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思いや努力が報われる大会に
東京オリンピックが開幕しました。
開会式で各国の選手たちの楽しそうな笑顔やはしゃいだ姿を見てると
胸の中から込み上げてくるものがあります。
中にはシリアなど内戦が続いているような国や、難民選手団など、コロナどころじゃない状況でスポーツを続けて、オリンピックの出場権を勝ち取ってきたとしたら本当にすごいことだと思います。
すったもんだがあったとしても、純粋な気持ちでここまで尽力された方達のために願わくは満員の観客で迎えたかったけれど、だからこそお祭りが開催されることさえ当たり前でなく本当にありがたい日常の風景だったんだと思い知らされます。
いわく付きとか呪われた五輪、などと言われてますが
個人的には東京という都市だからこそここまで耐えられたのではと思います。
国家に匹敵する予算を持ち、ネット炎上はしても本物の暴動などは起きない地域です。
衛生大国ですし医療への信頼もあるということでほとんどの国や地域が参加してくれたのではと思っています。
なので<コロナ禍でのオリンピック>というお役目を東京は果たした、
個人的にはそう感じています。
1964年の東京オリンピックでは「ビリの英雄」と言われたセイロン(今のスリランカ)代表の選手がいます。
彼は陸上1万メートル競技で3週遅れの最下位でした。
当初観衆は失笑しながら見ていましたが脇腹を押さえながら懸命に走る姿に
次第に人々は心を動かされます。
私も陸上やってたからわかりますが、脇腹痛くなってからのランニングは
相当きついです。
しかもたった1人大観衆の中をその状態で走り切るのです。
途中棄権してもよかったのに。
そしてこの選手は最後優勝したかのような万雷の歓声で迎えられました。
彼はレース後に言います。
完走することができて幸せだ。
国には小さな娘が一人いる。
その娘が大きくなったら
「お父さんは東京オリンピック大会で
負けても最後まで頑張って走った」
と教えてやるんだ。
そう語ったそうです。
資本主義社会の中ではどうしても「成果」や「結果」を求められます。ですが、それだけにこだわり、結果を出せないことを責めるような社会は本当に幸せなのでしょうか。
負けたり失敗しても精一杯やったことを誇れる父親と
負けたことをいつまでも引きずり悔やみ続ける父親、
どちらに育てられたいでしょうか。
組織もそうだと思います。
成果ばかりを求める社長と、
失敗してもよくやってくれたと感謝をしてくれる社長。
どっちの社長がいる会社に勤めたいでしょうか。
これは本当にあったお話なのですが、とある会社の社長さんが、社員さんに対して成果ばかりを求めノルマを課し、達成しない社員を叱咤していた時は売り上げが伸びす、悩んでいたそうです。
ところが、心を入れ替えてノルマを廃止して社員さんに「ありがとう」と感謝を伝えるようにしてから一気に売り上げが伸びてしまったそうです。
また、別の社長さんは机を蹴り飛ばす勢いで社員を叱責していたそうですが、こちらも心を入れ替えて「ありがとう」をとにかく言うようにしたそうです。
するとそれまで勤めていた社員さんは気味が悪くなったのか6人が一気に退職。社長さんは困りましたが、すぐに代わりに7名の社員さんが入ってきました。そして変わらず「ありがとう」を言い続けていたら、以前よりもドンと売り上げが上がったそうなのです。
結果ばかりに目を向けると、
「人に対する感謝の気持ち」と言う本当に大切なものを見失ってしまうのかもしれません。
そんな状態で成功してしまっては、その人はますます感謝の言葉を口にしなくなり、うまくいっているのは自分の力量だと勘違いして傲慢になってしまう。
神様がいたら、そんな人に富を与えるわけにはいかないと思うのではないでしょうか。
今回の東京オリンピックも、色々とあったかもしれません。
こんな状況では判断ミスをしてしまうことや、苦渋の決断をたくさんしたことと思います。前例のない、誰も正解がわからない中で本当によく最後まで開催に漕ぎ着けたと思います。
選手やここまで尽くしてくださった方々の思いや努力が報われるような、そんな大会になってほしいと願います。