2022の最後に思ったこと②―音楽から考えたこと―
落合さんのDJは、20時過ぎに開始された。紅白歌合戦の音楽をかけながら時々心臓の鼓動と同じリズムで音楽が流れる。
DJブースの隣にはスクリーンにAIで生成された画像が流れてくる。2022の画像の生成という事で、北京五輪~ウクライナ侵攻の軍事的な画像が次々に流れてくる。
私は31日に改めて平和であることを噛みしめつつ、流れる音楽で心が少しずつほぐれていく事を感じていた。少しまだ周りは音楽にのること、踊ることには抵抗があったようで、ブース前には数名しかいなかった。
ただ私の近くに身体の全身でリズムを受け止めている方がいたので、私も大学~修士時代に時々行っていたクラブ時代を思い出し、空間に身を任せることにした。
それをしながら自分の2022の振り返りをTwitterで行っていた。
始めは具体的な成果と感じたものを挙げていたが、だんだんと自分の心情に素直なつぶやきになっていったように思う。
流れる音楽で心は少しずつ緩んでいき、頭だけでなく足でもリズムを刻む。
時間の経過とともに、全力で踊りだす人が出てきた。
「あ~この曲!!」と言いながら音楽を、周りの空間にのせて自由にステップを踏む。個人での揺らぎが、次第に人と人とのつながりを生む。
『今夜はブギーバック』で一気にボルテージが上がる。
歌詞を口ずさみ、DJ落合氏に自分達が楽しんでいる合図を送ったり、周りが各々のリズムを刻み、心がほぐれていく。
0時前のカウントダウン前、DJブースの前に人は集まっていた。
肩を組む者、笑顔で歌い合う者、同じ動きの音頭を取る者、泣く者…。
全て音楽のチカラによるものだ。
そういえば夏にフェス開催で大分叩かれていたニュースがあった。
(マスクをするか否かの議論は一旦置いておき…)
人々が求めていたものがそこにあったのだと思った。
2020に私は音楽の重要性の記事を書いたが、音楽に触れるだけでは満たされない「人らしさ」が存在していたのだと思った。人はひとりで音楽を楽しむことに飢えていたように思った。生のメロディから発せられるリズムを刻み、踊り、歌い、周りと共有することが幸せだったのだと思った。
私の出身は阿波踊りで有名な徳島だ。
踊りは熱狂する、鳴り物でビートを刻み、同じ動きをする、ヤットサーという。個人よりも集団でやることで一体感は高まる。
2022年のWEEKLY OCHIAI後半で落合さんがよく聞いたのが「踊ればいいと思う」と言っていたことであった。
カウントダウンを目の前にし、ああ、このことなのかなと自分の中で腑に落ちた。
無力感を感じた1年、疲弊した1年、軸足をどこに定めて良いか分からなかった1年…ああ、もうそんな事はどうだっていいんだ、仲間とこうやってリズムにのって、踊り、歌い、1つになることで私たちは十分幸せになれるんだと。互いの仕事が何をしているとか、誰のつながりとかそういったものがなくても、コミュニティが形成されていく様をリアルで実感した。
そして、この莫大なエネルギーは転換を利用すれば阿波踊りを取り締まった背景の1つでもある一揆くらい起こせちゃうんだと。