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テレワークが慣れない!?ー五感集中10日間の振り返りー

知識があってもうまくいかない、だって人間だもの…というのが10日間やってみての感想である。3月からテレワークを実践している夫から遅れること1か月後、職場が都内ということで少しずつテレワークへシフトしていった。

夫から

「すぐできると思わない方がいい。1か月してようやく俺はコツをつかんできた」

と言われたものの、4月末(ようやく1か月)経過しても全然慣れないのが結論である。

【なぜ、1か月しているのにテレワークなでないのか?】

1.職場環境と自宅ではそもそもの環境が違う

 朝ごはん食べて、電車を乗継ぎ、20分歩いての職場まで。そのルーティーンがご飯食べる→20-30分のヨガではルーティーンにならないこと。通勤がない分、5:30起床から6:30起床になったが、起床時間はテレワークでも5:30起床の方がリズムが取りやすいことが判明した。

 これまで転職を幾度となくして、大体慣れるのに3か月かかっている。それを思うと、1か月少々でルーティーン確立できたわというのがそもそも愚かであったということ。

➡引き続きテレワークのルーティーンを獲得する

2.誰かの不安を受け取っていた

 ニュースでもコロナ、SNSでもコロナ、仕事のめーるでもコロナ。日本のみならず世界中のコロナ。感染者数の報告、規則を守らない、経済的な打撃等々、とにかく日々ネガティブな発信が多かったように思う。世界的な危機に不安を覚えな方がおかしく、私も不安を覚えて当然なのだが、その不安の中5~6割くらいは「どこかの誰かの不安」を受け取っていたように思う。

➡他者の不安と自分の不安の線引きを意識する

3.トップの方針が不明慮

 政府、組織のトップ、自分のGr、不確定要素があり過ぎて、先進的な取り組みを見聞きしては落胆していた。しかしながら、国レベル、職場レベル、個人レベルでの調整は組織が大きければ大きいほど時間を要するし、先駆的な取り組みが「自組織で妥当かどうか」を判断し、モディファイする必要がある。意思決定者がスピード感重視でリーダーシップを発揮できれば良いが、現実はそううまくいかない。2月の常識は4月の非常識だったりする。私の中で、「先進的な取り組みができている組織」と「自分が所属している組織」を比較して不安を強めていたように思う。

➡その比較は、自分にとって意味があるのを考える

4.あらゆる制限と行動変容が迫られる

 4月は目まぐるしく社会的な制限が加わった。マスクを着用していない人はちょっと気になってしまう自分がいる。4月頭に緊急事態宣言が出され、町並みはがらりと変わる。3密を避ける規制はあらゆるところにしかれた。当たり前のような外食、洋服を選ぶ楽しさ、仲間との会話。うかつに病気にかかれない危機感が現れた。

 日常生活はオンラインへのシフトが迫られた。ビジネス書を読んでも、まあぶっちゃけオンラインなんてもうちょっと時間かかるし…と考えていたのが、「そうやっていくもの」に変容した。ハンコは文化から不要な価値観へシフトした。今は学校開始を4月から9月への変更が検討されている。明治のはじめは9月開始だったといわれているので、変更になってもおかしくはないと思う。明治は9月スタートで大正は4月スタートということを先人たちはやってのけている訳なので、人類レベルではできないことはないのだと思う。

 考えてももなかった変容が日々の生活で起こる。ハンコに関してはTwitterの発信からきている。ワクワクもする一方で、価値観の変容が日数単位で起こっている。不安になるなら見方ができるなら、ワクワクする見方もできるはず。

➡不安の洗い出しが上手なのはわかった。次はワクワクの洗い出しをする。

5.職業アイデンティティの葛藤

 医療職として、大学教員として「今すべきことは何だろう?」ということを考えてしまった。1~4までの要素が複合的に絡んでいたことが分かった。どうにもできないことはどうにもできない。できることは「個人レベル」で何ができるかということ。

➡個人レベルでできることを洗い出しをする

自分自身もこのコロナ禍の真っただ中にいる一人の人間であるということを受けいれ、認めることなのだという結論に至った。胃腸の調子が芳しくないが、それもこれだけの変化はストレスだよなあと思うことにした。元々ストレスがかかると胃腸に来るので、寧ろ正しくストレスを認識できていて良かったと思えた。


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