で過ごし、エネルギーがたまってくれば、積極的で外向きの関わりや他の人を観察し交流できる場を作ればいい、それで健康生成をしていくものです。

今回のイベントは、私の中では健康を生成するイベントとしての気づきがいくつかありました。
①人は道具(蓄音機)や書籍によって、いわゆる「モノ」からの健康生成
②健康は、五感にフォーカスする機会を設けることでより豊かになる
(これは前回自分が実施したプログラムでも思いましたが、改めて)
③自然環境を用いて行われているプログラムの応用をするにあたり、自分のなかでの「環境」の位置づけ

いや~~これもっと色々な方とふれあい、場所に赴き、多職種&異業種とやるとよりダイナミックになることで、日本由来のSOCが導き出されるのではないかと思いました。
現場からは以上です!

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