あれからひと月余り経った。 未だに無気力になり、喪失感は消えない。 いつも通り日々を過ごしている。生きている。 ただ、とても寂しい。 櫻井敦司さんの、あっちゃんの急逝からちょうど1ヶ月が経った、と当日に更新しようとしてまた、伸びてしまった。もうすぐ四九日も来ようとしている。羽田の献花会も近づいてきた。 春にBUCK-TICKに再会してから、私は大体1日2枚のアルバムを聴いていた。毎日の通勤時間が片道1時間ほどで、ちょうど1枚聴き終わる頃に目的地に到着する。 周知の事実だが
あの日から約2週間。日常は流れていく。溜息ついたって、俯いてたって、涙で霞む行き先に進むことを躊躇して立ち止まろうとする自分に 歩幅を合わせてはくれない。 バンド仲間からの連絡 櫻井さんの訃報を知った日、私の近況を知る数少ない友人と夫以外に連絡をくれた人がいた。高校の同級生で、今は音楽関係の仕事に就いているマサヒロ君だ。彼からのメッセージは他のそれとは違い、私を気遣うものではなく、BUCK-TICKの櫻井敦司の死を悼むものだった。 彼を含む4人で、高校の頃バンドみたいな
これからは好きなもの、愛するものを見逃しはしない。見つけたら、一粒だってこの手からこぼれないように深く包んで指の隙間からそっと覗くようにいつまでも見つめていよう、そう誓った。 再会と転落 今年の4月にBUCK-TICKというバンドと再会し、35年見逃し続けてきたことに、何やってんだ、自分…という腹立ちと呆れまぎれの複雑な感情が沸き衝動的にいろんな行動に出た。その一つがNOTEを始めた事だった。 自己紹介と、再会1枚目の「異空」のレビューから始めようと、あれこれ考えながら下
『異空 -IZORA-』 再会 自己紹介 私がnoteで何かを書きたい、と思ったきっかけと、簡単な自己紹介を記しておきたい。みてくださる方がいたら幸いである。 千葉生まれの大阪在住、A型でほんの少し潔癖のどこにでもいる日本人。 33才の春、なんとなく海外に住んでみたくなり会社を辞めて台湾に留学、約1年半台北で暮らしていたので、小学生程度の中国語が出来る。ほぼ流しの事務員。 私は昔から情報に疎く、いろいろと知るのが遅い。 夫や友人にこれ良いよね、と言うと今更?と言われるこ